第125話 寧々さん、次の天下人を問われる
永禄8年(1565年)5月中旬 近江国小谷 寧々
「……あら?あなたもいたのですね」
「……ご無沙汰しております、寧々殿」
そう言って松永様と一緒に茶室に入った細川兵部殿は、わたしに頭を下げた。正直、義輝公を見捨てておきながら、どの面下げてここにいるのだと思わないわけではないが、そこを突いても益がないため、まずは望み通り茶を立てて話を進める。
「それで、わたしに何の御用で?」
「まさか、本気で子育て法を指南しに来たわけではありませんよね?」と、松永様に申し上げると、「もちろん」という答えと共に、問いかけが来た。それは、足利に代わる次の覇者は誰になるのかということだった。
「……てっきり、覚慶様の擁立に協力してほしいというのかと思っておりましたが?」
「あれが本気で天下を治める器の持ち主かくらい見抜けぬほど、儂は耄碌しておらぬよ」
そして、松永様は覚慶様を立てるのは、次の覇者が三好を追い出して、畿内に強固な中央政権を作るまでの繋ぎの役割を担ってもらうためだと説明した。
「それゆえに、兵部が『賢人』と見込むそなたに訊きたいのだ。次の覇者は誰だと思うか?」
「……そうですね。わたしは織田信長様だと思っております」
「なにゆえに?」
「ご本人がとても賢き方であること、美濃をこのまま平定すれば、最早国力において敵う大名が近くにおらず、それらの大名を吸収して後は武田や上杉、毛利といった大大名もいないということ、あと本国が京に近いことも大きいですかね」
「だが、その賢さが仇になるのではないのかな?天才の気持ちは、得てして周囲に理解されづらいものだ。ゆえに、誤解が誤解を生み、粛清の嵐、あるいは謀反といったこともあると儂は見ている。それでも、信長殿は天下を獲れるのかな?」
「それは……」
答えはすでに知っていた。そうだ。松永様の言うとおり、信長様は天下統一を目前にして、重臣であり右腕とも頼みにしていた明智殿に謀反を起されて、討たれてしまったのだ。ただ、それを言うわけにはいかない。
それゆえに、わたしは逆に松永様の意見を聞いてみることにした。あなたは誰が天下を得ると思っているのかと。すると……
「浅井丹波守政元殿」
「ぶっ!」
思わぬ答えが返ってきて、末席で大人しく茶を啜っていた政元様が噴き出してしまった。
「あの……お戯れを」
「戯言ではございませんぞ、丹波守殿。儂は、将来天下を獲ることができる可能性が最も高い人物を一人挙げよというのならば、迷わずに貴殿の名を挙げますな。なぜなら……そこにおわす寧々殿の御夫君という点ですよ」
「え、えぇ……と」
政元様は本当に困惑した様子で、わたしを見るが、わたし自身はその発言を否定はしない。もし、わたしが野心をむき出しで本気で行動をしたならば、きっとそうなるのではないかと……わたし自身も思っているからだ。
しかし、その一方でこの人はそのようなことを望んでいないこともよく知っている。そんな人だからこそ、平穏な日々を送りたい今生の伴侶に選んだのだ。ゆえに……
「松永様。わたし自身がこの人を天下人に押し上げようという気持ちがないので、それはかなわないかと思いますわ。ですので、次の天下人は織田信長様で間違いないかと」
そう……わたしが天下を目指さないのだから、信長様が天下を獲ると明言した。すると、松永様は残った茶を飲み干してニッコリ笑った。「お気持ちはよくわかりました」と言って席を立つ。どうやら、これで用件は終わったようだった。
「あ……そうそう」
だが、そんな松永様は去り際に1冊の本をわたしに渡してきた。
「黄素妙論?……まさか!」
「おや、知っておったのか。凄い物だな、寧々殿の占星術とやらは」
「ならば、説明は要らないな」と松永様は愉快そうに笑いながら、細川殿を連れて帰っていった。しかし、わたしは……これを受け取ったけど、どうしたらいいのか、頭を悩ませた。
何しろ、前世で子ができないからと、これに縋って色々と試したこともある因縁の書であったからだ。




