第29話 寧々さん、叱られる
永禄5年(1562年)3月下旬 尾張国清洲城 寧々
「この……たわけが!!何を勝手なことをしてくれたのだぁ!!!!」
浅井との交渉結果を報告している途中で、上座に座る信長様がキレてしまった。まあ、大切な妹君の嫁ぎ先を勝手に決めてきたのだから、その反応は不思議ではないが……物は投げないでほしい。
わたしの頭上を通り過ぎて行った高麗茶碗のパリンと割れる音が、その時わたしの背後から聞こえた。だが、臆すことなく言うべきことは申し上げる。
「怖れながら、お屋形様は仰せられましたよね?条件はわたしに一任すると」
「ぬっ!そ、それは……言ったかもしれぬが……だが、しかしだな……」
「でしたら、何も問題はないでしょう。輿入れの件は、清洲を発つ前にお市様には了承を頂いておりますし……」
「い、市はまだ子供だ。それはきっと……そうだ、そなたに騙されただけだ」
往生際が悪くも「そうに決まっておる」と駄々をこねるお屋形様に、ついため息が出ると、同席している帰蝶様がクスクス笑って、わたしの味方をしてくれた。
「お屋形様。あなたこそ子供ではないのですから、もうその辺で……」
「む……し、しかしだな……」
「とにかく、寧々の話を最後まで聞きませんか?結論はそれからでも……」
こうして、最後まで話の続きをすることを許されたわたしは、この盟約における織田家の利益について、二人に丁寧に説明した。美濃を手に入れた後、浅井家を味方にすることで背後のことを心配することなく、南近江の六角、さらにはその先の京まで窺いやすくなることを。
「京……か。寧々よ、大きく出たな。だが、三好は強大だぞ?」
「勝てぬ相手ではないかと。その時、お屋形様は尾張に美濃に南近江の主……。国力、兵力においては十分張り合えると思われますが?」
しかも、わたしは三好の天下がもう長くないことを知っている。あと2年もすれば、三好長慶が死んで、ガタガタになるということを。信長様が美濃と南近江を押さえた頃には、きっと張り合える力は残っていないだろう。
「しかし、浅井と盟約を結ぶとしても、何も今すぐ市を嫁がせる必要はないのではないか?そなたのいう天下取りの話は、あくまでも美濃を得ることが条件なれば、その後でもよいと思うが……」
「いいえ、それはなりませぬ。今、この段階で嫁がせるからこそ、浅井にこの盟約をより重く受け止めさせることができるのです。美濃を得た後では価値が下がり、その分背中を預け辛くなります」
「つまり……後では市の価値が下がり、その分裏切りやすくなるということか……」
「言い方はよろしくはありませんが、お屋形様がより価値のある利益を得るためには、この機会にお市様を嫁がせることを条件に浅井と結ばれるのがよろしいかと思います」
言いたいことは言い終えた。よって、後はお屋形様の決断を待つことになる。だが……
「のう、寧々よ。市殿が嫁がれたのち、そなたはどうするのだ?」
「もちろん、わたしもお市様と共に小谷へ……」
「なっ!?そ、それは、ならぬぞ!!」
なんと、味方のはずだった帰蝶様が今度は駄々をこねられることになった。しかも、自分が同行することも盟約に含まれていると説明すると、今度は彼女の方から信長様とおそろいの高麗茶碗が飛んできた。
「寧々の馬鹿ぁ!!何でそんな大事なことをわたしに内緒で勝手に決めてくるのよ!!!!」
まるで、話が振出しに戻ったかのような光景に、思わずため息が出た。そして、それを宥める信長様を見て思った。この二人は、お似合いの夫婦だと。




