第972話 寧々さん、藤吉郎を送る(11)
慶長3年(1598年)10月下旬 近江国小谷城 寧々
江戸から蜂須賀彦右衛門(家政)が到着した。数日前に敦賀から清兵衛殿もこの小谷に逗留されていて、これから藤吉郎殿と直接会いに行くという。
だから、わたしも仲裁役として同行する事にした。そもそもの話、わたしが藤吉郎殿を振っていなければ、小六殿は死んでいないし、尾張から逃げてきた蜂須賀党の皆を受け入れたのはこのわたしだ。その結末を見届ける義務があると。
「彦右衛門殿、清兵衛殿も……済まなかった!この羽柴秀吉、心の底からお詫び申し上げる!」
「お手をお上げください、羽柴殿。すでに30年以上昔の事にて、これにて手打ちと致しましょう。叔父上もそれでよろしゅうございますな?」
「ああ。藤吉郎殿のおこぼれで、我が命も長らえる事が出来たからな。それで儂の方も許すことにしよう」
「かたじけない!本当に、かたじけない!!」
なお……この和解成立の裏ではもちろん、蜂須賀党が和解を受け入れる条件の合意が存在する。具体的には、小六殿の死に関する慰謝料として銭1万貫(12億円)、蜂須賀党襲撃に関する慰謝料として銭2万貫(24億円)を羽柴家は蜂須賀家に支払うという事だ。
その辺りの豪気さは、流石は藤吉郎殿と言いたい所だが……これは、30年かけての分割払いらしい。前世のような天下人ではなく、今世の羽柴家は肥前・筑前66万石の大名家であるから、仕方ないと言えば仕方ないが……。
「さて、蜂須賀家との和解も済んだことだし、そろそろ我らも帰るか」
「帰る?」
帰るといっても、ここは羽柴屋敷なのに……と一瞬またボケが再発したのではないかと心配していると、藤吉郎殿が改めてわたしに告げた。「随分と長居をしたが、大坂の屋敷に帰る」……と。
「え……?」
「なんじゃ、寧々殿。儂が恋しくて、このまま居て欲しいと言われるか?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
でも……いきなりそんな事を言い出すなんて、どうしたのかと考えてしまう。もしかして、此間の神社の一件が原因ではないかとも……。
しかし、藤吉郎殿は続ける。そもそも、この小谷に来たのは余命が幾ばくも無いと考えたからであって、こうして元気になった以上は事情が変わったのだと。
「第一、大陸に嫁ぐ陽菜のお妃教育に取り掛からねばならぬ。寧々殿……寂しい気持ちはわかるが、儂は行かねばならぬのよ!」
本当にそれが理由とはわからない。しかし、元気になったのなら……ここに留め置く理由もない。
「元気でね」
そう言って、わたしは送り出すことを決めた。大丈夫だ、またいつか会えると信じて。
「寧々様!一大事にございます!!」
だけど、そんな折であった。慶次郎が慌てた様子でここに現れて……糞康が死んだと知らせてきたのは。
「えぇ……と、冗談よね?あのかぶった味噌汁のせいで、失明したとは聞いていたけど……」
「誠の話にございます!お稲殿の見立てによれば、鼻に入った猛毒が脳に至ったようでして……今朝方、素っ裸で踊り狂った挙句の果てに、息絶えたと」
それは何と言うべきか……念願がかなって喜ばしいはずなのに、どうにも喜べない自分がいて、その事に驚いた。それゆえに手を合わせて目を瞑る。どうか安らかに……「やっぱり、地獄へ行け!」と願いながら。
「それで、葬儀の予定は……?できたら、金に糸目をつけず、盛大にお祝いしながら送りたいのだけど……」
「その前に寧々様。畏れ入りますが、あなた様にはその徳川殿殺しの嫌疑がかかっております」
「え……?」
一体、何故そんな事になるのかと不思議に思っていると、慶次郎は言った。わたしが払い除けた味噌汁が糞康の顔に掛かった事が原因なのだから……などと。
「まあ、寧々様が徳川殿に怨念に近い恨みを抱かれている事は、周知の事実ですからね。『いつ殺るの?今でしょ!』……って感じで、事故に見せかけて事に及ばれたのではないかと、半兵衛が主張しており……」
「待って!最初の味噌汁なら兎も角、あの味噌汁はお稲さんが作った物よね?確かにわたしが跳ね除けたのが原因ではあるかもしれないけど……印象操作で全ての罪を擦り付けようとしていない!?」
「それは……あり得ますな……」
だったら、虎御前山のお屋敷に戻るのは剣呑だ。きっと、半兵衛の思惑通りに犯人に仕立て上げられてしまう。
だから、わたしは藤吉郎殿に匿ってもらうようにお願いした。大坂屋敷だろうが、肥前の名護屋城だろうが……なんだったら、清国でもいいから連れて行って欲しいと。
「い、いや……流石にそれはできないじゃろ?それに……巻き込まんでもらいたい……」
「そこを何とか!」
しかし、最後は菜々さんに「引っ越しの準備がありますので」と追い出されて、万事休す。わたしは逮捕令状を持った新選組によって再び罪人籠に押し込められて、屋敷に連行されたのだった……。
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