第953話 小一郎は、蒲生騒動のあおりを受けて
慶長3年(1598年)8月上旬 肥前国名護屋城 羽柴秀勝
仲直りの後に大坂に残したお玉から書状が届き、小谷におわす父上の容体が日に日に悪化していると知らせてきた。だから、今すぐにでもこの肥前を発ちたいが……
「おい、すぐに確認を取れ!本当に島左近が襲われて、大和派が一斉に出奔したのか!?」
「そのように博多の商人たちが言っていたと、城下を訪れた旅人が宿の女将さんに話していたのを儂の家来がそこの馴染みの女中から聞いたようでして……」
「たわけ!そのような情報が当てになるのか!」
「しかし、父上。福島殿の言われる事はあながち間違いではないのでは?蒲生領との国境は厳重に封鎖されており……」
「熊之助!それだけでどうして市松の言う事が正しいというのだ!若輩者は引っ込んでおれ!……それで、おまえの兄・吉兵衛(長政)は今、どこにいるのだ!?」
……うん。この忙しい最中に、西国管領の俺が抜けると言えば、きっと官兵衛はキレちゃうな。ああ、どうしたらいいのやら……。
「殿、それから父上……」
「吉兵衛、戻ったか。それで、何ぞ分かったか?」
「はい、豊後の大友常陸介(親家)殿から文が届きました。どうやら、島左近らは大友領を通過して、南に向かったようです」
「南……?」
その言葉に俺は思わず首をかしげて、そう声を漏らしてしまった。なぜ、関白殿下がおられる東の大坂、あるいは西国管領でこの件を裁く権利を有する西の我らの所に向かわなかったのかと不思議に思って。
すると、吉兵衛はその理由を教えてくれた。
「実は現在日向・延岡に、大政所様がお見えになられているのですよ。御母君のお見舞いという事で」
「なに?」
それは全く知らなかった話だ。しかし、それを聞いた官兵衛は顔をしかめた。
「如何したか?」
「殿……これは、まずい事になりましたぞ……」
「まずい事?」
意味が分からない。大政所様がおられるのであれば、この問題は早々に解決しそうに思えるが……
「なるほど。つまり、その場合は殿の西国管領としての資質が問われる事態になりかねない……そう仰せられたいのですか?」
「そうだ、吉兵衛。ゆえに、このまま大政所様の下へ行くのを幸いとして、我らが何もしないわけには参らぬであろう。少なくとも、その意思の決定に西国管領たる殿のご意向を加えて頂かなければ……」
「それって……」
つまり、俺自身がこれから日向に向えという意味だ。
「し、しかしだな……」
「殿?」
日向に向えば、おそらくだが……父上の死に目に会えないような気がする。だから、官兵衛に「何をためらわれておられるのですか」と迫られても、それで本当にいいのかと決断できない。
だけど、そんな俺に吉兵衛が言う。
「ご懸念なされているのは、大殿の事ですか?」
「な……お、おまえ、知っていたのか?」
「はい」
ならば、もう隠す必要はない。俺は父上の死に目に会いたいから、日向に向かわずにこのまま近江に向かいたいと心の内をぶち撒けた。
「官兵衛の申すことは尤もなれど、だけど……例え西国管領を棒に振っても、俺は父上の下に駆け付けたい。どうか、許してもらいたい」
しかし、そんな俺を見て、官兵衛は一つため息をついて、それから言った。それでもやはり、日向に向かうべきだと。
「官兵衛……」
「お気持ちはよくわかりますが、羽柴家にとって重要なお役目を放置して駆けつけた殿を見て、大殿は果たしてお喜びになられますかな?」
「それは……」
間違いなく、叱られるなと思った。この羽柴家は、父上が一代で築き上げた家。それを潰すつもりかときっとお怒りになられるはずだ。
「だけど……それならどうすれば……」
「殿」
「なんだ……吉兵衛」
「畏れながら、大殿におかれましては大政所様への執着は並々ならぬもの……いや、あれはまさに与一郎級のものと心得まする。違いますか?」
「いや、違わないな。だが、それがどうした?」
「であれば、大政所様が日向にいて不在なのに、果たして最後に一目会わずして黄泉の国へ旅立たれましょうや?意地でも御帰還をお待ちなさるのでは……と、某は考えまする」
なるほど。つまり、日向に行った後に大政所様と共に小谷に向えば、父上に叱られずにその死に目にも会えるという事か。確かに、これまでの父上の言動を思えば……十分に考えられるな。
「それで、殿。如何なさいますか?」
「相分かった。ここは吉兵衛の言うとおりにしよう。すぐに出立の準備を整えてくれ」
「「はっ!」」
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