第26話 寧々さん、交渉に臨む
永禄5年(1562年)3月中旬 近江国小谷城 寧々
「お初に御意を得ます、織田上総介が臣、寧々と申します。この度は、ご拝謁の栄に浴し、恐悦至極に存じます」
「小谷城主、浅井備前守長政である。遠路大義であった」
そして、「面を上げられよ」という言葉で、型通りの前置きの挨拶は終わる。そして、顔を上げた視線の先には、当主の長政様、隠居の久政様、左右にはこの浅井家の重臣たちが居並んでいる。交渉の舞台がこうして整った以上、勝負はここからだ。
「では、寧々殿。御用の向きを伺うことにしよう。織田殿は何を我らに望まれているのかな?」
「我が主は、貴家との盟約を望まれています」
「ほう……盟約とな」
演技掛かったような物言いは、白々しくも感じる。わたしがこの場にいる以上、それ以外の用件などないことは、長政様もご存じのはずだろうに。だから、あえて先手を打つようにこちらの未来絵図を申し上げることにする。すなわち、同盟締結による浅井家の利益についてだ。
「両家の盟約が成り、その上で我が織田家が美濃を平定すれば、ご当家は東に兵を置く必要は無くなり、その分を敵に差し向けることができるようになります。加えて言うならば、美濃・尾張より強力な援軍も得ることが可能となります」
「なるほど……つまり、織田殿が我らの後ろ盾になってくれるということだな?」
「はい、仰せの通りにございます」
「だが……それはまだ絵空事に過ぎぬのではないかな?先頃、織田殿は美濃で負けたと聞いているぞ。言うのは容易いが……本当に織田家は美濃を押さえることができるのか?」
まあ、当然訊いてくると思っていた問いかけだ。前世のように、美濃が半ば落ちて全土の平定が現実味を帯びていた状況ならともかく、今の状勢では織田家が美濃を近々平定すると言っても、説得力はないだろう。
それゆえに、予め用意していた答えを返す。「できなければ、それがどうかしましたか?」と。
「どうかしたとは……寧々殿、開き直られましたかな?」
「事実を申し上げております。もし、仮に美濃を平定できなかった場合、それでご当家に何かご迷惑をおかけすることはございますか?」
「……あるにはあるぞ。斎藤を敵に回すことになるだろう」
「ですが、その斎藤は我が織田家と戦っているのですよ?兵力が豊富にあるのであれば、二正面作戦も取れなくないかもしれませんが……備前守様は可能だと思われますか?」
「いや……斎藤家にそれほどの力はないだろうな。東には甲斐の虎もいるわけだし……」
「でしたら、我が織田家が勝つ方に賭けませんか?失敗しても、損が出ないわけですし、悩む必要などないかと思いますが?」
そうは言うが、実際に織田家が斎藤家に滅ぼされるようなことがあれば、浅井家も巻添えを喰らうことになるだろう。ただ、そのような可能性は限りなく低いとは考えている。そして、その点も含めて、長政様は考えられるはずだ。
(さて、どうする?)
思案をしているのだろう。顎に手を当て黙り込んでしまった長政様からの答えを待つことにする。ちなみに、この段階で「否」と言われたら、交渉はここで終了だ。これ以上、絵空事の話をしても無駄だと、尾張に帰るしかない。そうしていると……
「寧々殿。儂からも一つ訊ねても構わぬか?」
上座から突然、呼びかけてくる声が聞こえた。しかし、それは長政様ではなく、久政様だ。
(一体、何を言う気かしら?)
そう身構えていると、彼は言う。「美濃を平定した織田が我らに牙を剥かないという保障はあるのか?」と。
だから、この場で声を大にして言ってやることにする。
「盟約が成った暁には、我が主上総介の妹君である市姫を備前守様の妻に差し上げます!」
この瞬間、広間が騒然となったのは言うまでもない。




