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第8話 私の一日の始まり

翌日の朝、筋肉痛になった足を大きく動かし、私はいつものように店のドアを開きました。私に負けじと高らかに鳴るベル、店内にはいつも通りの光景が広がっていました。

「いらっしゃ…神尾か、おはよう」

「おはようございます」

 眠そうなボスだけがいるお店。開店前なので照明は付いておらず、ロールカーテンの隙間から朝日が差し込むのみです。この優しい日差しと朝に似合わない静寂、暗さ。その雰囲気が私は好きでした。

「えーと、今日はシフトの日だったか」

 ボスはバックヤードのカレンダーを確認しながら言いました。言わずもがな他の従業員はいないので、何を基準にシフトを組んでいるのかは謎に包まれています。

「そうです、あの、ボス」

 バックヤードの影から覗くように顔を出したボスに私は言いました。

「実はまだちょっと眠くて」

「ええと?」

 ボスはまだ要領を得ないようです。

「昔、母が教えてくれました。食べ物や飲み物は分け合えば美味しくなるって」

 数秒固まった後、ようやく腑に落ちたようで、ボスはククと笑いました。「なるほど」

 

 テーブル席に座ると、空気に漂った埃が朝日に照らされているのが見えました。掃除が足りなかったのかと、一人反省会を開いているとボスがカップを二つ運んできました。

「ほれ、二倍美味しい珈琲だ」

 お礼を言って、両手で包むように持ち上げ口に運びました。

「いつも通り美味しいです」

「気になってることがあるんだが、夜中に珈琲を飲んで眠れなくなったことはあるか?」

「えー」私は考えました。「多分、ないと思います」

 代わりに私が思い出したのは、小さい頃に母がホットミルクを夜に作ってくれたことでした。友達と喧嘩した日の夜、外を強く打つ雨を眺め子供心に暗澹とした気分に浸っていたとき、母はそっと私に差し出してくれたのです。そんな日は深く眠れたような、そんな記憶があります。 牛乳250グラムに砂糖小さじ2杯が魔法の比率だと、七和町へ旅立つ私に教えてくれました。

 なんだかこそばゆい気持ちもありましたが、私は正直にそのことをボスに教えました。

「珈琲よりもずっと子供っぽいですよね」

「まぁそうかもしれんが、いい話だな」

 そう言うボスはからかうようでしたが、顔には柔和な笑みを浮かべていました。

「なら今度はミルクコーヒーにしてみろ」

 私は首肯しました。大人の階段の第一歩ということでしょう、試してみるほかありません。

「だけど、教わった通りに作ってるのに母が作ってくれたもののが美味しかったように感じてしまうんです」

 素寒貧の私ですが奮発して買うものがあります。それがノスタルジーに浸るため、ホームシックを埋めるための牛乳と砂糖なのです。

「作ってくれたものっていうのは美味しく感じるものだ」

「それってなんででしょう」

「感謝の気持ちが美味しくさせてるんだろう」

 なるほど、作り手側が愛情を込めたから、よりは納得できる気がしました。

「えっと、それで何で珈琲で眠れなくなる話を?」

「いや、なんだか最近寝覚めが悪い気がしてな。寝る前の一杯のせいだったりするのかななんて」

「飲み過ぎなければ大丈夫って聞きますけど、どうなんでしょうねぇ」

「バリスタが珈琲制限などと…」

 ぶつぶついいながらボスは厨房の方へ消えていきました。飲み終わった私の分のカップも手に。 

「それじゃ、カーテンと表札やっちゃいますね」

「ん、頼んだ」

 ボスの少し張った声を背に受け、開店の準備を始めました。 

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