第948話 土佐の出来人は、突然の襲来にドタバタする
慶長3年(1598年)7月中旬 土佐国浦戸城 長宗我部元親
「なに、大政所様がお見えになられていると……?」
「はい、どうやら日向・延岡におられるお母上の見舞いに向かわれている途中に立ち寄られたようでして……」
ただ、その表向きの事情とやらを鵜呑みにすると、きっと痛い目に遭うだろう。何しろ、サン=フェリペ号の一件で、幕府の不興を買っているのは確実なのだ。
「父上……何度も申し上げておりますが、此度の事、幕府の命に素直に従って、賠償金の支払いに応じては……」
「何をいうか!古来より、漂流した船の積荷は領主の物にして良いとなっているではないか!それなのに……なぜ返さなければならないのだ!!」
「……それは、鎌倉の御代に定められた『廻船式目』の話でしょう。時代が変わっているのですから、そのような理屈が通るとは……」
確かに弥三郎の言うとおりだ。時代が変わったのだから、今の関白殿下に通じないということも実は理解している。
だけど、すでにその大半を使ってしまった以上は、無い袖を振るわけにはいかないのだ。借金をしようと思っても、堺の商人たちは我らを田舎者と見下して相手にしてくれないし……もうどうしようもない。
「しかし、父上。大政所様が来られているのに、出迎えもせずに放置するわけにはいきますまい」
「そうだな……」
大政所様にそのような無礼を働いたと……あの母上大好き病の関白殿下の事だ。確・実・に!……我が長宗我部を潰しにかかってくるだろう。そうならない為にも……儂は大手門まで出向いて、恭しくお迎えすることにした。
「大政所!遠路遥々お越し下さり、誠に忝のう存じます!」
「宮内少輔殿、出迎えご苦労さま。実はね、慶次郎と希莉が鰹をたくさん釣っちゃってね。それで、海に捨てるのも勿体ないし、できたらこれを美味しく捌いて貰えないかと……」
「は、はぁ……」
一体、これはどう判断したら良いのだろうか。実際に後ろに続く鰹の山が載った何台もの荷車を見て、儂だけでなく弥三郎さえも二の句を継げないでいる……。
しかし、いつまでも呆けていても始まらない。
「弥三郎、皆様を御殿にご案内いたせ。儂はこの鰹を何とかする」
「畏まりました」
これでいい。今は、出来うる限り、大政所様との接触を少なくしておきたい。ただ、問題はこの鰹をどう料理するかだ。
「魚といえば刺し身だが……」
「殿、それはやめておいた方が。万一、食あたりなど、発生させた日には……」
そうだな。あの関白殿下が許してくれる筈がないな。積荷の一件もあるし、我が家に厳しい沙汰が確実に下ることになるな……。
「ならば、どうする?」
「知り合いの漁師から前に聞いたことがありますが、藁で焼いて塩で食べると美味しいとか……」
「食あたりは大丈夫なのか?」
「絶対に……とは参りませぬが、それを言い出したら、全ての料理も同じようなものでしょう」
確かにそのとおりだ。
「試しに1匹分でやってみませんか?ダメだったら、別の手だてを考えれば良いわけですし」
「相分かった。そなたの言う通りにしよう。早速、取り掛かってくれ」
「承知いたしました」
そして……暫くした後に運ばれてきたそれを試食して、儂は素直に「美味い」と言った。
「これなら、大政所様もお喜びになられるはずだ」
特に酒があったら、きっと最高だろう。気持ちよく酔いつぶれて、積荷の一件を忘れて頂き、この土佐から穏便にお引き取り頂く……。
「ふふふ、実に完璧な作戦だ」
無論、大政所様が禁酒中であることは存じているが、それは表向きのことだと大名衆の間では評判だ。小谷のとある消息筋からの情報では、「あの女狐、近頃厠が長いから、絶対に飲んでいるな。儂を糞康とか言うくせに、どっちが糞なのか」……と。
だから、儂は料理の準備と共に酒を用意するようにも命じた。何しろ、この土佐の酒は美味いのだ。きっと気に入ってくれるはずだ。
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