第27話 御隠居様は、愉快な絵空事に満足する
永禄5年(1562年)3月中旬 近江国小谷城 浅井久政
「織田殿の妹君を……倅の嫁にだと!?」
正直言って、その回答はあり得ないと思った。確かに盟約を結べば、斎藤は我らの方にも今まで以上に注意を払う必要があるため、織田に向ける兵力は減るだろうが、だからといって、この盟約が織田にとって、妹を差し出すほどの重要事項かと問われたら、それは「否」だ。
それゆえに、儂は寧々にもう一度確認した。本当に盟約を結べば、市姫を長政に嫁がせるのかと。しかし、彼女はしっかりと力強く答える。「相違ございません」と。
「なぜだ?なぜ、そこまでする?」
「決まっているではありませんか。それだけ我が主は備前守様を買っておられるのですよ」
そして、そう答えた寧々は、織田が美濃を平定した後のことを話し始めた。但し、驚くことに我ら浅井家の進む道は北にあると言った。
「朝倉家か。六角家ではなく?」
「はい。六角家の方は我が織田家が受け持ちますので、浅井様は朝倉家の方を受け持っていただければと……」
その言葉にこの広間は再び騒然として、重臣たちの幾人かはこの提案に反対する言葉を吐きだした。中には、「朝倉様からこれまで受けたご恩を仇で返すわけには……」などと、頓珍漢なことを言う者もいる。
(……確かに、朝倉には幾度か援軍などを送ってもらったことは有るが、家の命運をかけてまで拘ることではあるまい?)
だが、その辺りは一先ず脇に置いておくとして、どうして越前攻めを提案するのか。南近江の六角を我らの手で攻め滅ぼしてからではダメなのか。儂はどうしても理解ができずに、その真意を寧々に訊ねることにした。すると……
「仮に浅井様が六角家を滅ぼしたとします。そうなれば、必然と三好家と戦うか、それとも協力せざるを得なくなり、加えて幕府の厄介ごとに巻き込まれることになります。下野守様……そのような事態となった時、近江一国程度の実力で乗り切ることが可能だと思われますか?」
この少女は、先程長政を高く評価していると言った口先で、一同に喧嘩を売るに等しい言葉を臆することなく口にした。当然激高する者もいるが……全盛期の六角でも振り回されただけで何も得るところがなかった有り様を知るだけに、言っていることは間違っていないと儂は理解した。
「しかし、だからといって、越前を狙えとは大きく出たものだな。そなたは簡単そうに言うが、そう容易い事ではないぞ?」
「いえ、我が主が美濃を平定し、さらに南近江を押さえれば、全く夢物語ではないかと存じます。そして、越前を平定すれば、次は加賀ということに」
その言葉に、遠き昔に捨て去った夢が思い出される。なるほど……織田の援軍を得ることができれば、全く実現不可能な話とはいえない。それならば、最早断る理由はない。
「なあ、長政。儂はこの話を受けても良いと思うが?」
「父上?」
「いずれにしても、我らには損のない話だ。まあ……そなたがどうしても結婚などしたくないというのであれば、別だがな?」
「い、いえ、そのようなことは決して……」
「ならば、決まりだ」と儂は、驚いている長政の背中を二度三度叩いて、大いに笑った。実に愉快な絵空事であったと。
(それにしても……)
結論が出てホッとしている目の前の少女を見て思った。この者は只者ではないと。それゆえに、一つだけ彼女に条件を付け足すことにした。それは……
「えっ!?わたしも共にこの小谷に参れと?」
「当たり前ではないか。そなたは、市姫殿の侍女なのであろう?」
この才能あふれた寧々という少女を確実に我らの手中に収めるということだった。




