第38話 寧々さん、桐紋に現実逃避する
永禄5年(1562年)6月中旬 尾張国清洲城 寧々
目の前には、斯波の父上から送られた書状があり、そこには一門に連なる者の証として、『五三桐の紋』の使用を認めるという内容が記されている。但し、慶次郎が言うには、この紋は一門でも誰でも彼でも与えられるものではないらしい。
そして、慶次郎が言うには、それが原因でお市様の婚礼が前倒しされるということだった。もはや、ため息しか出ない。
「すみません。お屋形様に全てを白状してしまいました……」
「仕方ないわよ。こんな物を送られてきたら、誤魔化しきれないわよ……」
加えて言うならば、態々人払いをして内密にお屋形様のみに打ち明けたというのに、わたしが斯波の御落胤であることは、すでに幾人か知っている。帰蝶様は先程、夜這いの件も含めて非礼を丁寧に謝りに来たし、お市様も事の真偽を確かめにここへ来た。この調子で行けば、国中に広まるのは時間の問題だろう。
「よろしいですか、寧々様。お屋形様の申される通り、可能な限りお市様の輿入れを前倒しにしますが、くれぐれも北近江に出発するまでは、このお城から外に出られないように」
「犬山の信清殿がわたしを攫うって?流石にそれはないんじゃないかな?」
斯波の姫として旗頭にされる可能性があると慶次郎は心配しているのだろうが、斯波に連なる者は国内外を探せば、他にいないわけではない。それに本気で斯波家の名を担ぐのなら、追放された斯波義銀様を迎えるのが筋というものだ。隠し子のわたしでは支持は集まらないだろう。
「そんなことはありません。寧々様は、ご自分の価値をわかっておられないようですな」
「そうかな……?」
ただ、いくらこうして抵抗しても、慶次郎は外出禁止を取り消してはくれない。
「はあ……会いに行ったのが失敗だったかなぁ……」
だから、ついそのように愚痴を零してしまう。言っても仕方がない事なのに。ただ……同封されていた桐紋の図柄を見て、不意に思った。この家紋は、前世では豊臣家も使っていたが、どういう経緯で使うようになったのかということを。
(確か、五七桐は帝から賜って使うようになったけど、その前から五三桐を使っていたわね。でも、あれっていつからだったか……)
「どうしました?寧々様」
「あ……少し考え事を。ねえ、慶次郎。知っていたら、教えて欲しいのだけど、この五三桐の紋はどういう状況になれば、使えるのかしら?」
「そうですね……五三桐は、五七桐の使用を許可された者から桐紋を下賜されたときに、使えるようになりますな」
つまり、前世に置き換えれば、信長様が義昭公を将軍にした際に五七桐を賜ったから、その後、何らかの手柄を立てた藤吉郎殿が褒美で桐紋を下賜されて、以降五三桐を使うようになった……そういうことなのだろうか?
(だけど、もしかしたら、前世でも同じように信長様に父が桐紋を託していれば……)
前世における藤吉郎殿の家紋の変更は、信長様が斯波の父上の願いを叶える形で行われたのかもしれない。百姓上がりの成り上がり者が柴田様や丹羽様を差し置いて、そんな凄い家紋を使っていたのは、今考えればやはりおかしいと思ってしまう。
そう考えると、前世においてもわたしは父に愛されていたのかもしれない。自然に顔が緩んだ。
「おーい、寧々様。もうそろそろ、こっちの世界に返ってきませんか。次の話題に移りたいので」
「はっ……す、すみません。それで……次の話題とは?」
「先程も申し上げた通り、お市様の婚礼を前倒しにすることを浅井家に申し入れなければなりません。そこで、近々玄蕃頭様がこちらに来るそうなので、寧々様には交渉の場に参加して頂きたく……」
「それは構いませんわ。わたしのせいですから、精一杯務めさせていただきます」
「そんなに思い詰めなくてもいいですよ」
慶次郎はそう言ってくれるが、やはりどうしても自分のせいで皆に迷惑をかけたと思ってしまう。だから、せめて矢面に立たなければと快く承知した。




