第968話 清兵衛は、味噌汁殺人事件に巻き込まれる
慶長3年(1598年)8月下旬 近江国小谷城 雨森清兵衛
かつて我らの拠点だった蜂須賀丸を横目に城下に入った俺は、出迎えに現れた慶次郎殿に案内されて藤吉郎殿の屋敷へ向かう。
「すみませぬな。寧々様は、朝からどこかに行っておりまして見当たらず……」
「お気になされないで下さい。きっと、何か事情がおありなのでしょう。なにせ、今や天下の大政所様ですからな」
ホント、大層偉くなられたものだ。先程目にした蜂須賀丸ができた時に共に酒を酌み交わした頃は、まだ浅井家に連なる分家の奥方様だったのにと、つい昔を思い出して懐かしくなってしまった。
まあ……いずれにしても、この一件は我ら蜂須賀党と藤吉郎殿の問題なのだ。そもそもの話、寧々様のお力を当てにする方が間違っている。だから、構わずそのまま進み、輿に乗ったままだが、羽柴屋敷の門をくぐった。
「越前敦賀城主・雨森清兵衛……いや、蜂須賀七内にござる」
「よくぞお越しくださいました。ささ、主が待っておりますので、どうぞこちらへ」
輿から降りた時、何か隣の塀の向こうから変な臭いが漂ってきたような気がしたが……今の儂は、杖を突いて歩くだけで精いっぱいだ。その原因を深く考える事もなく、奥方である菜々殿の案内で藤吉郎殿が待つ部屋へゆっくりと向かった。
「それで、藤吉郎殿のご容体は如何に?」
「実は、昨日無理をして外に出たようでして、朝から熱が出ており……」
「左様か」
しかし、だからと言って引き返しはしない。藤吉郎殿もそうだが、儂も時間が残っていないのだ。この機を逃すわけにはいかなかった。
「どうぞ」
「失礼いたす」
そして、襖がゆっくり開かれた先に……横たわる老人の姿があった。それが藤吉郎殿であるとわかり、儂は側に近づき声をかける。
「藤吉郎殿、藤吉郎殿……」
「ん……?」
「蜂須賀小六が弟、七内にござる」
ただ、反応が些か弱い。薄目を開いてこちらを見たものの、わかっているのかいないのか。また目を閉じてしまった。これでは、少なくともまともに話し合う事などできない。途方に暮れた儂は、ため息を吐いて……部屋を出た。
「無駄足であったか……」
「申し訳ございません。お体が悪い中、わざわざ敦賀より来て頂いたというのに……」
平謝りの菜々殿には悪いけれども、全くもってその通りだと思った。これでは何のために……と。許す、許さないはまだ心のうちで結論は出ていなかったけれども、少なくともこれじゃあ、許すわけにはいかない。「ふざけるな、猿よ!」と叫びたかった……。
「むっ!?」
「な、なに!?この臭いは……」
しかし、その時……そんな雰囲気など歯牙にもかけない強烈な臭いがあたりに充満して、もうそれどころではなくなってしまった。涙が……涙も止まらない!!
「と、兎に角、外へ……」
「え、ええ……」
こちらに向かってゆっくりと近づいてくる足音は聞こえたような気がしたが、もうそれどころではない。儂は菜々殿と共に廊下から庭に下りて、少しでも今居た場所から離れようとした。すると、入れ替わるように現れたのは、寧々様だった……。
「手には膳を持っているようなって……まさか!」
「あの女狐!一体何をする気!?」
あれがもし、お手製の料理という事で、藤吉郎殿に食べさせるつもりというのならば、大惨事になりかねない。異臭をものともせずに、部屋の中に消えた寧々様を追いかけていった菜々殿の後に儂も続く。しかし……
「ぐはっ!」
「藤吉郎っ!」
どうやら手遅れだったようで、藤吉郎殿は空になった椀がいずこかに転がる事も気にする余裕もなく激しく藻掻き苦しみ、そのまま大量の血を吐いた。どう見ても、助かる余地はない……。
「あれ?ちょっと……何で血を吐くのよ。今度は塩を入れていないのに……」
「このっ!女狐ぇ!!!!」
「菜々殿!落ち着かれませ!!相手は大政所様ですぞ!!」
「うるさいっ!よくも、よくも、殺してくれたなぁあ!!わたしの、わたしの藤吉郎をぉ!!!!」
菜々殿が激怒するのは当然だと思うが、短刀を抜いて斬りかかったので、流石に駆けつけてきた慶次郎殿と共に全力で取り押さえた。この上怪我でもさせて、羽柴家が取り潰されるようなことになっては、藤吉郎殿も浮かばれないだろう……と。
しかし、どうしてこんな事になったのか……儂は、半兵衛殿に連行される寧々様を見送りながら、ため息を吐いたのだった。
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