第973話 子狸は、後難を恐れて父の死因を改ざんする
慶長3年(1598年)11月上旬 近江国小谷城 徳川秀忠
父上が身罷られた。しかも、大政所様に成敗されたというのだから、ただ事ではない。その知らせを大坂で聞いた俺は、関白殿下に事態を報告するとともに、すぐに小谷に急行した。
「秀君!ごめんなさい!本当におばあ様が……ごめんなさい!」
そして、小谷の屋敷に到着した俺は、謝罪から入る希莉から何があったのか事情を聞いた。
それによると、父上は内府様を訪ねて豊臣屋敷を訪れていたところ、前触れもなく毒液を浴びせられたらしい。そして、現在……大政所様は、京から駆けつけた新選組の取り調べを受けているとか……。
「それで、大政所様はどうしてそのようなことを……?」
「それが事故だと言い張っているようでして……」
「事故?」
希莉が言うには、お稲殿が戯れにその毒液を大政所様に飲ませようとして、それを跳ね除けたら丁度そこに父上が通りかかり……運悪くそれが顔に掛かってしまったらしい。
「そんな間抜けな話ってあるのか?」
「やはり、苦しいわよね?言い訳するにしても……」
「まあ、大政所様と父上の仲の悪さは知らぬ者は居なかったからなぁ……」
何年か前には、伏見城に砲撃するついでに我が徳川屋敷を狙い撃ちされたし、強制隠居で出家させたのちは、「道糞」とかいう酷い法名を与えられるように手を回されたし……父上も「いつか儂は、あの女狐に殺されるであろう」と予言されてもいた。
だから、「ついにこの日が来たか……」と、俺個人としては思わないでもない。
ただ、相手は天下の大政所様だ。新選組が取り調べを行っているという話であっても、恐らく不問に付されるだろう。何しろ、過剰な罪を与えれば、関白殿下が黙っていないのだから、これは形だけだと見るべきだ。我らも騒ぐべきではない。
「新十郎」
「はっ!」
「父上の死は病死だ。そう……鯛の天ぷらを食べて食あたりを起こして、俄かにお亡くなりになられた。そのように家臣たちに徹底させよ」
「殿……しかしながら……」
わかっている。それでは確かに父上が不憫だ。きっと浮かばれないであろう。だが、この徳川家を……父上から受け継いだ徳川家を守るためには、心を鬼にしなければならない。
「新十郎、改めて厳命する。父上は食あたりで亡くなられたのだ。よいな、異論は認めぬ。もし従わぬのであれば、そなたであろうと俺は斬る!」
「……承知いたしました。そのように取り計らうことに致しましょう」
父上の側で長く仕えた新十郎(大久保忠隣)だ。内心では忸怩たる思いがあるだろう。しかし、それゆえに家臣の不満を抑えるためには適任ともいえる。心のうちで詫びながら、その背を見送り、俺は次の段取りに移る。それは、葬儀についてだ。
「甚三郎」
「はっ!」
「父上の葬儀は姫路で執り行いたい。……が、流石にこの小谷から亡骸をそのまま運ぶわけにはいかぬであろう。どこか近くの寺で荼毘に付すよう手配をしてくれ」
「畏まりました。早速、手配をするようにいたしまする」
毒で死んだという痕跡は、一刻も早く消し去らなければならない。あと、寺の坊主にも口止め料を渡すことを甚三郎(土井利勝)に命じた。
「あと、遠江と常陸におられる兄上たちには俺から文を書く。藤右衛門、使いの者を用意してくれ」
「承知いたしました」
遠江と常陸におられる兄上は、すでにこの事をご存じかもしれないが……それだけに、徳川家の当主として「父上は病死である」とご納得頂かなければならない。万一の時を考えて、説得できる弁の立つ家臣が必要であるが、藤右衛門(青山忠成)に任せておけば心配はいらないだろう。
「さて、希莉……」
「は、はい……」
「これより豊臣屋敷に参上して、内府様にお目通りを願いたいと思う。共に参ってはくれぬか?」
「もちろんです!おじい様にお話して、必ずや美濃10万石の化粧領は……慰謝料という事で頂戴できるようにいたしまする!」
……別に慰謝料など要らないのだが、まあ、それはいいか。あって困るという物ではないし、その辺りは好きにさせよう。
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