第951話 寧々さん、母を見舞いに日向へ旅立つ(5)
慶長3年(1598年)7月下旬 日向国延岡城 寧々
「……ホント、酷い娘だね。母親が死にかけているのに、金儲けの算段をしていたなんて……」
土佐を出発してほんの数日で日向国延岡に到着したわたしに、母上が開口一番、そのように嫌味を言ってきた。まあ、鰹を巡っては、あれこれと宮内少輔と話を詰めていたから、到着が日延べしたのは事実だが……
「でも、思ったほど死にかけてないじゃない!何よ、すぐにでもぽっくり行くような知らせを寄越しておいて、その言い草は!!」
床には横たわっているが、意識もはっきりしているし、どこが危篤だぁ!……と言いたい。
しかし、お稲さんの見立てでは、やはりそう長くはないらしい。今はまだこのように言い合える程に元気そうだが、直にできなくなると……。
「ねえ、母上……」
だから、今のうちに言っておく。前世では伝えることができなった感謝の気持ちを。「今までありがとう」と。
「なんだい、気持ち悪いわね。もしかして……あんた、もうすぐ死ぬのかい?」
「いや、死にかけているのは母上でしょう。何でいきなり、わたしが死ぬ話になるのよ……」
「だって、あんた、酒の飲み過ぎで余命宣告受けているんだろ?希莉ちゃんがいっていたわよ。だから、もうすぐ美濃10万石が手に入るんだって」
希莉め……あれほど、美濃10万石の化粧領は、秀頼に譲ると言ったのにまだ諦めていないのか!
「まあ、そんなに怒るんじゃないよ。きっとお茶目な冗談さ。しかし、あの小さかった希莉ちゃんが母親になるなんてね。爺さんにいい土産話ができたよ」
玄孫にあたる光希とは、さっき希莉と共に会ったそうだ。優しい子に育ちそうね、と母上は言った。
「しかし、お転婆で手が付けられなかったあんたが上皇様って……一体世の中どうなっちまったんだろうねぇ」
「あのね、手が付けられなかったって何よ!」
全くもって言いがかりだ。政元様と一緒になる前は、清洲のお城でお淑やかな侍女として過ごしていたのだ。それのどこが……
「だって、親の目を盗んで何が気に入ったのかは知らないけど、猿のような男と逢い引きして、挙句の果てに駆け落ちしようとしたじゃない。止めれば止めるほど意固地になるし……あの時は爺さんと一緒に頭を抱えたものよ?」
「そ、それは……む、昔の事よ」
「そう?まあ……最終的には思い留まってくれたから、その事は忘れてあげてもいいけど……あれ?そういえば、何であの猿と別れたんだっけ?」
さらには、「あの日、何か人が変わったような……」と言い出した母に、わたしは誤魔化すように剥いた蜜柑を母上の口に放り込んだ。これ以上、余計な詮索をさせないためにも。
「おや?これは中々にいけるわね」
「でしょ?」
「それで……そこまで慌てて誤魔化そうとしているところを見ると、何かやましい事がある、そういう理解で良いわけね?」
う……鋭い。まあ、すでに多くの人にバレているし、言っても問題ないか。
「実はね……」
「あ、良いわよ。言わなくても」
「へ……?」
意味がわからない。自分から問い詰めてきたのに言わなくてもいいとは、一体……。
「実は、娘だと思っていたのに誰かと入れ替わっていた……とか、今更そんな話を聞かされる位なら、知らずに死んだ方がマシよ。だから、何も言わないでおくれ」
いや……前世のわたしと入れ替わっただけだから、娘には違いないんだけど……。
「あれ……?」
そして、そんな事を考えていると、布団の下に何やら隠している物があることに気付いた。
「これは……」
何でこんな物がここにあるのか。母上の抵抗を押しのけて取り上げた薄い本は……友松尼の新刊だ。遠い未来の男の娘が蘭丸に乗り移って信長様とあれこれする話だったと記憶している。
「い、いやぁ!き、希莉ちゃんが面白いからと置いていてってね。言っておくけど、読んでないからね!?」
その割には慌てる母上に、わたしは苦笑いを浮かべてため息をついた。まさか、人生の最終盤で腐るとは……と。
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