第109話 寧々さん、政変に巻き込まれる(1)
永禄8年(1565年)3月中旬 京・二条御所 寧々
万福丸を抱いて御所に参上したが、すぐに何かがおかしいことに気が付いた。そう……すれ違う幕臣の数が少ないのだ。
「美作守殿。今日は何かあるのですか?」
「なにかとは?」
「人が少ないような……」
すると、わたしは思ったことをそのまま言っただけなのだが、進士殿はため息を吐いた。彼が言うには、義輝公が大政奉還を宣言したことにより、多くが見限り去って行ったという。
「それは……兵部大輔殿もですか?」
「はい……細川殿なら最後まで上様のお味方で居てくださるとばかり思っていたのですが……残念です」
「そうですか……」
悔しそうに言葉を吐きだした進士殿には申し訳ないが、わたしは前世の彼を知るだけに特に驚きはなかった。何しろ、こうやってこの後、義昭公、信長様、明智殿、藤吉郎殿、腹黒タヌキをそれぞれ天秤にかけながら、いつの間にか領地を増やしていった男だ。とにかく、旗色が悪いと見れば、その逃げ足は疾風の如く速いのだ。
「しかし、そうなると上様もお寂しいのでは?」
「……お口にはされてはいませぬが、おそらくは。ですので、どうか寧々殿。今日はそんな上様の気晴らしにお付き合いいただけたら……」
気晴らしって何だろうと思っていると、どうやら広間に着いたようで進士殿から「どうぞ」と中へ勧められた。そして、半兵衛と慶次郎を後ろに指定された場所に着座すると、まもなく足音が聞こえて義輝公が姿を現した。但し……後ろにとても丁重に刀を持つ小姓たちを幾人も従えて。
「寧々殿。苦しゅうない。余とそなたは同じ八幡太郎様の血を引く親戚だ。どうか、面を上げて楽にしてもらいたい」
小姓たちのことが気になりながらも頭を下げていると、そのように言われたので、わたしは顔を上げた。すると、小姓たちが丁寧に持ってきた刀をわたしの前に並べているのが視界に入った。数えてみると、4振ある。
「どうだ、寧々殿。これが何かわかるか?」
物凄く楽しそうに訊ねる義輝公だが、わたしにはわからなかった。もちろん、先程までの小姓たちの態度から高いだろうなとは思ったが、それだけなので正直に答えた。「わかりません」と。そうしたら……
「ほう!寧々殿ほどの剣の達人でも、知らぬことはあるのだな!」
その答えに満足したのか、義輝公はやけに得意気になって勝ち誇ったようにわたしにそう言った。だから、わたしもついムカッときて言い返した。「真の達人は、道具を選びませぬから」と。
だが、これはきっと負け惜しみに聞こえたのだろう。義輝公はこれらの刀について頼んでもいないのに詳細に説明してくれた。もちろん、全部右から左なので、頭に入る事はなかったが、要はこれらの刀は「天下五剣」と呼ばれる名刀のうちの4振ということらしい。
「……で、そのような宝物をわたしに見せて何を?もしかして、出家なされたから要らないと全部くれるので?」
「ははは、そうしてやりたいのは山々だが、流石にそれは強欲というものだ。万福丸の斯波家相続を祝い、どれでも1振授けようと持って来させたまでだ」
「うちにはもう一人男の子がいるので、あと1振追加してもらえませんか?」
「……寧々殿。繰り返し言うが、それはちょっと欲張り過ぎかと思うが?」
「ですよねぇ」と笑って誤魔化し、取りあえず一振りずつ手に取ってみることにする。もっとも、どれもこれもが天下に名高き名刀なんて言われても、そもそもどれが一番良いかなんてわかるわけがない。だから、適当に選ぼうと思っていると……
(あれ?)
最後に手にした刀が、高台院でかつて憂さ晴らしにやっていた薪割りで使っていたものに似ていることに気が付いた。だから、何となくそれをじっくりと見続けた。
「ほう……三日月宗近を選ぶか」
「三日月宗近?」
まさか、そんな大層な名があるとは知らず、わたしは改めてまじまじと刀身に目をやった。そして、そう言えば、前世で様子を見に来た所司代の板倉殿が「天下の名刀を巻き割に使うとは……」と絶句していたなぁと思い出して、同じものだと確信した。だが……
「ん?なんだ?外が急に騒がしく……」
義輝公の言葉通り、屋敷の外から馬の嘶く音が多数聞こえて、ほぼ同時に部屋の外の廊下からも慌ただしく誰かが駆けてくるような足音が聞こえた。ゆえに、刀の事は一先ず置いて、何事かと考えていると、部屋に現れた一色淡路守殿が注進した。
「申し上げます!三好日向守らが手勢をもって、この御所を包囲しております!」……と。




