第23話 慶次郎は、実家に女を連れ帰る
永禄5年(1562年)3月中旬 尾張国荒子城 前田慶次郎
結局、あのとき進路を南に取ったことで、初日から大いに予定が狂った。俺一人ならば、どこかその辺の野原や川辺ででも野宿すればよいのだが、流石に寧々殿も同行している現状ではそういうわけにはいかない。
だから、俺は仕方なく、寧々殿を実家である荒子城に案内した。しかし……
「まあまあ、こんな綺麗なお嫁さんを連れて来るなんて、慶次郎ったら!」
「本当にめでたい!これで、我が家も安泰じゃ!!」
殊の外、母と父が大喜びをしているため、中々違うと訂正することもできず、広間には領民たちも集まって、まるで婚礼のように盛り上がっていた。無論、俺の隣に座る寧々殿も、どうしようと顔を引きつらせている。
「ごめんなさい、寧々殿。皆には酔いが醒めたらきちんと話すから……」
「ええ、そうしてくれると助かるわ。じゃないと、わたし……慶次郎の想い人がお松殿だって白状するしかなくなるし……」
確かに寧々殿がそう言ってしまえば、この騒ぎは落ち着くのかもしれない。だが、俺にとっては最も避けなければならない結末だ。そうしていると……
「そうじゃ、寧々さん。うちの嫁になるからには、我が前田家の味噌汁の作り方を教えねばならぬのう」
祖母が楽しそうにそう言って、半ば強引に寧々殿の手を引き、厨へ連れて行こうとした。流石にこれは失礼だと思って、止めようとしたが……
「いいのですよ。わたしも久しぶりに、お味噌汁を作ってみたかったし」
意外なことにそう言って、祖母と共に部屋から出て行った。すると、その時父が先程までとは打って変わって、静かな口調で話しかけてきた。
「わかっている。あの方は、おまえの女房ではないのだろ?」
「ち、父上?どうして、それを……」
「おまえたちがさっきから何度もヒソヒソ話をしておるからな。ちょっとだけ、聞き耳を立てておったのだよ。まあ……こうなった以上は、中々言い出せぬ気持ちはよくわかるから、後でわしからも皆には話しておくことにしよう」
「あ、ありがとうございます」
「だが……そうは言ったが、わしとしてはいい加減に身を固めてもらいたいとは思っておる。それで、どうなのだ?寧々殿ではダメなのか?」
「…………」
まさか、利家叔父の妻であるお松殿が良いとは言えず、俺は黙り込むしかなかった。
しかし、父がさらに口を開く前に、台所の方から悲鳴が上がり、それどころではなくなる。父も俺も、そして、この部屋にいた多くの者たちが何事かと駆けつけると、そこには口をパクパクさせて倒れている祖母とその横で狼狽えている寧々殿がいた。
「あの……これは一体?」
「あのね、慶次郎。わたし、普通に味噌汁を作っただけなのよ。おばあさまに教えてもらった内容にちょこっとだけ、手を加えたけど……」
「ちょこっとだけ……手を加えた?」
嫌な予感がして、もう一度何をどう手を加えたのかと訊ねると、寧々殿は白状した。味噌汁の中に塩を握りこぶし大で放り込んだと。
「いや、辛い方が美味しいじゃない?だから……」
「だからじゃないでしょ!味噌汁に大量の塩って、年寄りを殺す気ですか!寧々殿……もしかして、料理は苦手なのですか?」
「うっ!い、痛い所をつくわね……」
でも、こんなに期待されたら、断るわけにはいかなかったと彼女は心情を吐露した。もちろん、悪気があったわけではないし、寧ろ彼女なりの優しさが仇になったのだと理解するが……それでも思う。俺の妻に迎えるのはやめておこうと。




