第967話 寧々さん、藤吉郎を送る(7)
慶長3年(1598年)8月下旬 近江国小谷城 寧々
藤吉郎殿にお味噌汁を飲ませる——。
そう約束したものの、わたしは思案する。料理下手は周知の事実だから、正直に皆にいえば、必ず叱られて止められることを。
「おや?その顔は……またよからぬことを?」
「そ、そんな事はないわよ。流石に懲りましたから……」
特にこの半兵衛にだけは、絶対にバレるわけにはいかない。苛烈なお仕置きは確実だ。
「お福……ちょっといいかしら?」
「大政所様?」
だから、お味噌汁づくりの準備や練習を行うにあたっては、相談する相手を慎重に選ぶことにした。我が家に来てからまだ日が浅い……このお福ならば、きっと何も疑わずに色々と手伝ってくれるはずだ。
「一般的なお味噌汁でいいのですよね?一応、こちらに作り方をまとめましたけど……」
そして、お福殿はわたしの期待通りに、調理法を記した紙を渡してくれた。
「ありがとう。あと……この事は誰にも言わないでね?」
「承知しております。大政所様ともあろうお方が厨房に立たれるとなれば、何かと外聞がよろしくないと、そういう事なのですね?」
「ええ、そうよ」
まあ、確かに外聞は悪い。また糞タヌキを殺すつもりなのかと疑われるわけで……下手をすれば新選組も出動しかねない。
でもまあ、こうして調理法が分かった以上はこっちのものだ。慶次郎の下で居候している臨海君が城下で無駄に傾いていたから荷物持ちに徴用して、わたしは少し遠出して長浜まで買い物に行く。
「あ……!あの雑草。ネギに似ているし、いい感じじゃないかしら?」
「そうっすね。辛子につけたらいいキムチになりそうっす!」
「あのね……作るのはお味噌汁で、キムチじゃないのよ?」
ただ、臨海君の賛成も得た事だし、わたしは雑草を採取して袋に詰める。そして、あとは鮮やかなキノコを何点か確保して、長浜の市場に到着した。ここでは、味噌と出汁にするための小魚を買う予定だ。
「でも、あまり時間はないから、早く選ばないといけないわ」
「だったら、寧々様。あの魚はどうですか?確か美味しかったはずです」
「フグか……。確かに周防に滞在したころに刺身で食べたけど、美味しかったわね」
あまり見た目は良くないし、値段も結構したけれども、それを3匹購入した。小魚ではないけど、高級魚のようだし……まあ、きっと大丈夫だろう。いい出汁が出るはずだ。
「あとは、味噌だけど……」
少し歩いたところに味噌を売っている店があったので商品を拝見させてもらうが……どれもこれもイマイチ独創性に欠けるような気がする。だから、思い切って店主に訊ねる。珍しい味噌はないのかと。
「あるよ」
その店主は少し不愛想ではあったが、わたしの願い通りに店の奥から黒い味噌を持ってきてくれた。聞けば、先代が仕込んだ20年物の味噌だそうで、本来であれば門外不出の物だとか。
「だけど、問外不出なら……売り物じゃないですよね?」
「お客さん……どうやら、通のようだからね。今回に限り、ト・ク・ベ・ツに!その小さい樽1個を100文(12,000円)で譲ってあげる事にしよう。先代もきっと喜んでくれるさ」
これはとてもツイている。わたしはすぐに財布から100文を取り出して、店主に支払いを済ませた。蓋をしていても漂う普通の味噌とは一線を画す独特の臭いが、特別な物であることを示す証なのだろう。
「寧々様……臭いっすよ、これ!」
「我慢しなさい。美味しい味噌汁作れたら、あんたにも飲ませてあげるから」
「い、いや……遠慮しとくっす」
しかし、これでお福から貰った紙に書かれていた材料はそろった。だから、これから帰ろうと臨海君に出発を促したのだが……
「寧々様、やはりこれを……」
「これって、唐辛子よね?」
「料理するなら、これを入れないと始まらないでしょ!」
どうしても欲しいと駄々をこね始めた臨海君に手を焼いて、その唐辛子を購入して荷物に加えた。
「まあ、隠し味で少し入れてもいいわね」
あとは、小谷に帰って味噌汁を作るだけだ。今度は前のように塩を大量に入れたりしないから、きっと美味しくできるはずだ。
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