第138話 寧々さん、怨敵の死に赤飯を
永禄11年(1568年)2月上旬 近江国小谷 寧々
「えっ!?朝倉孫九郎が死んだですって!」
半兵衛の言葉に思わず、はしたなくも声を挙げてしまった。何しろ、孫九郎は莉々を朝倉のクソガキの嫁にしようと画策した怨敵だ。それが死んだのだから、今日は赤飯を炊かなければいけない。
「寧々様……先に言っておきますが、赤飯を食べたいのならば料理人に。自分で料理をするならば、赤尾家のお勝殿をお呼びください。食あたりで大量の死人が出たとなれば、若狭で死んだ朝倉の兵のことが笑えなくなりますゆえ」
「やだわ、物の例えよ。そんなに警戒しなくても、赤飯は炊きませんよ……」
自分で言っていてむなしくなるが、もちろん元々そんなつもりで言ったわけではないので、その話は一先ず置いておくことにした。
「しかし、どうして死んだの?」
「それが……先日お話した石兵八陣の餌食になったようでしてな。孫九郎だけでなく、敦賀郡司家の主だった家臣と動員可能兵力のおよそ半分を堰き止めていた川の水を利用して一気に……」
「もしかして、流しちゃったの!?」
「はい。最後は後腐れなく。何しろ、万一の時は織田様相手に使わねばなりませんからね。生き証人など残らないように」
聞こえない。恐ろしすぎて何も聞こえない。
……ただ、その結果、孫九郎ら朝倉の将兵は、下流の三方湖に浮かぶことになり、清兵衛の兵たちが手分けして陸に上げているという。現実逃避をしている場合ではない。
「朝倉からは、何か言ってきているの?」
「今のところは何も。そもそも、一乗谷に忍ばせている手の者からは、義景や式部大輔に動きはなかったという知らせが入っていまして……」
「それって、つまり孫九郎の暴走?」
「おそらくは、そうなのではないかと。この正月に随分と式部大輔に馬鹿にされたようでして、それが引き金になった可能性があると思います」
だとしたら、朝倉……いや、敦賀郡司家としては、これ以上事を荒立てるような真似はしてこないのではないかとわたしは思った。何しろ、当主義景の許可なく、隣国に侵略を仕掛けたのだ。バレたら大目玉だろう。
「それで、寧々様。これは提案なのですが……」
「提案?」
一体何だろと思っていると、半兵衛は言った。「この機会に金ヶ崎城を攻めて、敦賀を我が浅井家のものにしてはどうか」と。
「そもそも、金ヶ崎が予め浅井領であれば、『金ヶ崎の裏切り』が起こる要因は消滅するわけで……」
「でも、攻め落とせるの?」
「ご心配には及びません。主だった重臣たちが湖に浮きましたし、兵力も半分。あと、この天才の頭脳を少々加えれば……朝倉本国からの支援が届く前に」
なるほど。確かに半兵衛ならば、本当に敦賀を獲れるかもしれない。しかし……
「寧々様。お城より使者が来られました。急ぎ来てほしいとのことです」
部屋の外から喜太郎の声が聞こえて、その話は中断した。
「半兵衛……その話はまたにしましょう。正直に申して、敦賀を獲れば、金ヶ崎の裏切りはなくなるかもしれないけど、今の状況だと別の所で違う裏切りが起きかねないわ。そして、それはわたしたちには予見できない。そうなれば……」
今度は防ぐ手立てを見失い、最後は燃え盛る小谷のお城で政元様や子らと共に死ななければならなくなる可能性がある。それゆえに、軽々には判断できなかった。
「なるほど。それは一理ございますな、左少将様の短慮な性格を思えば」
そして、あの性格は治る見込みがないことは、半兵衛と見解は一致している。つまり、裏切りを防ぐのならば、このままの勢いで敦賀を獲ったところで、浅井家に待ち受けている運命が変わるとは限らないのだ。




