第946話 寧々さん、母の見舞いに日向に旅立つ(1)
慶長3年(1598年)6月下旬 近江国小谷 寧々
帰蝶様が安土にお帰りになられた後、大坂の忠元から知らせが届いた。それは……日向にいる母上が倒れた事を知らせる内容だった。
「おばあ様!わたしもすぐに支度を……」
「希莉。気持ちはわかるけど、あんたはここに残りなさい。柚希もいることだし……」
「でも……」
わかっている。希莉は昔、日向に一時期居たから、母上に一目会いたいという事は。だけど、生まれたばかりの柚希を放置しての旅はいただけない。いや、それでわたし自身、瑚々の時に失敗しているからこそ、乳母任せにせずに残る様に強く勧めた。
「あんたの代わりに光希を連れて行くから、それで我慢しなさい」
「……それって、母上が単に光希を独占したいだけじゃ?」
う……希莉のくせに鋭いわね。すると、脇に控えていたお福が口を挟んで来た。それならば、自分が柚希の面倒を見ながら同行すればよいのでは……と。
「それは妙案ね!でかしたわ、お福!」
「いえ、それほどでは……」
「お福には、千熊もいるでしょう?ただでさえ、幼子を連れての長旅は危険だというのに、二人も面倒見れるの?」
「そ、それは……」
「できないのなら、言わない事よ。希莉も……少しは考えなさい。母親が子を守らなくて誰が守るのよ」
言っていることは間違っていないつもりだ。側に控える慶次郎と半兵衛が何か言いたそうにしているが、それはきっと気のせいだ。
「ご自身の事を棚に上げて……」とか「覚えていないとは……もしかして、ボケているのでは……」とか聞こえたような気がするが、きっと空耳だろう。そうだ、そうに違いない。
「まあ、そういうわけで、あんたは留守番。いいわね?」
「くっ……!」
悔しそうにしているけど、柚希の事を考えたらこれが一番いいのだ。そう心を鬼にして、希莉にそう申し渡したところ……呼びもしないのにやってきたのは、糞タヌキだ。
「ならば、柚希の面倒は儂が見よう」
いきなり横から口を挟んできて、そうのたまうこの糞タヌキに……わたしは懐に忍ばせていたクナイを思いっきり投擲した。
「う、うわぁ!な、なにをするか!!」
ちっ……躱しやがったか。しぶといわね……。
「何をするかじゃないわよ。これは人間世界の問題なんだから、あんたみたいな糞タヌキがしゃしゃり出ていい場面じゃないのよ。だから、消えてくれる?いい加減、この世から!」
そう言いながら、もう一度その喉仏を目掛けて全力で投擲する。だから、今度こそ仕留めたと確信したのだが、今度は希莉が刀を抜いてこれを弾いた。「お義父様を苛めないでといいましたよね!」と言いながら。
「希莉……あんた、自分が何をしたのかわかっているの?その男は……」
「おばあ様こそ、昔、何があったのかは存じませんが、いい加減になさって下さい!お義父様……大丈夫ですか?」
「おお、すまぬのう。希莉殿は実に優しい嫁御よな。いつもありがとう」
「いいえ、徳川の嫁として当然の務めですわ!」
はっきり言おう。滅茶苦茶腹が立つ。この糞タヌキ……わたしからひ孫を奪っただけでは飽き足らず、大事な孫娘まで手を伸ばすなんて!
こうなったら、勝蔵君に「道糞が希莉に手を出した」とか、あることないこと吹き込んで成敗してもらうように仕向けよう。そうだ、それがいい。日向から帰って来る頃には、きっと三途の川向こうにいるはずだ。
「それで……このように、お義父様が柚希を見てくれると言われているのです。もちろん、お福も残します。それならば、わたしも同行してもいいですね?ひいおばあ様もきっとわたしに会いたいと思われているでしょうし……」
母上が希莉に会いたがっていることは否定しない。そして、甚だ不本意ではあるが……糞タヌキが柚希の面倒を見てくれるというのならば、これ以上止め立てする理由もない。
「わかったわ。なるべく早くここを発つから、支度を急ぎなさい」
わたしは、希莉の同行を認めることにした。なお、小谷からは政元様と辰之助も、一緒に日向へ向かうことになっている。
「ああ、そうそう。おやつは3文(360円)までだからね?」
「へっ!?」
大事な事だから、希莉にちゃんと伝えました。それが嫌なら来なくてもよいとも……。
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