第一話:遭遇
そう、僕は、ただの哀れな青年であった。
非力で無力な、何かが起こるのを待っているだけ。
ただそれだけの青年。
ただそれだけの人生。
ただ、それだけの……。
2058年、日本。
XX県、某所。
人通りもなく、静かで風情のあるこの港町は、この日だけはその姿を変えていた。東にある港湾に、なにやら本来あるはずの無い人だかりが出来ている。
港沿いには、リポーターやら見物人やら、地元の人やらでごった返していた。どの人間の手にも、スマートフォンやカメラなど、撮影の為に持参したであろう機材が握られている。上空には『XX局』と側面に堂々と描かれたヘリコプターまで飛んでいた。
おそらく、各々の目的は皆一致しているだろう。
時計の針が19時を回った頃であろうか、その『異変』に初めに気付いたのは、ヘリに乗っていたリポーターだった。
『…あ!見てください!港前方の海の真ん中で、何かが大きく蠢いています!』
海中央の所で、何か大きな影が動いている。それが起こしているであろう波が周囲に広がっていき、港に停めてある船を、まるでおもちゃのように大きく跳ねさせる。
次第にその波は大きくなり、周囲の期待が最高潮に達したその時、ついに、人だかりの目的である『ソレ』が、海底から姿を現した。
揺れていた波が、縦に大きく揺れたと思われた次の瞬間、ザバァァァという轟音とともに水色の透き通った、
全長はおよそ50メートルは超えているであろう『水色の巨人』が、底から姿を現した。胸のあたりには、赤い核のようなものがふよふよと、巨人の中を漂うようにして動いている。
興奮した様子で、リポーターが続けた。
『見てください!あれが今話題の大型巨人です!
なにか目的があるのでしょうか、港の周りをぐるぐると周るように歩いていて……』
今思えば、一年前に起きたこの事件。これこそが、人類と地球外生命体との出会い。つまり、『ゾディアック』との、初めての遭遇であった。
この時は他にも、『謎の足跡!未確認生命体の正体が…』とか、『巨大な彗星、XX県で確認される』とか、同時停電がどうだの、テレビやネットではよく騒がれていたが、やはりあの事件が、人類と地球外生命体との明確な出会いであったと言えると思う。
(ちなみにあの巨人は、しばらく周りを歩いた後に、また海へと還っていった。)
仮面ライダーやサンタなどがこの世にいないなんて事は、意外にも多くの人が幼い頃とかに気づいたりすると思うが、まさか宇宙人がこの世にいるとは。あの時ばかりは、さすがに開いた口が塞がらない、と言うより他なかったであろう。
これがもし自分の子供の頃に起きていたなら、ただ興奮するだけで、未来に胸を高鳴らせて終わっていた。しかし僕ももう立派な17歳だ。さすがに冷静な判断も出来るし、自分で考えるだけの頭はある。この年齢で『宇宙人』とだけ聞いて、しかもそれが本当に現実にいて、しかも自分が住んでいる星の、自分が住んでいる国に出てきたとなれば、一体どうだろう?当然、夢が広がるとか好奇心がどうだとかいう話ではない。そんな場合ではない。
まず、自分の中に産まれてくる感情、それは『恐怖』だ。もし外に出ている間に遭遇したら?もし家に帰った時に、見たこともないような生物が自分を待ち構えていたら?もし力も技術も勝てないような相手に、寝込みを襲われたら?言い出したらキリがない。考えすぎって言われても仕方ないだろうが、人間の防衛本能なら仕方があるまい。自分を守るための想像なら、いくらしても構わないだろう?
勿論、冷静な考えをするのは僕だけではなく、
案の定、世の中の反応も同じであった。
まず、社会的に大きく変わったことが二つある。
一つ目。これは一時的にだが、外出規制や空港、道路の閉鎖など、やたらに出歩くな等の条例が出された(まぁ大概の人は恐れて外へは滅多に出ようとはしなかったが)。
そんな状況の中で外へ出たりしようとするのは、興味本位で地球外生命体を探しにいこうとする阿呆か、またはその阿呆や地球外生命体を捕まえる警察かぐらいの違いであった。
もうひとつは、あの事件を危惧して政府から『とある機関』が正式的に作られたことである…。
…
都内、某所。
とある会場で、500人は超えるであろうという大勢の記者が早朝から集まっていた。しかし会場の中には、500人を超えるという人間の数が集まっているにも関わらず、そんな空気など感じさせないほどにその場の雰囲気は重苦しく、みな、沈黙を貫いていた。
彼らの目的はただ一つ。日本政府からの公式的な発表を待ちかねているのだ。
息が詰まるような空間のなか、やがてその時が来ると、一時間ほど前方で座っていた厳格そうな男がようやく、その重い口を開いた。
『えー、皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私、説明を担当させていただきます○○庁○○の…』
男の口からこれまでの経緯、数々の説明がなされる。しかし、記者たちが望んでいる答えは、そんな事では無かった。
