第209話 万福丸は、妹のやんちゃに策を講じる
元亀元年(1570年)10月上旬 尾張国清洲 斯波万福丸
奇妙丸様が何か自分に話したいことがあるということは、何となく気づいていた。だから、こうして東屋に連れ出したのだが……緊張しているのか、それとも何かしら迷いがあるのか。中々話を切り出してはくれない。
だが、そうしていると、さっきまでいた母屋の方から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。何となくだが、母上はどうやらお酒を飲み始めたのだと思った。
「莉々姫?何をなさっているのですか?」
そして、その母屋の方に視線を向けていると、突然、奇妙丸様の声が聞こえた。振り返ると、莉々が懐から矢立と紙を取り出して、何かを書いているのが見えた。
『はんべえへ。10月7日おひるすぎ。母上がおさけをのんでいました。やくそくをやぶるとは、とんでもない女ですね。どうか、おしおきくださいませ。りり』
「「…………」」
覗き込んだ先に書いている内容に何とも言えなくなって顔を上げると、偶然にも奇妙丸様と目が合った。おそらく、これは何だろうとボクと同じように思ったはずだ。どちらからともなく、共に笑い出した。
「お、お兄様!?それに、奇妙丸様まで!何で笑うの!?」
「いや、だって真面目そうな顔をして矢立と紙を取り出したから、てっきり歌でも読むのかと思ったら、これだろ?普通、笑うだろ。なあ、万福丸殿」
「ええ、奇妙丸様のおっしゃられるとおりですね。莉々、君は一体何をしているのかな?バレたらまた怒られるよ?」
「バレないように送るもん!」
いや、この場にいる浅井の関係者は、他にボクと慶次郎だけだ。それなのに、こんな物を送れば、すぐに莉々が犯人だと特定されるだろう。少し考えればわかると思うのだが、こうやって自信満々に言われると、正面から否定するのは逆効果だ。ゆえに、小細工をしてみる。
「奇妙丸様。貴殿に随行している家臣の名で、若狭にいる半兵衛に送ってくれませんか?このままだと、帰ったらこの妹が向こう1年間外出禁止の上、毎日朝から晩までお歌やお琴に精進しなければならないというお仕置きが待っているかと思うと、些か不憫なので」
「え……?お兄様、そのお仕置きって、冗談……ですわよね?」
「いや、ほぼ間違いなくそうなると思うよ。だから、奇妙丸様にこうしてお願いしているんだ。もっとも、それでも高い確率でその筆跡から、莉々が送ったってバレると思うけどね……」
さあ、これでどうすると思っていると、莉々は書いていた紙を破り捨てた。自分が勝算無き戦いに、身を投じようとしていたことに気づいたようで、ボクとしてもホッと胸をなでおろした。
すると、奇妙丸様は眉間を指で押さえて訊いてきた。「何なの?今のやり取りは」と。
「すみません。妹の愚かな挑戦を諫めるために、奇妙丸様の御名をお借りしました」
「いや、それはいいが……どうしてそのように回りくどく言う?ただ、『ダメだ』、『やるな』と命じれば良いのではないか。そなたは兄なのだろう?」
「それではきっと、仮にその命令に従ったとしても、妹は納得しないでしょう。またボクの前で同じことをすれば、止めようもありますが、居ない所でされたら庇いきれませんから」
だからボクは、命令ではなくて本人が理解するように仕向けたのだと奇妙丸様に説明した。無論、このような回りくどいことは誰に対してもできるものではないが、少なくとも莉々のことはわかっているので通じると信じていたと付け足すと、奇妙丸様は「凄いなぁ」と呟かれた。
「奇妙丸様?」
「いや、道理で父上が嫁がせる娘を作ってでも、息子にしたいと思うだけあるな。万福丸殿は……」
「御冗談を。ボクはそこまで大層な人間ではありませんよ?」
本当にそうだ。ボクは全然特別じゃないんだ。毎日、睡眠時間の1刻半(3時間)以外を勉強に注ぎ込めば、誰だって……。
「だから、そんなことできる奴がいるかよ!」
「え?だって、半兵衛が……」
「あれも化け物だろうが!常人と一緒に数えるなよ!」
奇妙丸様は、声を大にしてボクに訴えるが、果たしてそうなのだろかと思う。しかし、その事を言ってもきっと理解してはくれないこともわかるので、この話はここまでにしようとした。しかし、莉々。なんでそんなに嬉しそうにするの?
「だって、お兄様が褒められているんだもん!妹として鼻が高いわ!」
ああ、何と可愛い妹なのだろうか。ボクはいつものように、頭をなでてあげた。目の前で奇妙丸様が奇妙そうに見ていることに気づかずに。




