第135話 寧々さん、半兵衛とお茶を濁す
永禄11年(1568年)1月上旬 近江国小谷 寧々
「喜太兄ぃのばか!おねしょ太郎!もう死んで!あたしのために、今すぐ死んで!」
「ごめんよぅ、莉々。痛い!痛いから、木刀で叩くのはもう止めてぇ!!……俺が悪かったからさ!!」
どうやら、昨夜のおねしょは莉々ではなく、龍興の仕業だったらしい。おまえは一体何歳だと言いたくなったが、ただ……頭を丸めて詫びを入れてきたので、わたしは何も言うことができなかった。ちなみに、この機に名を西村喜太郎と改めるらしい。
「でも、西村って確か道三公の御父上が一時期名乗られた姓だし、仮名もそのままなんだけど、いいのかしら?」
「その辺りはあまり気にしないでもよろしいかと。美濃では大した家柄ではありませんでしたから、西村と言われても覚えていない者が大半でしょうし、喜太郎という名も左程珍しいこともありませんから、この小谷にいる限りは問題ないでしょう」
「そう。それならいいのだけど……」
激おこプンプンの莉々に叱られて、土下座しているその姿は、やはりどこか憎めないところがあった。怒っている莉々も何だかんだといって、短い時間だったにもかかわらず懐いているし、新しいやり直しの人生では幸せになって欲しいとわたしは思うのだ。
「それで……寧々様。織田殿はいつ参られる予定で?」
「暖かくなったころに来ると言って来たと聞いたから、きっと早くて春先だと思うわ。それまで、若狭の方は大丈夫?」
「そちらの方は抜かりなく、蜂須賀党が準備を進めておりますれば。……まあ、何もないに越したことは有りませんがね」
「しかし……『石兵八陣』って言ったかしら?うちの人が『至る所に石を高く積み上げているだけだ』なんて言っていたけど、本当に役に立つの?」
「……結果をお楽しみとしか言えませぬな」
半兵衛は意味深な笑みを浮かべて、わたしにそれだけを告げるが……どうやら、自信はあるようだった。ならば、何も言う必要はないだろう。話題は、信長様が派遣するという喜太郎の監視人の話へと移った。
「……で、誰が来ると見る?」
「そうですな。蜂須賀党の件がなければ、木下殿が織田家中での立ち位置や力量から見て適任だったと思いますが……」
「それは却下よね。蜂須賀党の方も暴発しかねないし……」
「それゆえに、某は森三左衛門どのあたりが来るのではないかと考えます」
「森殿を?しかし、そのような重臣を出すかしら?」
「織田殿は、何かと権六殿を頼りにされている御様子。ゆえに、その権六殿が森殿を推薦したら、受け入れるのではないかと……」
「なるほど。柴田様にとっては、何かと邪魔なのね。森殿のことが……」
森三左衛門可成殿は、織田家においては柴田様と対を成す先鋒を務める大将と聞く。ならば、今回の話を利用して排除しようとしていても、驚く話ではないだろう。いや……竹を割ったような真っ直ぐな彼の策ではないかもしれない。どちらかというと、藤吉郎殿の……。
「寧々様……」
「ああ、ごめんなさい。それで、森殿がこの小谷に来るという前提で話すけど……」
森殿と柴田殿のことは他家の話なので、わたしたちには関係ない話として脇に置き、仮に森殿がこの小谷に来たときの影響について、わたしは半兵衛に訊ねた。浅井家にとって吉なのか、それとも凶なのかと。
すると、半兵衛は「吉」と言った。
「まだ40半ばの森殿からすれば、忸怩たる思いはございましょう。ですので、そこを突いて揺らせば、完全とは言いませんが、我らの味方にある程度はなってくれるのではないかと考えます。それに……」
「それに?」
「左少将様も色々と自制されるでしょう。森殿が浅井家の動きを監視しているとなれば」
「なるほど」
つまり、今回の提案は、金ヶ崎でもし長政様が裏切ろうとしたとしても、森殿の存在が歯止めになるかもしれないということだ。それはわたしの利に適っている。
「まあ……いずれにしても、その日を待つしかありませんな」
半兵衛はそう言って、最後はお茶を濁した。
 




