第210話 信長様は、帰蝶と寧々の御乱行に頭を抱える
元亀元年(1570年)10月中旬 美濃国岐阜城 織田信長
「はあ……随分と羽目を外したようだな、帰蝶。寺からこのとおり、抗議と賠償を求める手紙が届いておるぞ?」
本当にため息が出る話だ。俺が帰蝶に命じたのは、寧々に万福丸と彩の縁組をさり気なく打診して、どう反応するのかを確認するようにということだった。それなのに何だ。二人して酔っ払って池で水遊びをして、さらに飼っていた鯉をどちらが多く捕まえられるか競い合うとは……。
「池の鯉が全滅して、住職が泣いているそうだ……」
「それについては、弁解のしようがありません。誠に申し訳ございませんでした」
平身低頭で頭を下げる帰蝶に、またため息が出た。請求額自体は60貫(720万円)ということなので大した話ではないが、俺の妻が酒乱だという噂が広まるのはちとまずいと思った。ゆえに……
「滝川」
「はっ!」
「今申した寺での乱行は、関係者に金を握らせて、全部寧々の仕業であるという話に変えて、それから噂を流せ」
「あの……そのようなことをして、よろしいのですか?」
「構わん。あれの酒乱は、全国で知らぬ者はいないからな。不名誉な話がひとつ増えたところで、大したことは有るまい。それに、全くの無実というわけではないし、あやつは支払いを全部こちらに回してきたのだ。ゆえに、金を払ってやる代わりに遠慮なくやれ。よいな?」
「ははあ!承知仕りました」
「お屋形様……それはあまりにも寧々に申し訳なく。悪いのは誘ったわたしですし……」
「反論は認めぬ。それが俺からそなたに下す罰だ。今後、この事を聞かれても、知らぬ存ぜぬで貫き通せ。……加えて、今後酒は1合までとせよ」
「……畏まりました」
ふぅ、これで良し。今はこのまま天下を獲れるかどうかの重要な時だ。このような些細なことで躓くわけにはいかないのだ。
「それで、奇妙よ。万福丸と話したのであろう?いかがであった」
「化け物ですね……」
「ほう、それはどういうことだ?」
そう質問を投げかけると、奇妙丸は言った。睡眠時間が1刻半で、残りは勉強時間に注ぎ込むなど何度考えても異常だと。
だが、その答えに俺は思う。この息子は素直過ぎると。
「あのな、奇妙。そのような与太話、真面目に聞く奴があるか」
「え……?与太話だったのですか?」
「決まっておろう。そのようなことが通常の人間にできるはずがなかろう」
「しかし……半兵衛は」
半兵衛?ああ、竹中半兵衛か。確かに『今孔明』と呼び声が高い奴ならば、それくらいのことはしてのけるかもしれぬが、そんな化け物がそんなに多くいてたまるか。
「……まあ、ある程度は核になる話があっての脚色だろうが、万福丸はまだ8歳だ。精々睡眠時間は2刻半(5時間)から3刻(6時間)、残りの内7分方が勉学に励む時間ということだろうよ」
「ははは……なんだ。それなら、某はからかわれていたということですか」
いや、からかってはいないだろうなと俺は思う。奇妙は織田家の嫡男なのだ。そのような危ういことをするとは思えない。
「おそらくだが、少し話を盛ったのは、見栄を張りたかっただけであろう。まだ8歳だから、おまえも大目に見てやれ。それで……伝えたのだろうな?おまえが俺の跡を継いだら、片腕になって欲しいと」
「ええ、それは。しかし、父上。先程のお話を差し引いたとしても、頭の回転は異常なまでに速いように感じました。果たして、某にあのような化け物を使いこなすことができましょうや?」
「使いこなせなければ、織田の天下はそこでお終いだ。ならば、その方はそうならぬように、文武何れの道もこれより努力することだ。万福丸に負けないようにな」
「なるほど、承知しました。では、万福丸殿に負けぬように精進いたします」
こちらもこれでいいと思う。奇妙の良き所は、このように向上心を持って努力を惜しまない所と、人を妬まない所だ。俺が天下を平定してから引き継げば、きっとよき2代目となるであろう。そこに天才肌の万福丸が補佐として加われば、奇妙の政権は盤石だ。




