第192話 守護様は、やはり権力奪還を目論む
元亀元年(1570年)6月上旬 近江国上平寺城 京極高吉
当初、浅井が越前に遷ると聞いて、我が京極家はどうなるのかと心配したものだ。共に越前に来てくれも言われないし、ここに残って今後は織田の庇護を受けよという話もなく、ゆえに……長政の奴、絶対に忘れているだろうとその無礼に苛立ちもしたものだ。
しかし、蓋を開ければ、こうしてこの北近江の国人領主たちが余の元を日参する事態になっている。その数は大小20家近くに上り、もし挙兵しようものならば、たちどころに千や二千は集まるだろう。ふふふ、どうやら運が開けてきたみたいだ。
「それで、お屋形様。如何なさいますか?」
「黒田……如何なさいますかとはなんだ。ここまで来たら、挙兵するしかあるまい?」
「まことにお立ちになるおつもりで?勝ち目がおありだと思われているのですか?」
家老の黒田伊予守が暗に反対する言葉を述べるが、こうして国替えに不満を持つ連中が余の元に駆け込んでいることは、すでに長政も知っているはずだ。だから、勝つか負けるかではない。やらなければこちらがやられる羽目になるのだ。
「心配するな。阿閉も田屋も余に同心するとこの通り、密書を送って来ておる。小谷に近づいたら裏切り、長政の背後を襲うとな」
「……信じられますかな?ご不興を買うことを承知の上で申し上げますが、その二人は蝙蝠のような男。こちら側が不利と見れば、あっさり知らぬ顔をするのでは?」
「無論、そのことは余も考慮に入れてある。だが、こちらが有利な情勢で小谷に迫れば……この密約を必ず履行しようとするのではないか?」
「それは……そうかもしれませんが、その有利な情勢はどうやってお作りになるつもりで?磯野も堀も、此度の国替えには賛成するということではありませんか」
「堀は当主が幼いから、まだ付け込む余地がある。家老の樋口さえ、亡き者にすれば、話の分かる者も多くいるはずだ」
「なるほど。つまり、樋口三郎兵衛を始末する段取りを着けておられるのですね?」
「そうだ。方法は密を要する故、今はまだ言えぬが……遠からず、あの者はあの世に旅立つことになるであろう」
堀の家中には、樋口の専横を憎む者も少なからずいるようで、その辺りは側近の山田大炊助が上手く付け込んで、暗殺計画を準備中だ。そして、堀がこちらの味方になれば、元々磯野は国替えに反対していたのだ。こちらの味方になってくれるだろう。
「ただ……」
「まだなんぞあるのか?」
よし。これでこの黒田を言い負かせることができたと思いきや、その黒田は別の懸念を余に示した。それは、浅井に勝ったとしても、その後はどうなるのかということだ。
「義弟である長政が死ねば、織田が黙っていないかと。その場合、どうするおつもりですかな?仮にこの北近江の全てを手に入れたとしても、今度こそ敵う相手ではないかと思いますが?」
「あ……」
そうだ。勝った後のことを失念していた。しかも、浅井は若狭にも居て、例え長政とその係累を小谷で皆殺しにしたとしても、浅井が滅びることはなく、この北近江は浅井派と京極派に分かれて内乱。そこに織田が来るのだから、勝ち目はないと認めるしかなかった。
「ど、どうしよう……伊予。もう、皆に挙兵するって言っちゃったよ……」
「だから言ったではありませんか。もっと慎重にお考えになるべきであると。まあ……今更それを申し上げても仕方ありませんが……」
黒田は大きなため息をわざとらしく吐いて、その上で余に進言した。「かくなる上は、せめてお血筋だけでも残る算段をなされるように」と。
「小法師様と竜姫様を京の公方様に託しましょう。その際、この京極家の家宝をいくつか献上すれば、無下に断られることは有りますまい」
「それは、そうすればよいと思うが……余はどうなる?助かる道はないのか?」
「ございませぬな。それは、お屋形様も御承知でしょう」
ここまで派手に動けば、最早勝つか負けるかではなく、やらなければこちらがやられる羽目になるのだからと、黒田は言った。それは、自分も思っていたことなので理解もするが……同時に絶望もした。しかも……
「小法師様と竜姫様の事は、某が責任をもって公方様に談判して、お守りいたしますゆえ、どうか心置きなく!」
どうやらこの黒田は、余を見捨てて逃げるようであった。酷い話である……。




