第966話 寧々さん、藤吉郎を送る(6)
慶長3年(1598年)8月下旬 近江国小谷城 寧々
半兵衛のお仕置きを受けた後、用意されていた罪人用の籠に乗せられて帰宅する羽目になったわたしだが、仙石権兵衛が訪ねてきていると聞いて首をかしげることになった。
「何の用かしら?」
しかし、それを伝えに来た侍女は「伺っても大政所様にしか話さないと言われまして……」と答えたため、仕方なく直接会うことにした。
しかし、面会した権兵衛は、「まずは……」と言って、羽柴屋敷で行方不明なっていたわたしの下帯をそっと差し出したのだった。
「な、何であんたがこれを持っているのよ!この変態!」
まさか、クンクン犬のように嗅いでいないかと追及すると、「これを嗅いだのは殿にございまして」……と、自分は無実であると強く主張したのだった。
「待って。殿って、藤吉郎殿の事よね?小一郎殿じゃなくて……」
もし、小一郎殿が嗅いでいたら、お玉さんに通報しなければならないと思っていたが、権兵衛は間違いなく藤吉郎殿であると言い切った。
そして、その藤吉郎殿がわたしに会いたいと言っているので、どうかついて来てほしいと。
「それは別にいいけど……その様子だと、羽柴屋敷じゃないし、菜々さんたちにも秘密という事かしら?」
「ご賢察の通りにございます。殿は、寧々様と内密な話をしたいと申されておりまして……」
どこで待っているのかは、訊ねても権兵衛は答えなかったが、病状を考えたら、きっとかなり無理をしていることは容易に想像がつく。それゆえに、四の五の言わずにわたしは屋敷を抜け出して、会いに行くことにした。
すると、城下を出て、この春花見を行った高時川の畔まで出たところで、権兵衛は指を差した。
その先にある古くて小さな神社に藤吉郎殿がいると。
「某はこちらで待っておりますゆえ……」
「わかったわ。行ってくるわね」
どんなことを内密に話されたいのかはわからないけれども、兎に角、わたしの下帯を嗅いだことは許せない。元気そうならば、頬に一発くらいお見舞いしてあげようと思いながら鳥居をくぐると……
「寧々殿、来てくれたか!」
声は元気だが、歩み寄ってくる足取りに力なく、ふらふらしている藤吉郎殿。危ないと思って、わたしは急ぎ駆け寄り、これを支えた。
「あはは、すまぬな……」
「すまぬじゃないでしょう!無理して……死にたいの!?」
そして、座れそうな縁台があったので、そちらにゆっくりと座らせる。ただ、藤吉郎殿は寂しそうに呟いた。
「いずれにしても、もうすぐ死ぬのだ。無理をしようがしまいが、最早大した話ではない……」
その言葉を聞いたわたしは、胸が苦しくて涙がこぼれそうになった。何度も覚悟して覚悟し直して、今日までやってきたが、やはり……藤吉郎殿を送るのだと思うと辛い。
だけど、それだからこそ、わずかな時間でさえも無駄にしたくはない。気持ちを無理やり切り替えて、用件を尋ねることにした。こんな場所に連れ出して、何の用なのかと。
「いや、なに、最期に寧々殿の味噌汁を飲みたいと思ってな」
うん……これは正気ではない。自分でいうのも悲しいけれども、わたしの作る料理は毒だ。過去の統計によれば、4割の確率で死に至り、3割の確率で何らかの障害が残り、口から泡を吹いてでも後遺症なく生還できる確率は、3割しかないのだ。
ただし、それも健康な人であることが条件であり、今の藤吉郎殿ならば……わたしとしての成功作、口から泡を吹く味噌汁であっても、きっと死に至るであろう。お勧めできるはずがない。
「冗談じゃなく、本気で言うけど……死ぬわよ?」
「もちろん、承知の上じゃ。大体そもそもの話、儂はもうすぐ死ぬのだ。ならば……寧々殿の味噌汁でせめてあの世に旅立ちたい」
ああ……藤吉郎殿はそう言われるけど、絶対にこれは菜々さんに恨まれるなと思った。いや、下手をせずともこれは暗い夜道で刺殺される案件だ。
「まあ、そこまでいうのなら、作ってあげるわ!」
だけど、この体で会いに来てくれてお願いされたからには、願いを断ることはできない。わたしは、とびっきりのお味噌汁を用意すると藤吉郎殿に約束したのだった。
お読みいただきありがとうございます。
お気に召しましたら高評価&ブックマークいただければ幸いです。




