第101話 寧々さん、御台所様に会う(前編)
永禄8年(1565年)2月中旬 京・近衛邸 寧々
「おお、寧々殿。久しぶりやの。莉々ちゃんは息災か?」
ご挨拶に訪れた関白・近衛様のお屋敷で、ありがたくも親しく言葉を掛けられて、わたしは自然と顔がほころぶのを感じた。近衛様には、お市様の婚礼に付き添っていただいただけでなく、莉々の出産のときには京からお祝いに来ていただき、御名まで付けて頂いたのだ。
「おかげさまで、健やかに育っております。近頃はよく話す言葉も増えて……」
「そうかそうか。子は育つのが早いからのう。すぐに美人さんに育つやろうな。何しろ、寧々殿の娘やからな」
「まあ!お世辞でも、嬉しいですわ」
……ただ、そこまで盛り上がって気がついた。どうやら、近衛様はお一人ではないようで、その隣には気品漂うやんごとなき姫君が座っていることに。
「あ、あの……そちらのお方は?」
「ん?ああ、こちらはな、麿の妹……つまり、御台所だ」
「はじめまして寧々殿。陽と申します。お噂はかねがねお聞きしておりますわ」
「やっぱりか!」と思って、わたしは慌てて頭を下げた。幕府の権威など正直どうでもよいとは思っているが、正面から名乗られては流石に礼を尽くさなければならない。
しかし、陽姫様は「御台と言っても別居中なので気にしなくても結構ですわ」と……思いもかけぬ言葉を返された。
これには驚き、わたしは思わず近衛様を見るが……
「まあ、男女の仲は色々あるからのう……」
……と、まるで達観されたようなお言葉が返って来るのみであった。
「……それで、寧々殿はあの剣術馬鹿にどのようなご用件で?」
「実は……」
別居のことにあまり触れられたくないのだろう。陽姫様は、話題を早速変えてきたため、わたしも此度の上洛の事情を話すことにした。……とはいっても、馬鹿正直に公方様をシメ……いや、幕府の問題にうちを巻き込まないように『お・は・な・し』するなどとは言わない。今は喧嘩されているようだが、相手は御台所様なのだ。
「それじゃあ、斯波家をお継ぎになられたご子息のお披露目のために?」
「ええ、まだ幼子ではありますが、公方様にお目通りが叶えばと思いまして」
もちろん、これは嘘ではない。万福丸のお目見えの話は、此度の上洛の目的の一つである。ただ、公方様に『お・は・な・し』をするために、わたしはこの話を利用した。すると、近衛様が陽姫様にお口添えをしてくれた。
「なあ、この際、この話を持って御所に帰ってはどうか?おまえかて、ホンマは仲直りしたいんやろ?」
「……まあ、そりゃあね」
「だったら、決まりやな。麿からも書状を認めるから、それを持って帰って仲直りせえや。わかったな?」
「ええ、でも……そんなに急には。心の準備もあるし……」
「ええな?」
「はい……」
陽姫様は、こうして兄である近衛様に押し切られて、結果的に公方様との面会を橋渡ししてくれることになった。わたしとしては、文句の付け所がない結果だ。しかし……
「ところで、寧々殿。その万福丸という子やけどな、ホンマのところ自分の子やないんやろ?」
近衛様はわたしにとって痛い所を突いて、問うてきた。もちろん、設定どおりに莉々の双子の兄だと言うが、その莉々の出産の際にその場に居ただけに、そのような嘘は通じなかった。だから、観念して正直に長政様の庶子であることを告げた。
「すると……斯波の血が一滴も流れていない子に、斯波の家督を継がせたということなのですか?」
「その通りです。御台様」
「あの……不躾なことを聞くけど」
陽姫様は、わたしに訊ねた。斯波家も遡れば清和の帝に繋がる源氏の名門で、幾人も管領を輩出した由緒ある家であるというのに、自分の代でそんなことして、ご先祖様に申し訳が立たないとか思ったりしなかったのかと。
「あ……誤解なされませぬよう。わたしは別にそのことを非難しているのではないのですよ。実は、うちの人は真逆でしてね。ご先祖様に恥じないように生きたいと言っておられるお人でして……」
とても悩まれているのがよくわかる表情で語られた言葉に、わたしは以前、義銀様が「もう足利がこの国を治めなければならないという考えは捨てた方が良いのでは」と言っていたことを不意に思い出した。




