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第36話 三人の照れ屋

 昼下がりの『Rコール』は日射しを受けて暖かく、こういう時期は電気代が安くて助かると御嶋は毎春言っている。

 黒木は運ばれてきたカルボナーラを静かに食べ終えると徐に口を開いた。

「美味いな」

「そうだろう」

 ああ、と言ったきりまた口を閉ざすものだからどうしたものかと神尾は訝しんだ。

「あのな、御嶋」

「珈琲おかわりするか?タダで出す」

「…ありがとう」

 御嶋が厨房へと引っ込み、机を拭いていた神尾がカウンターへ代わりについた。

「話しづらい事があった時、親父がよくこうしてくれてね。子供の頃は甘ったるやつを淹れてくれたっけ」

 神尾は微笑んだ。

「飲み物には不思議な力があるっていつかボスが教えてくれました」

「それも親父が言っていたことだな」

 やがて御嶋が戻ってきて、神尾は観葉植物への水やりを行うことにした。

 黒木は受け取った珈琲を貴重なものでも頂くかのように恭しく口に運ぶ。

「なんか、話したいことがあるのか?」

「ああ、そのな」

 黒木の顔が御嶋を真っ直ぐと見据えた。真剣な話をすると神尾は下を向いてしまう癖があるため、それだけで羨ましいと感じてしまう。

「どうか祝って欲しいんだが」黒木は深呼吸して言葉を継いだ。「子供が出来たんだ」

 なんだ、良いことじゃないか。と御嶋は笑い飛ばした。

「深刻な顔するもんだから何が出てくるのかと思えば」

「すまん」カラッと笑う友の顔を見て、黒木は胸を撫で下ろしたようだった。「真っ先に報告するとは決めていたんだが、中々言い出しづらくてな」

「まったく、いつまでも引きずるなよ。何年前だと思ってるんだ」

「…確かにもう六、七年も経ってるのか」

「えっ」あやうく持っていた植木鉢を落としてしまうところだった。「お二人って今おいくつなんですか?」

「今年で三十だよ」

 四年近く気になっていた事を黒木はあっけからんと言ってみせた。

「え、えええぇ…若っ」

「君の方が一回りは若いだろう」

「いや、そうですけども」

 初めて会ったときの彼らは二十六歳だったのかと考えると身震いする。あと三年後に自分にも大人のカンロクというものが身につくのだろうか、と神尾が漠然とした不安に駆られていると、黒木が呆れた様子で言った。

「お前、年齢も言ってなかったのか」

「聞かれなかったからな」

「聞きました、聞きましたって」

「秘密主義が過ぎるな」

 御嶋はわざとらしく咳払いをした。

「とにかくこっちの事は気にするな。それなりに幸せにやってる」

 そうか、と黒木は呟いて言った。「なら一つだけ聞かせてくれ」

 なんだ、と言う風に御嶋は首を傾げる。

「お前、金銭の方は大丈夫なのか?小規模な喫茶店の稼ぎなんて大方予想がつくぞ」

 初めてミミズクに来たとき、彼が同じ質問を問いかけていたことを神尾はまだ覚えていた。またもや、ずっと気になっていたが聞けずにいたことだった。

「そりゃまぁ、現にこうやって経営できているしな」

 黒木のムッとした表情見て、御嶋はやれやれと首の裏を掻いた。

「大学卒業間近って時にな、突然祖父母の家に大金が舞い込んできたのさ」

 神尾は無言になって聞いた。黒木も同じように沈黙していたが、表情からは真剣なのか荒唐無稽な話だと内心で罵っているのかは読み取れない。

「聞けば親の仕業らしくてな。誰も居なくなった実家を売った時の金かなんかか知らないが結構な額で…まぁ手切れ金ってやつだな」

 手切れ金…と神尾は心の中で唱えた。それは悲しい響きだった。愛はお金で買えない物だと誰もが言うのに、縁を切るのに使うだなんてあまりに無機質だ。

「勿論これで一生遊べる訳じゃないし正直言えば儲けもあんまりないが、どうせなら好きなように使おうってな…そうすれば、少しは親に感謝できるかもしれないだろ?」

「ボス…」

 皮肉を言う彼の表情は重かった。伏せた目に光は刺しておらず、唇も微かに震えているように見えた。

「そうだったのか、そりゃ普通に会社員を続けるのもアホらしいもんだな」

「ああ、今こうしてこの仕事を楽しく出来ているのはお前や親父さんのおかげさ。お前が誘ってくれたから今こうしているんだ、だからお互い気に病む事なんてない」

「そういってくれるのは嬉しいが赤字なんだろ?そこどうにかしなきゃだろ」

「実はだな…」御嶋は照れ笑いを浮かべた。「もう少ししたらとある事も始めようと思っていてな。それで儲かるかは分からんが、努力する気ではいる」

「とある事って?」

「バーですね!」照れ笑いを見たその瞬間に気づいたことを神尾は思わず口に出していた。

「ん、まぁそうだ。昼はカフェで夜はバー」

「バーとは意外だな」

 黒木は珈琲を啜って、カップを空にした。

「大変になるだろうが、応援するぞ」

 彼はああ、と呟いてから、照れ笑いに耐えられなくなったのか黒木のカップと供に厨房へと引っ込んだ。

「相変わらず照れ屋だなあいつは」

「えっ、そうですね」

 神尾は思わず相好を崩した。

「さて、言いたいことも言えて聞きたいことも聞けた、今日は満足したから帰ることにするよ」

「ボスに言ってきましょうか?」

「いや大丈夫だよ、お勘定お願いします」

 会計を済ませて黒木は店を後にした。

 一人残った神尾はまたカウンター席について、時計の秒針を刻む音と店内に流れるBGMに包まれながら呟いた。

「照れ屋はお互い様でしょう」

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