第190話 寧々さん、評定に初参加する
元亀元年(1570年)5月下旬 近江国小谷城 寧々
ついに、浅井家の重大事を決する評定の時がやってきた。わたしは、政元様の代理として、長政様から見て左の列の一番近い所に座る。すると、何も聞かされていない方もいるようで、下座の方から騒めきが聞こえた。
「殿のお成りにございます」
しかし、その騒めきも束の間。長政様がこの広間に姿を見せると落ち着いたようで、筆頭家老である赤尾様の仕切りで評定は始まった。議題はもちろん……越前の国替えの件だ。
「越前に遷れば、その先の加賀、能登、さらに越中へと進むことができる。さすれば、皆に多くの領地を与えることができるはずだ。無論、この故郷を去るのは忍び難いが、これも浅井が大きくなるためには必要な事であると俺は考える……」
こうして、まずは長政様が表向きの意見を表明されて、各々の意見を求めた。すると、真っ先に賛成したのは赤尾様と雨森様のお二方だった。
「殿がそうお決めになられたのであれば、家臣として従うのは道理でしょう」と。
そして、これに磯野殿や安養寺殿ら根回し済みの方々がこの言葉に賛同し、それを形勢が傾いたと判断した井口殿や宮部殿ら態度を明確にしていなかった連中も彼らに続いた。
「田屋の伯父上、阿閉はどうか?もしかして、反対なのか?」
そのやり取りを見て、上手いと思った。これならば、数に圧されてこの二人も賛成せざるを得ない。
「も、もちろん……」
「阿閉は?」
「さ、賛成にございます」
「よし。これで、国替えの儀は一同同意の上で行うということだな。実にめでたき限りだ」
長政様は嬉しそうにそう言い放ち、続けて国割の説明に入った。
「大野郡勝山城に赤尾美作守を配置し、飛騨及び美濃方面の防衛を任せる。なお、石高は5万石とする」
「ははぁ!謹んで拝命いたします」
「続いて、敦賀郡金ヶ崎城に雨森弥兵衛。石高は3万石とする」
「ありがたき幸せにございます」
「なお……雨森家は、若狭浅井家の与力とし、付け家老とする」
これは、弥兵衛殿の婿・清兵衛殿がうちと関係が深いことを考慮しての人事だ。つまり、これで我が若狭浅井家は事実上、11万石を差配できる立場となったわけだ。
「磯野丹波守。その方には、坂井郡のうち3万石を与え、対加賀方面の要とする。丸岡辺りに新たな城を築くように」
「承知仕りました。この丹波がある限り、加賀の一向宗は攻め込ませませんからご安心を!」
これで、越前の主要な3か所の人事が発表されて、以後は粛々と誰がどこにどれくらいの身代でと告げられていく。この場にいる評定衆の面々は、大体1万石から3万石の間で、意外にも反抗的であった田屋殿と阿閉殿にも、それぞれ3万石が与えられていた。
ちなみに、樋口殿が仕える堀家の新領地は……三国湊に近い本庄城に3万石であった。
「それで、殿。新たな居城はいずこに?」
こうして、主だった家臣たちの国割の説明が終わったのを見て、赤尾様が長政様に訊ねた。朝倉の本拠地として長く栄えた一乗谷は一部が焼けているものの、使えないわけではないと聞いているが……
「ひとまずは、府中城に入るが……いずれ、北の庄に新たな城を築くつもりだ」
長政様は、自らの方針としてそう言い放った。但し、その名前を聞いてわたしの心はざわついた。
「北の庄……ですか?」
「ん?寧々殿は反対なのか?」
「あ……いえ、反対ではないのですが、少し気乗りがしないというか……」
「……寧々殿。それを人は反対と言うのではないのかな?」
そう言われたらそうだなと思い、わたしは素直に謝ることにした。ただ……北の庄は、前世で落城したし、その後に入った秀康の家でも、跡を継いだ息子が錯乱したとかで、縁起が悪いという印象がどうしても拭えない。
もちろん、そんなことは口にするわけにはいかないが……。




