第184話 信長様は、金ヶ崎の裏切りを乗り越えて
永禄12年(1569年)3月下旬 越前国金ヶ崎 織田信長
この城を奪還しに来た朝倉勢2万を追い返して、俺は宴で左京大夫と酒を酌み交わしている。
「いやあ、義兄上のおかげで勝つことができました。此度の援軍、忝く存じます」
そして、左京大夫はこうして悉く俺や我が軍の将兵を讃えるが……俺は知っている。この戦、浅井の自力だけでも勝てたということを。何しろ、朝倉勢は寝返り者が続出して、まともに戦うことすらできたか怪しい所だ。きっと、半兵衛辺りが策を弄したのであろう。小賢しいことだ。
「義兄上?」
「……ああ、済まぬ。少々考え事をしておった。しかし、これからどうする?我らは北畠との決着を着けなければならぬから、あまり長くはこちらに居られぬのだが……」
「無論、その事は承知しております。従って、此度の戦はこの勝利をもって終了として、我らも南伊勢侵攻に加わりたいと存じます」
「ほう、浅井勢も加勢してくれるか」
主上から俺を支えるようにというご宸筆を賜ったのは知っていたが、ここまで従順に支えてくれると嬉しくもなるし、この義弟を可愛くも思う。だから、何か欲しいものはないかとこの義弟に訊ねてみた。金でも刀でも茶器でも金平糖でも、何でも言ってみろと。
「では……」
左京大夫はそう前置きして、「お耳を拝借」とその願いをぼそぼそと囁いた。だが、それは思いもよらぬ驚く内容で……
「左京大夫殿、お主……本気でそのようなことを言うておるのか?」
……と、つい訊き返してしまった。もしかして、からかっているのか、あるいは酔っ払って正気ではないのかとも疑うが、半兵衛も大蔵大輔もこちらの様子を窺っているのも見えて、覚悟の言葉だと理解した。
しかし……朝倉が滅亡した後の仮定話とはいえ、越前一国を丸ごと浅井に渡す代わりに、北近江を我が織田に引き渡すことを申し出るとは、豪胆だと思う以上に、何を考えているのか理解が追い付かない。そう思っていると、再び左京大夫は俺の耳元で囁いた。
「国替えによって、配下の国人領主たちへの支配力を強化するのが目的です。このままでは、浅井はいつまで経っても、国人領主連合の代表という立場から抜け出すことができませぬゆえ……」
つまり、国人領主が持つ領地と民は、浅井家から与えられたものではなく、先祖伝来受け継がれたものだが、それを国替えによって浅井家から与えることで、今後は主従のけじめをつけるということなのだろう。
その答えを聞いて、俺は見事な考えだと感心したが、この場では「考えておく」とだけ返すに留めた。下手を打てば浅井は大混乱に陥り、滅亡しかねない手となり得ると考えたからだ。やるならば、慎重に準備を行う必要がある案件だ。
それは、この左京大夫も……そして、下座に座る半兵衛たちもわかっているはずだ。それに、全ては朝倉が滅んでからの話であって、今すぐの話ではない。きっと、そう考えているので、俺にも心づもりをしておいて欲しいということだと理解もした。
(それにしても……)
この話題はこれまでとなり、再び笑顔で酒を酌み交わすが、この左京大夫の変わり様は驚くべきものだと俺は思った。唐土に『男児、三日会わざれば、刮目してみよ』ということわざがあるが、どうやらこの男は寧々がもたらしたご宸筆のおかげで、一皮も二皮も剥けて、人として成長したようだ。
それゆえに、先程は「考えておく」と言ったが、関西特有の『お断り』の意味ではなく、その時が来れば認める方向で対応を行うつもりだ。
(しかし、そうなると……朝倉攻めは我が織田が積極的に兵を出さねばならないということか……)
これで、万が一にも浅井が朝倉を攻め滅ぼしたなら、この国替えは成立しなくなるのだ。そうなれば、北近江が手に入らないだけでなく、織田の面目は丸つぶれになるだろう。俺の威信にかけても、それだけは避けなければならない。
すると、そのとき半兵衛がこちらを見て、薄っすらと笑ったような気がした。
しまった!どうやら、これは孔明の罠だ……。
(第3章 金ヶ崎編・完 ⇒ 第4章 越前編へ続く)




