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第21話 私と読書の話

「え、昨日の今日で一冊読んでくれたんですか?」

「やっぱ大体の方ってデビュー作は短いものですし、向木呑…倉橋さんのは特に読みやすいですから」

 彼女は照れくさそうに頬を人差し指で掻きました。

「呼びやすい方で大丈夫ですよ、ありがとうございます」

「じゃあ…倉橋さんで」

 倉橋さんは二日連続で来店してくださいました。どうしてこんなに早く訪ねてきてくださったのですか?と問うと、その時も白い指で頬を撫でていました。嬉しいことにここは居心地が良いのだそうです。

「私あと『ミケランジェロの定理』と『故意の恋』を買いました。すぐ読むのでまた来てくださいね」

 倉橋さんはクスクスと笑いました。こっちの倉橋さんは物静かながらも所作がお淑やかなのです。

「こんなに純粋に惹かれる呼び込みは初めてです、これからも懇意にさせていただきます」

「えへへ、どうぞよろしくお願いします」

 それで、と倉橋さんはホットコーヒーを飲んで居住まいを正しました。

「私の作品って今まで何冊くらい読んだのでしょうか」

「そうですね…」私は虚空を見上げ考えました。「昨日言った『恋愛迷宮』と『文学聖女』、あと『愛猫事件簿』なんかも読みました」

「恋愛小説、好きなんですか?」

 前二つの作品が向木呑の書いた最もオーソドックスな恋愛小説なのです。

「ジャンルで言えば純文学とかが好きなんですけど、倉橋さんの書く恋愛ものってクドくないというか…行間を読ませる感じが純文学みたいで好きなんです」

「出来るだけ読みやすいように書くと自然とそうなっちゃうんです」

「へぇぇ」私はすこぶる感動しました。

「これでも最初は文章が単調すぎる、こんなの自分でも書ける、なんてよく言われていたんですよ。これが自分の持ち味なんだって思えるまでは結構かかったものです」

「私からすれば完結していればどんな作品でも凄いと思いますけどねぇ」

「神尾さんは雑食なんですね」眼鏡の奥で彼女の目尻が下がりました。「正直、読者全員がそういう読書姿勢ならどんなにいいか…」

 私がクスクスと笑い返すと、彼女が不思議そうな顔を浮かべました。

「すみません、疑っているわけではないのですがこうして話していると本当に作家さんなんだなぁって」

「えぇ、まぁ一応やらせてもらってます…」

 そこで倉橋さんはそうだ、と声を上げました。「今日はその作家だという証明をするために来たんです」

 そう言って彼女は少し大きめのショルダーバッグを覗き、黒く四角い物を取り出しました。それはノートパソコン用のケースみたいな形で、それを更に開くと現れたのはこれまた長方形の端末でした。

「ノートパソコンですか?」

「いえ、書くためだけの端末ですよ」

 上がスクリーンに下がキーボード、それでいて折りたたみ式のそれの見た目はやはりノートパソコンのそれでしたが、それより一回り小さいものでした。しかし倉橋さんによるとネットに繋げないばかりか出来ることと言えばマス目に文字を埋めることのみで、物書きさん以外には文字通り無用の長物と言えるでしょう。

 彼女は差し出すように画面をこちらに向けました。

「原稿はパソコンで纏めちゃうのでこっちにはメモや下書き程度しかありませんがこれが証拠になれば…」

「でも大事な物ですよね。本当に読んで良いのですか?」

「構いません、むしろ神尾さんには読んで欲しいくらいです」

 その理由が分からなかったので私は「は、はぁ」と頷くくらいしか出来ませんでした。

「ただ、貸し出すとなると難しいので今読んで欲しいのですが…」

 一応勤務中の体ですしそれは、と口にしようとしたその時、店の奥から人の現れる気配がしました。

「神尾、そろそろ休憩時間だし変わろうか?」

「あ、ボス」

「…倉橋さんも構いませんか?」

 ええ、とたじろぎながらも彼女は頷きました。ボスと倉橋さんが話すところを見るのは初めてかも知れません。二人が知らない家に放り込まれた猫のように余所余所しく見えるのは気のせいでしょうか。

 とにかく私は示し合わせたかのようなタイミングで現れたボスにバトンタッチして、休憩室を兼ねた事務室へと移動しました。腕に抱えた薄型の端末を万が一のことがないよう恭しく、慎重に。

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