第150話 慶次郎は、友の本音を訊ねる
永禄11年(1568年)7月下旬 近江国小谷 前田慶次郎
賑やかだった祝言の宴が終わり、寧々様や丹波守様を筆頭に集まってくれた方々が家路につく中、俺は半兵衛に声を掛けられて、屋敷の外に出た。加奈には、「少し夜風にあたってくる」とは言ったが、きっと何か大事な話があるのだろう。そんな予感がした。
「それで、どうしたんだ。何か頼み事でもあるのか?」
「ああ……実はな」
そう言って告げられた半兵衛の言葉は、俺にとって承服しがたいものだった。加奈が懐妊したから配慮をしてくれたのだろうが……皆が若狭に行く中で俺だけこの小谷に残れと言うのだ。ふざけるなと言いたくなった。
しかし、そんな俺の心情などどうやら半兵衛はお見通しの様で、「これには、もちろんわけがある」と続けた。
「慶次郎。おまえには万が一の折に、寧々様やお子様方を守ってもらいたいのだ」
「万が一の時?それって、左少将様が上総介様を裏切り、丹波守様が完全に独立した時の事か?」
「そうだ」
「だが、半兵衛。この話は、左少将様とも既に談合済みではないのか?おまえのいう、万が一の時は、寧々様も若様や姫様方も安全にこの小谷を退去させるという約束だったはずだ」
ゆえに、俺は左少将様の事が信じられないとでもいうのかと半兵衛に訊ねた。すると、奴は苦笑いを浮かべる。
「無論、その可能性もないとは言わないが……俺が心配しているのは、寧々様の暴走だ」
「寧々様の?……ああ、なるほど。確かにあの方の性格なら、落城の瞬間まで諦めずに、ここに残って説得しようとするかもしれないな」
何しろ、今日の宴でもそうだったが、寧々様は天下無双のじゃじゃ馬姫なのだ。以前の上洛の時のように、情に絆されたら何を仕出かすかわかったものじゃない。
「つまり、俺の役割はそんな寧々様を……有無を言わせず若狭にお連れすることなのだな」
「理解も手と同様に早くて助かる。まあ……預かり人に手を出すのも早かったのは、流石に俺も驚いたが……」
「よせよ。俺だってまさか加奈と本気になるなんて思っていなかったんだから」
本当にそうだ。俺は松殿のことが好きで、叔父が死ぬまでいつまでも待つつもりだったのだ。
「しかし、後悔はしていないんだろ?」
「まあな。こういう結末は、これはこれで、良かったんじゃないかとも思っているよ」
それは嘘ではない。加奈は気立ても良く、気配りもできるとても一緒に居て心地よい女だ。前の公方様が、あのようなお美しい御台様いるのに、それを差し置いて寵愛されていた気持ちもわかるというものだ。
「ならば、問題ないな」
「ああ、問題ない。こちらのことも、委細承知した。寧々様の事は任せてくれ」
「頼む」
半兵衛はそう言って、話はこれまでと手を振って去ろうとした。だが、その時不意に気になることがあって、今度は俺の方から訊ねてみる。
「なあ……おまえが寧々様に提案したという『下策』のことだが、本当は答えがあるんだろう?」
それは何か根拠のある話ではない。ただ……この天才が、左少将様の矜持をへし折る方法を思いついていないとは、考えられないというのが俺の感想だ。
すると、半兵衛は足を止めて振り向いた。そして一言、「もちろん」と答えた。
「ならば、なぜそれを寧々様に申し上げなかったのだ?」
「言えば、丹波守様にとって利益にならないからですよ」
「丹波守様の利益にならない?」
一体何を言っているんだと思っていると、半兵衛は続けた。左少将様が自分の矜持に拘って自滅してくれた方が、丹波守様のご運が開かれるのだと。
「それって……浅井家の家督が転がり込んでくるという話か?」
「そんな小さな話ではありませんよ、慶次郎。左少将様という頭を押さえつけている存在が居なくなれば、丹波守様のご器量を思えば、天下は望めなくても大領の主にはなれると俺は考えている……いや、この俺の知略でそうして差し上げるのだ。だから……」
半兵衛は俺にはっきりと告げた。「この機に左少将様という邪魔者を排除したいのだ」と。
「しかし、それでは寧々様のお気持ちはどうなるのだ?」
「わかっている。だからこそ、俺は下策と言ったが策を献じたのだ。それを見つけて実行に移すことができたなら、俺も無理に左少将様を排除しようとは思わない」
そのときは、「それも運命だろう」と半兵衛は笑った。




