第158話 寧々さん、周暠様に宿を借りる
永禄11年(1568年)11月上旬 京・相国寺 寧々
「ほう……兄上からは御名をお聞きはしておりましたが、あなたが寧々様ですか」
ここは、相国寺の中にある鹿苑院。対面に座るのは、義輝公の弟君であらせられる周暠様で、わたしは念のためと義輝公より受け取っていた書状を差し出した。中には、「行き場所がないようなので、泊めてやってくれ」と……要約するとそう書かれている。
「わかりました。しかし、ここに来られたということは、やはり近衛邸には入れませんでしたか……」
「はい。どなたさまの手の者かは存じませぬが、兵が門を固めて中に入れてくれません。仮にも近衛様は関白だというのに、これはどうしたことなのでしょうか?」
そう、謹慎させられているとは義輝公から聞いていたが、あの厳重な固め方は異常に思えた。まるで、罪人がどこかに逃走しないかのような……。
「実は、近衛様に纏わる噂として、堺に逃走して三好らに合流する、あるいは三好らが近衛様を攫うという噂があるのですよ」
「それは……真なのですか?それであのような物々しい状況に?」
「わかりません。何しろ、そう言われているのが近衛様と何かと対立しておりました二条の太閤殿下ですからね。もしかすると、そうは言いつつ朝廷から近衛様を排除しようとあのようなことをしているのかもしれませぬし……」
「なるほど……」
確かに以前京に来たとき、近衛様のお屋敷に多くのお公家衆が茶の湯や歌会でお集まりになられていたが、二条太閤様は一度もお見えになられなかった。それゆえに、周暠様のお話はあながち間違っていないのかもしれない。
しかし、そうなるとわたしとしては困ってしまう。近衛様がこのようなことになってしまった以上、参内するためには別のお方の協力が必要なのだが、あいにくあの時に知己を得た公家衆たちも近衛様と同じように謹慎、あるいは二条様に寝返っている様子で会うことはかなわなかったのだ。
(こうなるんだったら、あのとき従三位の位階を貰っておくべきだったわね……)
もし貰っていたら、誰彼の援けなど必要なく、直接内裏に赴いて帝にお目通りを願うことは可能だったはずだ。無論、そんなことを今更言っても仕方はないが、「失敗したな……」とわたしは思う。従四位下では、そのようなことはできないのだから。
「寧々殿?」
「ああ、すみません。少々考え事をしておりました。まあ……主上への拝謁については、手立てを考えてみます。そういうことなので、しばらくお世話になっても構いませんか?」
「それは構いませんよ。わたくしも、寧々様の武勇伝をぜひお聞きしたいと思っておりましたので」
「何でも古の巴御前の如く、二条御所で敵を容赦なく血祭りにあげたのでしょう?」と周暠様に言われて、わたしは恥ずかしくなって苦笑いを浮かべるが……
「周暠様。木下様がお見えになられていますが?」
……という小僧の言葉に驚いて思考を中断することになった。ただ、それは顔に出てしまったようで、周暠様は「どうかされましたか」とわたしに訊ねてきた。そして、どう答えようかと迷っていると慶次郎が背後から囁いた。「折角なので、お会いになられては如何ですか」と。
「慶次郎?それは……」
「寧々様。上総介様が岐阜に戻られたのにこの京にいるということは、木下殿は大層なお役目を与えられているのではないでしょうか?ならば、そのお力をお借りすれば……」
「おお、それは妙案ではないかな。木下殿は今、この京を任されている三奉行のおひとり。先程のお話、慶次郎殿が言われる通り、お力になってくれるかもしれませぬぞ」
本当はそれほど会いたいとは思わなかったが、慶次郎と周暠様の言葉を否定することができないし、わたしは仕方なく会うことにした。そう仕方なくだ。これも浅井家のためだと思って、そう仕方なく……。




