第181話 敦賀郡司は、進退窮まり寝返りを決める
永禄12年(1569年)1月下旬 越前国敦賀 朝倉景恒
もちろん、わかっている。これから俺がしようとしていることは、朝倉家への裏切りであり、亡き祖父宗滴様の名誉に泥を塗る行為であることは。
「朝倉中務大輔にございます。今日は態々の来訪、忝く存じます」
「浅井大蔵大輔にござる。こちらこそ、このような場を持つことができて嬉しく思います」
だが、先年の兄・孫九郎の愚行により、人材・兵力共に大きな損失を被った上で、トドメとばかりに我が家中の主だった者たちの内応を示す密書をこうして披露されては、もはや手の打ちようがなかった。
これらを証拠にその者らを罰すれば、戦う前に内から崩れるだろうし、見なかったことにしても、戦の際に寝返られていずれにしても、当方は滅亡するしかない。本当に、敵ながら見事というしかないお手並みだ。
しかも、極めつけは、もしそれを一乗谷に知らせて援軍を頼んだとしても、ほぼ間違いなく式部大輔が邪魔をして見捨てられるとわかっていることだ。それならば……
『朝倉は、結局身動きが取れないまま、潰れるだろう。その前に、せめて血脈を残す算段をしておいた方がよいのではないか?』
……などという、半兵衛殿の甘い誘惑の言葉は、断ることなどできない毒であった。そのため俺は朝倉を裏切って、浅井に従う道を選ぶことにした。
「それで……降伏の条件ですが……」
朝倉の血脈を残すために、義景亡き後の朝倉家の家督相続を認めてもらうことは当然だが、加えて金ヶ崎城と敦賀の安堵を俺は願い出た。それさえ認められたら、他に何も言うことはないと。しかし……
「中務大輔殿。それはお止めになられた方が良いかと思いますが?」
薄ら笑いを浮かべて半兵衛がそう答えて、俺に翻意を求めた。本領安堵は一見良いように思えるが、実は毒饅頭になりかねないと彼は言った。
「それは……?」
「お分かりになりませぬかな?降伏をされたら、この敦賀が最前線になります。さすれば、我らとしては、いつ裏切るかわからない貴殿を使い潰すしか選択肢はありませんよ」
それでもいいのであれば、認めてもいいと言われて、俺はその申し出を引っ込めた。それでは、朝倉の血脈は残らず、不義理を働く宗滴様に対して、いよいよもって申し訳ないことになると考えて。
すると、半兵衛殿は「よろしい」と、1通の封書を前に差し出してきた。そして、開けて見るとそこには、一先ず若狭国の国吉城と周辺1万石を与え、越前平定後に敦賀は返却するとあった。
(まあ……越前平定後に返却するというのは話半分に聞いておいた方がよさそうだが……)
そうなると、実質は国吉城と1万石の条件を吞むかどうかだ。ならばと、今度は俺が追加条件を求める。この条件を呑む代わりに、越前攻めの軍からは外してもらうということを。新しい領地に移るのだ。治めるためには少なからず時間は必要だ。
「使い潰す選択肢を取られないというのであれば、受け入れられますよね?」
「そうですね、問題はないかと。では、それでよろしいでしょうか?」
「はい。承知しました」
こうして、話はまとまり、俺は……敦賀郡司家はこれで完全に朝倉から離れて、浅井へ寝返った。いずれ、このことは義景がいる一乗谷にも伝わり、討伐の軍勢も差し向けられるだろう。それゆえに、城の引き渡しは速やかに行う必要が生じる。
「兵は3日後に国境を越えて金ヶ崎城に送ります。その際、城の明け渡しは速やかにお願いします」
「承知しました」
宗滴様以来、4代に渡って治めてきたこの敦賀を離れるのは忍びないが、これも戦国の習いだと自分に言い聞かせて、これで会見を終えて俺は城に向かう。
しかし……浅井に降伏をすると言えば、家臣の皆はどのような顔をするか。まさか、自分たちがすでに寝返っているのだ。反対などするはずもあるまい。いや……もしかして、自分が裏切り者であることを隠すために、あえて反対するように見せかけるのだろうか。
なんだか、そう思うと笑えてきて……幾分ではあるが、気持ちの上にのしかかる重たい物が軽くなった気がした。皆で裏切るのだ。何も怖くはないと。
 




