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第22話 私の見たもの

 休憩室を兼ねた事務所で軽食を取った後、しっかりと手を拭いてから端末を開きました。

 仕様はほとんどノートパソコンのようで、操作に手間取ることなく起動できました。すると中には膨大な数のファイルがあり、それぞれに作品名とナンバーが振られています。

 大半は既に私が読破したものだったりタイトルを聞いたことがあるようなものでしたが、中にはスマホで調べてもヒットしないようなものもありました。ここで私はやっと事の重大さに気づいたのです。

 つまりは倉橋さんは私に全幅の信頼を寄せたと言っても過言ではないということです。盗作にデータの改竄、漏洩。いくらこの端末には下書きや草案程度のものしか無かったとしても今ならそれが容易くできるでしょう。

 確かに倉橋さんの信じた私ですから、そのようなことは誓ってしません。ですがたった数時間話しただけの私をいとも簡単に信じ切ってしまうのはどうなのでしょう。これは窘めねばと思い端末を閉じようとしたその時、一つのファイルが私の目を止めました。どういうことかとおそるおそるカーソルを合わせて、開いてみました。


 神尾ちゃんへ

 

 もう一人の私から愛しの神尾ちゃんへ。

 私は今、あなたにこの端末を貸し出してもいいという気分にあります。それは酒の入っていない素面の私も同様に。ので、もしあなたの手に渡ったときの為にこの文章を残しておくことにしました。あわよくば素面の私に見つかることなくあなたの下へと届けば幸いです。

 

 早速本題に入ります。

 きっとあなたに諫められて、私は間もなく酒をやめるかと思われます。例え世間に不調と揶揄され小説家としての評判が地に墜ちようともです。偽物が、酩酊した私がゴーストライターだと知った時の、一瞬だけ淀んだあなたの顔を私は忘れられないのです。本音を吐露すると、あなたに嫌われたくないのです、私たちは。

 つまり今の私はもうあなたに会えないかもしれないということです。場合によってはこれが向木呑の半身の遺書となるでしょう。


 一つ知って欲しいことがあります。

 もう一人の私はそうではないようですが、私は素面の私の記憶を共有しています。彼女には狡いと思われるかもしれませんがそういうものだと理解してくれるほかありません。彼女の言葉を借りるならば、経験が根や幹ならばいきなり生えてくるのは可笑しいでしょう。言うなれば私は彼女から生まれた枝や葉という方が適切で、その枝が幹くらいに太かっただけのことなのです。

 つまるところ、お酒に頼らなくとも彼女は様々な物が書けるはずなのです。元来一人で書けていたものが、いつの日か酔ったときにしか出力出来なくなってしまったのでしょう。執筆に行き詰まったら酒を飲んでから机に向かうことを繰り返しているうちに、それはイップスともパブロフの犬とも言える複雑な状態になってしまったのです。

  

 私の願いは、彼女が酒を断っても自立(敢えて強い言葉を使いますが)し、私に頼らなくなること。どうすればそれが叶うのかは分かりません。あなたが説得してしまえばパッタリと止めてしまうかもしれませんし、あるいはこの文章を見せてしまえば改心するかもしれません。それは物語を創作するときのように、どこにヒントが隠されているか分からないものです。明日初めて出会う人の中に眠っていることもあれば竹馬の友が突然教えてくれるかもしれません。或いは自宅にある滅多に中を見ない箱や抽斗の中に埋もれているのかも。

 何が言いたいかというと、あなたには彼女の力になってあげて欲しいのですがそれ程気負う必要はないということです。あなたも彼女も無理をせず、時に身を任せれば自然と解決する些末な問題だと私は思っているのです。

 

 何が助けになるかは分からないとは言いましたが、この文章はどうか見せずにあなたの心の中に留めておいていただきたいです。これを読んだらファイルごと削除してください。


 最後になります。長くなりましたが、私が結局伝えたかったことはこの一つに集約されます。伝えるべきかどうか悩みましたが、これが遺書になるのならば包み隠さず言うべきなのでしょうね。

 私はまだ書いていたい。ただ自分の深層心理と向き合い、自分の闇とも光とも言えるような精神の内臓に潜り、そこでしか出会えない体験と、自分と、物語と、まだ一緒にいたい。私にとって小説を紡ぐこととは、この世に存在するどんなものにも引けを取らない逸楽です。

 この熱情が身体の中に眠っている限り、彼女が書けなくなるなどあり得ないのです。

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