第173話 寧々さん、また政変に巻き込まれる (4)
永禄12年(1569年)1月上旬 京・本国寺 寧々
その軍勢は、紛れもなく浅井の軍勢だった。
「え……?これは、寧々様!」
そして、わたしの姿に気づいたのだろう。先頭集団の中心にいた磯野殿が馬を下りて、こちらに向かってくるのが見えた。だから、わたしも下馬して迎えることにした。
「それにしても、どうして浅井の軍勢がここに?」
「それが……」
何とも言えないような苦笑いを浮かべながら、磯野殿が語るには、年末に勅使が小谷に来て、左京大夫に任じられた長政様は、そのお役目を果たすために上洛すると急遽言い出したそうだ。左京大夫は確かに京を守護する役職ではあるが……
「それって……」
「はい。十中八九、勘違いなされておいでです」
与えられた官位は、あくまで名目上のものなので、本当に在京する必要はなかったのだが、長政様はそうとは取らなかったらしい。もっとも、それがわかっているのなら、何で止めないのかと思うが……猪突猛進な殿の性格を思えば、どなたの言葉も届かなかったことは容易に想像がつくし、今の状況ならば、来てくれて正解かもしれない。
「それで、殿は?」
「間もなくこちらに来られると思いますが……あ、来られましたな」
わたしが見る限り、浅井の武名を天下に轟かせるには、今は絶好の機会だ。長政様が義昭公に拝謁して、共に轡を並べて三好の残党を征討する。そうすれば、誰も軽くは見ないであろう。そういう絵図を描いて、わたしは思いっきり手を振った。
「寧々殿?何でここに……?」
「それは後で説明します。それよりも……」
先程の磯野殿と同じく、長政様も不思議そうにされてはいたが、わたしは構うことなくその手を引き、義昭公の下へ連れて行った。
「上様、北近江より我が義兄、浅井左京大夫が罷り越しましてございます」
「浅井?」
義昭公は先程と変わらず、馬のことを巡って明智殿と言い争っていたが、長政様とその背後の軍勢を見て、表情を一変させて喜んだ。そして、わざわざ膝を折り、その手を両手で握りしめて言った。
「浅井よ。よくぞ余の一大事に駆け付けてくれた。この義昭、その方の忠義をまこと嬉しく思うぞ!」
「ははあ!ありがたき幸せにございます!」
浅井は前回の上洛で左程の活躍はしていないと、この京に来て耳にしたことがあった。しかし、これならばその評判をここで一気にひっくり返るだろう。そして、思惑通りに義昭公と長政様は轡を並べて、この本国寺を発たれることになった。
「皆の者!我らは恐れ多くも、公方様を守護する正義の軍勢であるぞ!そのことを心に刻んで……全軍、進めぇ!!」
「「「「「おう!」」」」」
無論、その軍勢にはわたしも加わる。長政様からは念を押すように、「後で説明しろよ」と再び言われたが、取りあえずそれは全て後回しだ。すると、明智殿が近づいてきてわたしに囁いた。「全部、寧々殿に持って行かれましたな」と笑って。
もちろん、それは決して悪気のある言葉ではないと理解したが……わたしは、はっと思い出した。
(そういえば……明智殿が信長様に引き抜かれるきっかけになったのって、この戦いで活躍したことが評価されたからだったような……)
そして、改めて今回の一件を思い返してみると、活躍したのはわたしや慶次郎、それに今こうして駆けつけてきた長政様であって、明智殿と言えば、義昭公と共に米蔵に隠れていたという印象しか残っていなかった。
(あれ……これって、明智殿の出世の目を潰しちゃった?)
「ん?どうかされましたかな?」
「いいえ……何でもありませんわ」
わたしは、咄嗟に取り繕ってそう答えはしたが、内心では申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ただ……そう悩んでいるうちに、もう一つの事実にも気が付いた。それは、明智殿が出世しなければ、本能寺の変は起こらないということだ。
(これって、どうなるの?)
前世と違う展開になりつつある現状にわたしは、今は傍にいない半兵衛の知恵を借りたくなるのだった。




