第199話 寧々さん、樋口を仲間に加える
元亀元年(1570年)7月上旬 近江国坂田郡 寧々
お稲殿との話し合いは、今後半兵衛の延命計画に協力することで合意を見て、わたしは彼女と共に樋口殿が待つ部屋へと向かった。
なお、何をどう協力するのかは、主に薬の原材料を調達することらしいが、中には手に入り辛いものもあるらしい。しかし、そのときは信長様にお願いしようと思う。たくさん、貸しを作っているわけだし、きっと断られはしないだろう。
「それで、具合はどうなのですか?」
そして、部屋に入るなり、わたしは思考を切り替えて、樋口殿に訊ねてみる。さっきの様子を見れば、聞くまでもなく元気そうではあるが、一応は念のために。
「大丈夫です!もうこの通り、元気ですので今すぐにでも出立を!」
すると、やはり想像通りの答えが返ってくるが、それを聞いたお稲殿が「わたしもついていくことにしたから」と言えば、忽ち顔色が青くなった。どうやら、治療と称して、色々な薬の実験体にされていたようだ。かつて、同じ理由で暇乞いを願い出たときの孝蔵主の顔と重なった。
「お稲殿、どうやらもう元気になったみたいなので、お薬の投薬は……」
「そう?別に怪我は治っても、イモリは体にいいのに……」
イモリ!?そんな物を飲ませていたのかと驚いて、わたしはお稲殿を見ると、「漢方薬よ」と言ってきた。ただ……それは樋口殿も知らなかったようで、今にも吐きそうな顔色をしていた。
「こほん!ま、まあ……お薬のお話はこれまでにして、樋口殿。すでにご存じだとは思いますが、堀家は……」
「すみません。某の力不足で寧々様を始め、浅井家の皆様にはご迷惑をおかけしました。亡き遠江守様にも申し訳なく……」
肩を落として、絞り出すように声をつなぐ樋口殿からは、無念な思いが十分に伝わってきた。 だからこそ、少しでも励まそうとわたしは言葉を伝える。
「そのことはお気になさいませぬように。その遠江守様の遺命を守らず、あなたを排除しようとした連中が全て悪いのですから」
ちなみに、堀家改易に際して、樋口殿を襲撃した一味の者たちは、全員謀反人として、一族揃って斬首に処されている。もちろん、そのことを伝えたところで何の慰めにはならないだろうが、少なくともこの人に改易の責任があるとは、亡き遠江守様もおっしゃりはしないだろう。
だが、その思いは果たして伝わったのだろうか。樋口殿は「気を使っていただきありがとうございますが、責任は家老の自分にあるから」と口にした。ならば、このことをこれ以上話しても、きっと想いが交わることはない。
「それで、今後の話なのですが……」
ゆえに、わたしはそう判断して、これからの話として樋口殿に我が家への仕官を勧めた。次郎殿を竹松のお側付にしたので、それを支える傍ら、うちの人の手足になってもらいたいと。
「気持ちの整理がつかないのであれば、すぐの回答でなくても構わないわ。でも、うちの人は、あなたに是非来てもらいたいと」
「大蔵大輔様が?」
間違った話でも、大げさな話でもない。政元様は、内々の話ができる人として、樋口殿を求めているのだ。その役割は、あとからやってきた半兵衛にはどうやら務まらないようで、遠江守様が亡くなった今となっては、昔からよく知る彼にその役目を頼みたいと仰せであった。
「どうです?考えてはいただけませんか」
「……わかりました。大蔵大輔様にそこまで請われたら、断れませんな。謹んで、そのお役目をお引き受けしたいと思います」
これで、話はまとまり、樋口殿……いや、三郎兵衛は、正式に我が若狭浅井家の家臣となった。先程も言った通り、初めは政元様の相談相手のような役目だが、いずれは半兵衛、慶次郎に次ぐ家老の職に抜擢するつもりだと内々には聞いている。頑張ってもらいたいものだ。
「さて、これで話もまとまったわけだし、そろそろ帰るわよ。引っ越しの準備もしなければならないから忙しいわよ!」
そうなのだ。帰ったら越前に向かうための準備をしなければならない。三郎兵衛とお稲殿は若狭に向かうことになるだろうが、他の者はわたしと共に今月末までに府中に入ることになる手はずであった。
 




