第962話 寧々さん、藤吉郎を送る(4)
慶長3年(1598年)8月下旬 近江国小谷城 寧々
清兵衛殿に同意を取り付けたものの、流石に体の具合を考えたら、馬に乗ってわたしたちに同行するというわけにはいかなかった。移動に当たっては輿を使うという事で、後からやってくるという。
だから、わたしと慶次郎は途中で護衛の兵たちを回収して、再び小谷に戻ってきたわけだが、到着するやお客様がやってきていることを知る。
「おお、皇帝陛下!麗しきご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じまする!」
それは……大陸で清国を事実上支配しているヌルハチ殿であった。もちろん、その傍には伊達殿の姿もある。
「一体これはどうしたの?」
「実は……」
伊達殿が説明するところによると、ヌルハチ殿は御子息と陽菜姫の婚約を大いに喜び、元々お礼言上のために来日するようだったが、その準備の最中に藤吉郎殿の危篤を知って、急ぎお見舞いにと駆け付けてくれたらしい。
「息子にとって義理の曽祖父にあたる方と藤次郎から訊きました。どうか、一言だけでもご挨拶をさせていただきたく……」
まあ、律儀な事だと思うし、それゆえに拒む理由はない。わたしはこれから羽柴屋敷に向かうにあたって、二人の同行を認めることにした。しかし……
「寧々様、あれは何でしょう……?」
伊達殿が指を差した方角――羽柴屋敷の門には、多くの女性が門番と言い争う姿があった。だから、慶次郎に命じて何が起きているのかを確認してもらったのだが……女たちは慶次郎の姿を見るなり群がってきて、混乱に拍車をかけてしまった。
「あれ、火に油を注いだ!?」
「まあ、慶次郎殿は京では傾奇者として、また例の薄い本でも有名人ですからねぇ。しかも、歳をとっているけど、相変わらず顔もいいし……」
しかし、伊達殿の言う通り、顔がいいのは認めるけれども、これでは結局何が起きているのかわからず仕舞いだ。 ゆえに、しびれを切らしてわたしは伊達殿とヌルハチ殿を連れて騒ぎの輪の中へと進んだ。
「皆の者、控えよ!大政所様の御前であるぞ!!」
顔やら首筋やらに接吻を付けた慶次郎に言われても……と思わないでもなかったものの、その一言でこの騒ぎは静まり、女どもは皆頭を垂れた。だから、その上でこれは何の騒ぎなのかとわたしは一同の者に訊ねた。
「実は……」
代表のような形で、わたしの前に進み出て事情を話すのは……どこかで見たことがあると思っていたが、前世の『香の前』だった。今は、伏見の浪人・高田次郎右衛門の娘・お種と名乗っているが、聞けば藤吉郎殿と関係を持ったので、側室としてきちんと扱ってほしいという話だった。
「それって……」
「要は、羽柴家 66 万石の側室として、分け前が欲しい……有体に言えば、そう言う事ではないでしょうか?」
この皮肉を込めた伊達殿の発言に対して、この場に集まる女たちからは一様に抗議の声が上がるが、わたしも同じ理解だ。特に今の藤吉郎殿の状況を想えば、関係を持っていなかったとしても全員認めてしまいかねない。
だから、わたしは慶次郎に命じて、この女たちを一先ずどこかの空き屋敷に放り込むように命じた。あとで直々に詮議するからと。
「あ……す、すみません。ちょっと、お腹が痛くなりましたので、厠に……」
「あ、わ、わたしも……」
すると、この場に居たのは20人余りであったが、次から次へとそのように言い出しては数を減らしていき、残るは3名となった。先程のお種殿と、因幡の守護だった山名家の娘・あかね殿、それに肥前の国人で羽柴家に従う名護屋家の娘・お広殿だが、いずれも前世で藤吉郎殿の側室だった方々でもある。
「最終確認だけど、あなたたちは逃げないのね?」
「はい、羽柴の殿からお情けを賜りましたのは嘘ではございません。ゆえに、逃げる必要はないかと思いまして……」
「そう」
ならば、この三人は本物だと考えて、丁重に扱うように慶次郎に命じた。もっとも、菜々さんの性格を考えたら、すんなりと藤吉郎殿の側室と認めないかもしれないが、その時はこのわたしが身の立つように取り計らえばいいことだ。
そして、騒ぎを鎮めたわたしは、ヌルハチ殿と伊達殿を連れて、屋敷の門をくぐるのだった。
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