第102話 寧々さん、御台所様に会う(後編)
永禄8年(1565年)2月中旬 京・近衛邸 寧々
力を失った者が過去の栄光を懐かしみ、それに縛られる生き方をする。それは、何も足利義輝公だけの話ではない。前世において義息であった秀頼殿も同じであった。
『もう、豊臣は天下を失ったのです!どうか、この上は現実を受け入れて、主上をお支えする摂関家の一家として生きながらえてもらえませんか?』
『義母上様……申し訳ございません。某は、天下人・豊臣秀吉の子なのです。それはかないません』
冬の陣が終わった後、大坂城を訪れた際に交わした最後のやり取りは、結局秀頼殿の心を動かすことができなかった。義銀様が言われていた言葉は、あのときわたしが言った言葉と同じだろう。それゆえに、公方様の心を動かすことはかなわないとわたしは理解している。
「ねえ、寧々殿。どうしたら、あの人を足利の呪縛から解き放つことができるのでしょう」
ただ……その一方で、この陽姫様の悲痛な叫びは痛いほど理解できた。だから、何とか力になってあげたいと思った。
「半兵衛……何かいい方法はないかしら?」
「寧々様、それは……」
わかっている。半兵衛はきっと反対だ。わたしの立場を思えば、公方様に近づくことは好ましい事ではないし、そもそもこの京に来たのだって、そんな公方様の悪あがきに巻き込まないでくれと釘を刺すためなのだ。間違っても助けるためではない。しかし……
「構わないわ。だから、半兵衛……考えてくれないかしら?」
今の陽姫様は、わたしはかつての自分と重ねてしまい、見捨てることができない。それならば、腹を括って飛び込もうと決意した。明日のことは明日考えれば良いのだと。
「それならば……公方様の心の拠り所をぐちゃぐちゃに壊してさし上げればよろしいのでしょうか?御台様、何かそのようなものはございませんか?」
「そうねぇ……あの人は、『将軍たる者は誰よりも強くないといけない』とか言って、毎日わたしの相手をする暇もなく、剣の鍛錬ばかりする剣術馬鹿だから、そのあたり?」
「いいですね。そんな剣の達人が、あり得ないような人にコテンパンに叩きのめされる。今までの自信が喪失して、もう足利なんかどうでもいいって話になるのではないでしょうか?」
「なるほど!」
流石は半兵衛だ。打てば響くように策を提案する。
ただ、「よくぞ考えてくれました」と陽姫様はお喜びになるが、わたしは思う。そのあり得ないような人って誰の事なのかと。すると、半兵衛は初めて会った時と同じ冷たい視線をわたしにぶつけてきた。そのため、途轍もなく嫌な予感がしていると……
「では、言い出しっぺの寧々様。そのコテンパンにするお役目、お任せしますね?」
……などと、話をわたしに振ってきた。「うら若き女性である寧々様に、得意とされている剣で負ければ、きっと目論見通りに将軍としての自信など粉々になるだろう」と言って。
「あの……半兵衛。流石に難しいんじゃ?」
「だからいいんですよ。それに寧々様。あなたは、かつてわたしが尾張で、木下殿のご内儀を間違って攫ったとき、単身で乗り込もうとなさるほど腕に自信がおありなのでしょう?」
「えっ!そうなのですか!?」
「そうなのですよ、御台様。このお方はこう見えてじゃじゃ馬でしてな。某はあのとき200名余りの手勢を率いていたのですが、『それくらい大したことないわ!』とか言われたそうで……」
「いや……半兵衛、盛り過ぎでしょう」
なんで20人が200人になっているんだと思うが、そもそもこれは半兵衛の意趣返しのようなものであるから、いくら否定しようとしても取り合ってくれない。
最後はずっと面白そうに聞いていた近衛様が「そのことも公方さんに伝えておくわ」と手紙に書くことを明言して、この話はひとまず終わることとなった。
「寧々様。明日から慶次郎に剣の稽古をつけてもらいましょうね」
そして、そう言ってニヤリと口角を上げた半兵衛を見て思う。この人を敵に回すのは絶対によそうと……。




