第965話 菜々さんは、念願の勝利を手にするも……
慶長3年(1598年)8月下旬 近江国小谷城 菜々
女狐の悲鳴が聞こえてきて……わたしは、勝ったと確信した。
「お義母様、おめでとうございます」
「お玉さんもありがとうね」
そう……あの女狐の風呂を後の順番にしたのも、お酒を差し入れしたことも、 半兵衛殿に通報したのも、全部まとめてわたしの企みによるものだ。全ては、藤吉郎が生きているうちに、あの女狐にきっちり仕返しするために。
「長い戦いだったわ。いつもいつも、あの女狐に煮え湯を飲まされて……」
清洲では身代わりに誘拐されて怖い思いをさせられたし、妊娠を装ってからかったら後には退けない様に嵌められるし、墨俣では莫大な借金を背負わされるし、横山城では改易をちらつかされて内政干渉されるし、香菜の結婚でも脅されるし……最後まで藤吉郎の心を掴んだままだし……。
「ああ、くそ!思い出しただけでも、また腹が立ってきたわ!!」
「お、お義母様!?その茶碗は総見院(信長)様から頂いた大事なものですよ!!投げたらダメぇ!!粉々になったらお家も粉々になっちゃいますぅ!!」
そうだった……。これを割ったら、小一郎が切腹しなければならなくなる。またあの女狐のせいで、大事なものを失うところだったわね……。
「しかし、お松殿ですが……慶次郎殿と何があったのでしょうか?」
「お玉さん、詮索は無用よ。特にお松殿は、今回の件で協力してくれたのですから……」
そうは言いながらも、かくいうわたしも気にならないわけではない。あの思わせぶりからすると、おそらく不倫関係だったとかなのかもしれないが……もしそうなら、清楚な顔してあの人もなかなかやるわね……。
「まあ、兎にも角にも、これであの女狐もしばらくは大人しくするでしょう。昔の恋人か、前世の妻だったかとかは知らないけど、いつまでも身内面されるのは迷惑だからね……」
「え……前世の妻?」
「ああ、それは言葉のあやよ。気にしないで」
あぶないあぶない。これは、表にすることができない話だったわ。我が家の安寧のために、小一郎やお玉さんたちには知られるわけにはいかない。
そして、しばらくして喧騒が治まり、女狐が帰ったと聞いてわたしは藤吉郎の部屋へと向かう。しかし、閉まっているはずの襖が開いているのでおかしいと思って急ぎ中に踏み込むと……
「え……?」
どういうわけか、そこに藤吉郎はいなかった。
「うそでしょ……ど、どこに行ったのよ!」
お玉さんも慌てて家中の者たちにその行方を探させるが、結局屋敷の中にはいないようであった。
「一体どこに……」
ただ、集まった家臣たちを前にそう零しながらも、わたしは違和感を覚える。ここにいるはずの家臣が一名欠けていることに気づいたのだ。
「仙石は……仙石権兵衛はどこに?」
「さ、さぁ……?」
「そういえば、あの騒ぎ以降、見ていませんな・……」
……となれば、その仙石が藤吉郎を連れ出した、あるいは供をしている可能性は大だ。わたしは、屋敷の外へと捜索の範囲を広げるように皆に命じた。
「あの体だから、いずれにしてもそう遠くは行っていないはずよ!城下を中心に探しなさい!!」
馴染みの茶屋や居酒屋、それにパチンコ店。小谷の山に入っている可能性は……考えたくもなかったが、一応そちらにも捜索を出してもらうように、新九郎様に頼んだ。
「あとは……」
「お義母様、もしかして……虎御前山の豊臣屋敷に向かわれたという事は?」
「豊臣屋敷……あの女狐の家か!」
これも考えたくはないが、藤吉郎の執念を想えば、その可能性を否定できない。
「それに、この小谷で一番力を持っているのは、何といっても豊臣家。御不快ではございましょうが、お力をお借りしては如何でしょうか?」
「……わかったわ。あなたの言う通りにしましょう」
先程まで痛い目に遭わせておいて、図々しいと我ながら思うけど、今はそんなことを言っている場合ではない。そう考えたわたしは、この場をお玉さんに委ねて豊臣屋敷に向かうことにしたのだった。
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