記者たちが求めていた答えは、その会見の一番最後で発表されることとなった。
一定の説明を終えた厳格そうな男は突如立ち上がり、それまでの静かな、説明口調の落ち着いた様子とは裏腹に、まるで宣言するように、目の前の群衆に向かってこう言い放った。
『ただ今より、この場をおきまして、
日本政府直属の公認機関、
地球外生命体特務捜査対策本部、その名も、
通称ESTを創設します!』
…
2058年の春目前、ちょうど3月が終わる頃に、日本政府の緊急公式会見で、『地球外生命体特務捜査対策本部』、通称ESTが設立される事が発表された。これは日本が地球外生命体の襲来に対し、日本第一の防衛策としてこの機関を作ったとされていて、なによりそれは、正式的に日本が、地球外生命体を認知したという証拠でもあるのだ。
(この会見で、地球外生命体は全体的な正式呼称として、【Zodiac】と名付けられた。)
会見から一週間と経たないうちに、ESTの設立は始まった。都内の中心部にかなり広大な空き地があるのだが、そこは全て、ESTを設立する為だけに、日本政府が確保しておいた土地らしい。これにはやはり日本政府も相当力を入れていたのだろう。今思えば、あれほど壮大で大きな建物ができると言うのに、秋の終わり頃には完成してしまっていたのだから、大したものと言うよりほかない。離れて見ると、一見斜面のある台形のような形をしていてシンプルに見えるが、近くで見るとかなり凄いものだというのが素人目にでさえ、見てとれる。形さえシンプルだが、荘厳な雰囲気を持ち合わせており、相当時間をかけて作り込まれているのが感じられる。(ちなみに建物が完成した際には、その高い完成度ということもあり、結構な話題になっていたそうだ。)
ともかくこのような経緯で、この都会の真ん中に、地球外生命体特務捜査対策本部、つまりESTの本拠地が創設されたわけである。
一通りの説明はこんなものであろうか。とにかく、あの『巨人』の一件で、世間の不安や恐怖が一気に爆発する形となったのだ。しかしそれも当然である。
『世の中にいるはずの無いもの』が実際にいて、今この現実に、それも自分が住んでいる国に現れているのだから。たとえそれが起きた土地が、自分とは遠く離れていて正反対の場所にあったとしたとしても、しかもそれが他の国ではなく、自分と同じ国ならば、なおさら誰しもが自分の事のように感じてしまうのは無理もない事である。
これまで、ただのあやふやなだけであった目撃証言が、あんな形で、しかもあんな巨大な巨人の姿で出てきたら、誰だって戦慄する。もちろん僕もその一人だ。
しかしまぁ人間は、良くも悪くも慣れる生き物で、一年もあれば、非日常だったものも日常へと変わっていく。初めのうちは、登校が規制されたり外出不可の条例が出されたりと世の中もめちゃくちゃであったが、あの騒動から一年が経つころには、皆の生活は普通に戻りつつあった。
たしかに人間が、いくら慣れる生き物とはいえ、さすがに宇宙人なんて急に言われてあんな事があれば、早々慣れるものでもないだろう。しかしこの一年の間、不思議と宇宙人達の襲撃どころか、姿ひとつ現れなかったのも、普通に戻れた要因の一つではないだろうか。
むしろ今では、あの巨人は地球の外から来た生命体などではなく、プランクトンが集まって光を放っていただけなのではないかとか、実は人間の作りものではないのかとか、ネットやテレビで憶測が飛び交い始めたぐらいだ。
ともかくそんな調子で、僕らは普通の生活に戻っていったのだ。
誰もが普通に暮らせている。
誰もが毎日を平穏に生きていける。
そう思っていた。いや、そう思っていられたのだ。
あの時までは───。
2059年、日本、春。
外に出ようと思ったきっかけは、それほどべつに大した事ではなかった。学校で暇を潰す為に読む本が底を切らしてしまったので、それを買い足しに行かねばならないという、ただそれだけの事だった。
僕は本来、これといって外に出るのが嫌だとか、面倒になったりするタイプの人間では無い。だがしかし、この『外に出る』という行為の一点において、たった一つだけ許せない点がある。それは『晴天』だ。
この晴れているという点だけにおいては本当に許せない。『苦手』、とかではなく『嫌い』だ。
べつに過去に何かあったわけでも、トラウマがある訳でもないが、なんと言うか、この晴れている感じが僕は非常に受け付けないのだ。
しかし今日は日曜日だ。明日からは学校が始まってしまうので、そうも言っていられない。僕は仕方無く、仕方なくだが、家を出る準備を始めた。
ちなみにその日の天気はと言うと、
もうこれ以上無いといわんばかりの快晴であった。
さっきも言ったが、僕は本来こういった、いわゆる"晴れの日"に外に出る事自体はどうしようもなく嫌いなのだが、なぜだかこの日だけは、外に出てもいいという気持ちになれたのだ。
身支度を済ませた僕は憂鬱な気分のまま、季節外れの快晴の下に自らの身を放り出した。
春だから気温が暖かいだとか、桜が散って独特の風情があるだとか、そんなのもう、僕には関係なかった。
