第971話 寧々さん、藤吉郎を送る(10)
慶長3年(1598年)9月中旬 近江国小谷城 寧々
話があると言った藤吉郎殿は、「味噌汁が飲みたい」と言ったあの神社にわたしを連れて行った。しかし、本当につい先日まで死にかけていたとは思えない程に元気だ。聞けば、頭のボケも治ったという……。
「だからのう。儂はこの奇跡をこの神社の神様のおかげじゃと思うのよ」
「そうかもしれませんわね……」
先程までのお稲さんとの会話を思い出して、わたしも本当にそうなのかもしれないと思って、藤吉郎殿と共にパンパンと手を合わせた。「助けて頂きありがとうございます」と言いながら。
「しかし、本当に元気になりましたね。まさかとは思いますが……夢じゃないですよね?」
「夢かどうか……試してみるか?」
「どうやって?」
「決まっておろう、ここでまぐわうのよ。儂のアレも若さを取り戻したかのようにビンビンでのう……って、痛い!じょ、冗談じゃ!冗談じゃて!」
「冗談でも言っていい事と悪い事があるでしょ!大体、わたしはもうおばあちゃんよ!曾孫だっているし、今更不倫なんてできるわけないでしょ!!」
ホントにこのスケベじじいは……と思いながら、わたしは藤吉郎殿を叩いてその気はないと告げるが、ふと周りの風景を見てその手を止める。そういえば、この神社……昔、この藤吉郎殿を振った、あの清洲の神社に雰囲気が似ていると。
「あの神社に似ているじゃと?」
「ええ……そう思いませんか?」
「そういえば……そんなような気もするな……」
今世の時間間隔でも、すでにあれから37年の月日が流れている。流石に記憶があいまいになっているし、もしかしたら勘違いかもしれないが……何か縁のようなものを感じる。
「ねえ……藤吉郎殿」
だからこそ、わたしは何気なく訊ねた。あの日別れる事になったけど、藤吉郎殿にとって正解だったのか、否かを。
「寧々殿、それは……」
わたし自身、どうしてそんな質問をしたのかわからなかった。あの日、藤吉郎殿を振ったからこそ、政元様と出会えて子にも孫にも曾孫にも恵まれたわけで、御堂関白ではないが……今のわたしはまさに「欠けたる月もない」状態と自分でも思っている。
しかし、その一方で思い出すのだ。前世で藤吉郎さと共に豊臣家を盛り立てた日々の事を。最後は悲しい結末となったが、その中で幸せだった記憶は……今のわたしの脳裏にいまだ残っているのだ。
「あ、いや……こんなことを訊くべきじゃなかったわね。ごめんなさい、忘れて」
ただ、そうは言っても、今世で藤吉郎殿を振ったのもこのわたしだ。質問しておいて何であるが、そもそもそんなことを訊く資格はないとも思えて、発言を撤回した。
「そうよな……儂にとって正解だったか否か……」
しかし、そんなわたしの無茶振りな質問に、藤吉郎殿は真剣に考え、答えてくれた。そして、「正解だったのではないか」……と。
「正解……ですか?」
「ああ、そうだな。正月に夢を見たが……あれが寧々殿を得た結末とすれば、儂は今の方が幸せだと断言できるな。天下も取れなかったし、寧々殿も手に入れる事はできなかったが、子や孫には恵まれた。秀次も殺すことなく、未来に不安を抱いてもいない。十分ではないかの?」
確かにその通りだ。この世界では、秀次殿も死んでいないし、糞康が秀頼を殺す心配もない。少し寂しい気持ちもするけど、きっとそう……これでよかったのだ。わたしも同じ思いだ。
しかし、どうしてだろうか。この頬を伝う涙が止まらないのは……?
「寧々殿……」
「ごめんなさい。歳をとったせいで、どうも涙もろくなったようで……」
「ならば、儂が若さを注入いたそうか?そのお股に儂のアレを突っ込んで……って、痛い!冗談だって!!」
「冗談で済んだら、新選組は要らないわよ!」
だけど、気づいた。藤吉郎殿も冗談ではいやらしい事を言うけど本気ではない。つまり、37年前とは逆で……今日、フラれたのはわたしの方だと。
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