第129話 喜太郎は、行く道を迷う
永禄10年(1567年)12月中旬 近江国小谷 斎藤龍興
本当は、半兵衛に一言だけでも詫びを告げることができれば、それだけで満足だったのだ。
しかし、この屋敷の奥方殿は、最初は怖かったけど、正直に目的を打ち明けたら、こんなダメな俺を温かく迎えてくれて……今、茶の湯を馳走になっている。本当に忝い話だ。
「それで、貴殿の御名は?」
そして、茶を飲み干したところで、奥方殿が訊ねてきたので俺は答えた。「斎藤喜太郎龍興です」と。すると流石に、その名は御存じだったのだろう。とても驚かれた顔をされた。
「どうして、美濃の太守様だったあなた様が半兵衛に?」
「某は幾度となく諫めてくれた半兵衛の言葉を無視して、挙句の果てに国を失いました。無論、これは自業自得なので、誰かのせいにするつもりは全くないのですが……半兵衛だけには申し訳なかったと詫びたいと思いまして……」
「そう、なのですか?」
「それはまた……態々自分から怖い目に遭いに来るとは、変った方ですわね」と奥方様に言われて、ついおかしくなって笑ってしまった。確かに、斎藤飛騨に誑かされて酒浸りだった頃の俺ならば、全く思いもつかぬことだろう。
「それで、これから如何なさいますか?半兵衛は今、若狭に居まして、こちらに帰ってくるのは年が明けてからとなりそうですが……」
「そうですか。それならば……」
実は今後の方針については迷っている。稲葉山城から逃げた後、伊勢の長島に匿ってもらったのだが、飯がマズ過ぎてあそこに戻る選択肢が一番いいと分かっていても、なんだか気乗りしないのだ。
ただ、他の国に行くには金もないし、伝手もない。いっそのこと、帰蝶叔母上を頼って、信長殿に頭を下げるという選択肢すら頭をよぎるが……無論、それは高い確率で首を刎ねられるという博打みたいなものだ。
(本当にどうしたらいいのか……)
もし、この場に半兵衛が居たら、そのことも相談できたのかもしれない。言っても仕方がない事はわかっているが、どうしてもそう考えてしまう。それゆえに「いっそのこと、若狭に行ってみるか」とそんなことを思っていると……
「寧々様。大殿様がお越しになられておりますが」
「お義父様が?」
部屋の外からこの屋敷に仕えている侍女なのだろう。奥方様にそう告げた。
「すみません。少し席を外しますが……」
「いえ、お構いなく」
そして、奥方様は佐脇殿を残して、部屋を去って行かれたので、俺は再び先程の課題に向き合い、思考の海に飛び込もうとした。しかし……
「なあ、行くところがないんだったら、貴殿も寧々様にお仕えしてみないか?」
「は?」
思いもかけぬ言葉を佐脇殿は投げかけてきて、俺を困惑させた。
「ここは面白いぞ。寧々様はあのように清楚なお方に見えて、実はじゃじゃ馬でな。甥から聞いた話なんだけどな……剣豪と名高き先の公方様を剣でぼこぼこにして、心をへし折ったかと思ったら、御所を襲ってきた三好の兵を相手に屋根の上から銃で殺しまくったそうだ」
「うそ……でしょ?」
「いや、本当の話さ。だから、さっきも射撃の的にするって話が出ただろ?もし、そうなっていたら、まず両足、次に両手を撃ち抜かれて、最後は貴殿の股を的確に……」
「わ、わかったから、その話はその辺で……」
聞けば聞くほど痛くなってきて、俺は佐脇殿に射撃の話は止めてもらうように頼んだ。
「ですが……俺は今、織田家に追われている身ですぞ。しかも、浅井家はその織田家と盟約の間柄。ご迷惑がかかると存ずるが?」
「そんなの、頭を丸めて名を変えればバレやしないさ。そんな小さなことに拘ってちゃ、人生楽しめないぜ!」
……この人、とても真面目そうに見えて、滅茶苦茶な人だったのだなと思った。だが、言っていることは愉快であった。だから、つい「そうしようか」と言いたくもなる。
でも、そのような身勝手なことが果たして通じるのだろうか。俺の悩みはより深くなるのであった。