4月の真っ只中だと言うのに、ありえない程照りつける太陽、雲ひとつ無い青空、そして謎の湿気!微妙に晴れるでもなく、浸りつくような湿気と、ふと視界に入った幸せそうな子ども連れの家族を横目に、僕は一人で、その目的の地へと先を急いだ。
目的地はただ一つ。都会の中心付近に位置する大型ショッピングモール、『イラザ』だ。
まぁ、大型ショッピングモールという事もあり、だいたいこの場所に来れば、なんでも揃うとされている。僕も人混みは苦手だが、ここの本屋は何度か利用させてもらっている。静かなのに落ち着きがあって、とても過ごしやすいのだ。何より、本ならば大体何でも揃っているのが一番の点だろうか。
イラザへ向かう途中にふと視線を右奥にやると、
斜めに角度のかかった、台形型の広大な建物が目に入る。
「……」
ここからでもよく分かる。左にこのまま進んで行けばあの大きなイラザがあるというのに、それを感じさせないほどに、その大きな建物は僕の視線を惹きつける。EST本拠地。あの建物には、やはりなにか言葉では言い表せない、謎の雰囲気がある。理由は分からないが、なぜか人の視界を奪ってしまうような独特な雰囲気。あの建物の中には、一体何があるのか…。
そんな事を考えている内に、自分が目的地としていた場所の看板が目に入ってきた。どうやら、もう目的地はすぐそこらしい。
僕は一刻も早く、このまとわりつく湿気と日差しから逃れるため、大型ショッピングモール『イラザ』の入口へ向かって、足を進めた。
店の中は、結構涼しかった。日によって調整しているのかモール内は空調がしっかり調節されていて、今が春なのにも関わらず、本屋の中はまるで氷のようにひんやりとしていて、とても快適だった。
「さて…」
心の準備ができた僕は、早速その目的の、これから共に校舎で長い時間を過ごすであろう盟友達を探しに、
ゆっくりと店の奥深くへと入っていったのだった……。
僕としたことが、あれから一時間ほどくつろいでしまった。危うく目的を忘れる所だったが、図書はなんとか入手し目的は達成出来たので、まぁこれでいいだろう。
それにしても、あの場所は本当に心が落ち着ける。
出来れば、この先ずっとあのままで、あの形で残っていてほしいのだが…。
とまぁ、関係無い話はここまでにして、
一時間ほどくつろいでしまったとはいえ、時間はまだある。
「これからどうするか…」
ふと時計に目をやってみる。
すると、時計の短針がまだ12時を回るころではないか。
「時間はまだあるな…」
そう思い、ひとまず昼食でも取ろうと、飲食店の通りの方へ足を踏み出したその時だった。
ズズゥゥン……
「………?」
そう、どこかで聞こえたような気がした。
何か大きなものが崩れ落ちていくような、不穏で、恐怖を煽り立てるような破壊音。
「なにか……」
嫌な予感がする、そう言おうとした、次の瞬間、
ドゴォオオオオオオオン!!!!!!!
はっとして、上を見上げる。
先程まで、この巨大なモール内を覆い隠していた上部の屋根、いや、もっと正しく言うならば、僕の頭上にあった『先程まで屋根であったもの』が、コンクリートの鉄板ごと、僕の頭にむかって、丸々抜け落ちて来ていた。
─────。
こういう時というのは、瞬間的に別の方向に避けてみるだとか、超人的な力で危機を脱却するだとか、
そんな都合のいい潜在能力が発揮されるという訳でもべつになく、いざ実際に目の前で、しかも一般人の身に起こってしまったら、ただ動けずにひたすら、その瞬間が迫って来るのを待つしかないのだ。
強いて言うなら、驚いた拍子に瞳孔を開くだとか、あまりの出来事に腰を抜かしてしまうだとか、非力な人間にはその程度で精いっぱいだろう。
もれなく僕も、その非力な人間のうちに入ってしまっている訳で。
このまま僕はただ死を待っているだけの、哀れな青年の一人なのだ。
僕のような人間にも走馬灯のようなものはあるみたいで、僕をぐしゃぐしゃの肉片にしようとするその瓦礫の塊が落下する刹那、生まれた時からこの場所にいたるまでの数々の記憶が、自身の脳裏を駆け巡っていく。今思えば、後悔と苦しみの毎日だった。思い返してもべつにいい事は無いが(だからと言ってどうする事も出来ないが)、まぁこんな人間でも最後の瞬間に過去を振り返れるだけ、まだ幸せなのかもしれないな。
…………。
瓦礫が、迫ってくる。
僕はただ、死を待っているだけの、非力で哀れな、
力のない青年であった。
ただ、それだけの青年。
ただ、それだけの人生。
何かが起こる事を待っているだけ。
自分で切り開く事のできない、哀れなただの青年。
………………………。
僕は瞳を閉じ、最後の瞬間を待った。
その瞬間を、ただ迫ってくるだけの『死』を、受け入れた。
そう、そこで全てが終わる。
僕の人生、巫狩イツキの人生は、
この17年という短い年月を辿った末、
あっけなくその場で終わる。
そんな、ただの人生。
ただの、くだらない一生…
それが、ここで静かに終わる──。
…はずだった。