第99話 寧々さん、上洛前に釘を刺される
永禄8年(1565年)1月下旬 近江国小谷城 寧々
お義父様と長政様の許可を得たので上洛の準備をしていると、政元様が鎌刃城から帰ってきた。お帰りの予定はまだ先のはずだったが、そんなことを言ってもいられず、わたしは部屋の入口で出迎えるが……
「お帰りなさ……」
「書状を見た。上洛するって、どういうことだ?」
しかし、わたしの顔を見るなり、政元様は御腹立ちのご様子でそう言い放ってきた。そこで仕方なくこのままではまた幕府から上洛を求める使者がやってきて、長政様を丸め込もうとするため、そのようなことは止めて頂くように釘を刺しに行くのだと、事情を説明した。
「今の浅井に軍勢を率いて上洛できるだけの力がないことは、おまえ様もご存じでしょう?」
兎にも角にも、無い袖は振れないのだ。農民を駆り出して兵を整えたところで、春の田植えの時期には戻さないといけないし、そもそも京で消費する兵糧も調達する資金がない。そのことは勘定方を預かる政元様が一番よくご存じのはずだ。
「だが……なにも、寧々が行く必要などないではないか。何だったら、俺が代わりにでも……」
「あのね、おまえ様。ただ行けばいいわけじゃないんですよ?可及的速やかに公方様にお会いするためには、色々な方のお力が必要で……そう言った方々と面識があるわたしじゃないと、務まらないお役目かと思いますが?」
「そうかもしれないが……」
京に上ったこともない政元様には、当然、朝廷や幕府に伝手などあろうはずもなく、わたしの言うとおり、行った所ですんなりと公方様に会えるわけではない。しかも、幕府は長政様を何とか丸め込み上洛させたいわけなので、面会はあれこれと言い訳されて、中々実現できないだろう。政元様が相手ならば、きっとそう対応するはずだ。
「ならば……俺も行こう。供に加えてくれ」
「ダメです」
「どうして?別に一人くらい加わっても……」
「だって、遠江守殿の具合がよくないのでしょう?それに、領内改革のお仕事もございますれば、おまえ様こそ京に行っている暇はないのでは?」
「それは……まあ、そうかもしれぬが……」
「ならば、そちらを優先させてくださいませ。大丈夫ですよ。わたしの方は、半兵衛も慶次郎も居ますから」
この二人がいれば、余程の事がない限りは身の安全は保障されたものだ。例えうっかり政変に巻き込まれても、わたしと万福丸だけならば、守り抜いてくれるだろう。何も心配することはない。
「……はぁ、寧々はホント強情だな。結局、いつもこうして俺が折れざるを得なくなる……」
「その点は済みませぬ。ですが……」
「わかっている。そなたは俺や子らのことを第一に考えて、いつも動いてくれていることはな。時々、暴走することもあるから心配はするが、信頼はしている」
「おまえさま……」
「それで、いつ出立していつ帰ってくるのだ?」
こうして、ようやく政元様の了解を得ることができて、わたしはこれからの予定を説明した。
「来月、雪が解けるのを待って出立しようと思っております。そして、ひと月ほど逗留して、遅くても3月中には帰ってこようかと」
何しろ、5月の半ばに義輝公が弑される政変が京では起こるのだ。半兵衛や慶次郎がついていて安全は保障されたも同然とはいっても、変にかかわりを持って三好や幕府の恨みを買いたくはない。危うきには近寄らずだ。
「とにかく、気を付けて行くのだぞ。あと、慶次郎と半兵衛の言うことは必ず守って、勝手なことはしないようにな」
「おまえ様!わたしは子供ではありませんわ!」
その余計な気遣いにわたしはそう返すと、政元様は笑った。




