第170話 日向守は、あっさりと退場する
永禄12年(1569年)1月上旬 京・本国寺 三好長逸
後続が徐々に追いつき、本国寺を囲む兵の数はどんどん加速的に増えていく。もうすぐだ。もうすぐ、我ら三好がこの京を奪い返せるのだ。義昭さえ討ち取りさえすれば……
「殿。相国寺に居たとみられる周暠様……あと、怨敵・寧々は、間違いなくこの寺に籠っているそうです」
「なに!?寧々がここにいるだと!」
だが、そのように気持ちを高ぶらせている最中に、家老の坂東大炊助からその言葉を聞いて、咄嗟に久介の顔が浮かんだ。そうか、ここに仇がいるのか。そう思うと、もう義昭のことなど、一瞬どうでもよく思えた。
(いかんな。大将が冷静さを失えば、勝てる戦も危うくなりかねぬ……)
そして、そう思って心を落ち着かせていると、釣竿斎殿と石成殿も到着したようだ。彼らの軍勢は、裏門と東門の方面に展開する手はずとなっており、そちらの方角にはその旗印も見えた。ならば、始めるのにためらう必要はない。
「全軍、かかれ!」
儂は采配を振り下ろして、号令を下した。すると、甥のジョアンを中心とする先鋒隊が威勢よく正面の表門を攻撃しようと進み始めた。この戦で手柄を立てたら、養子に迎えて後継者にしようと考えているのだが……その出で立ちを見て、儂は眉をひそめた。
「なあ、ジョアンのあの姿……一体何なんだ?目が悪いわけでもないのに眼帯を左目に着けるわ、背中に羽を付けるわ……」
挙句の果てに、「進め!我が眷属たちよ!ここは、悪魔の館だ。破壊せよ!蹂躙せよ!」……などと、わけのわからない言葉を並べて、兵たちの失笑を買っている始末だ。誰か、ああなる前に止めなかったのかと、儂は坂東に訊ねた。しかし……
「殿……ああなってしまっては、最早手遅れかと……」
坂東は首を左右に振りながらそう言って、儂にも諦めるように求めた。どう申し上げても、行状は一向に改まる気配はなかったとして。
「そうか。あれはダメか……」
「御意にございます」
信頼する坂東の言葉に落胆して、思わずため息を吐くが、そのとき門が開かれて……ジョアンに負けず劣らず変な格好をしている男が姿を現した。ただ……真っ赤な鎧を纏い、その上にしゃれこうべが刺繍された虎柄の陣羽織を羽織る男を知らぬ者は、我が軍にはいない。
「前田……慶次だ……」
「なんで、また現れるんだよ。こんなの反則だろ……」
「やだ……胴体から真っ二つなんて、おいらやだよ……」
(いかん。兵の士気が落ち続けている。何とかしなければ……)
だが、そう思っていると、その前田慶次の前にジョアンが立ち塞がった。
「馬鹿な!あいつ、何をやっておるか!?」
「おい、おっさん!誰だか知らないけどさ、警告しておくぜ。俺の邪眼が今にも暴れそうなんだわ。だから、死にたく…なかっ…た……ら……」
問答無用の瞬殺だった。宙を舞う首が数秒の間言葉を繋いだが、それもやがて途絶えて、ポトリと兵たちの前に落ちてきた。
「ひ、ひいぃ!!!!!」
「出た!し、死神だぁ!!」
「殺される!きっと、殺されるぅ!!」
数では圧倒しているはずなのに、ジョアンが率いた先鋒隊を中心に恐怖は周囲に伝染していく。しかも、そこに本国寺の屋根から銃撃が加えられて、我が軍は忽ちのうちに総崩れの様相を呈した。
「ええい、落ち着け!我が方は敵の5倍はおるのだぞ!!普通にやれば、勝てる!!だから、立ち向かえい!!」
数では圧倒しているのに、どうしてこんなことになるんだと、心の内で思いながらも、このままではまずいと思って、儂は前に出て、あらん限りに声を張り上げて兵たちを鼓舞しようとした。
だが、それは失策であった。そのせいで儂の姿は、敵に捉えられてしまったようで……
ダーン!
「うぐっ!?」
「殿!?」
坂東の慌てる声が聞こえたが、体から力が抜けて、儂は崩れるようにその場に倒れた。
「殿!しっかりなさって下さい!殿!!」
大丈夫だ。なんともないと言いたいのだが……口から次々と血が溢れて、言葉を吐きだすことはできなかった。それゆえに、気づいた。どうやら儂は撃たれて致命傷を負ったのだと。
そして、わずかであったが屋根の上から儂を討った者の姿が見えた。だが、それは女で……
(くそ……どうやら、儂もあの女に……)
次第に遠ざかる意識の中で、儂は久介に詫びた。仇を討つどころか、親子そろってあの世送りにされる間抜けな儂を許してくれと。だが、答えはなく……。




