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第11話 私のお店の懐かしい味

「居眠りとは感心しないな」

 目を擦る私にボスがそう詰りました。どうやら、勤務中に睡魔に襲われたようでした。

 カウンター席から身体を捻って時計を見ると午後2時。人類が一番眠くなる時間帯です。

「ごめんなさい。どうか減給だけは」

「寝るだけで褒美が貰えるのは猫くらいのものだ」

「ああ、生まれ変わったら猫になりたいってずっと思ってたんです」私は伸びをしました。

「時代が許すのならげんこつくらいしてやるところなんだが」

「動物虐待とは感心しませんね」

「やかましい」

 そう言うボスも私がした欠伸につられました。相変わらず『Rコール』は閑古鳥が鳴いています。

 ところで、猫と聞いて私はあることを思い出しました。

「ボス、あれから山田さん来てないですね」

 彼女が最後に来たのは四ヶ月前、シャロちゃんを捜索したあの初夏の日です。今はもう秋風が心地の良い季節に変わりました。

「実はお前がいない間に何度か来てはいるんだ。お盆の時とか」

 それは知りませんでした。なんと巡り合わせが悪いことでしょう。お盆は実家に帰省していたのです。 

「向こうも寂しそうにしてたぞ」

 私の表情から機微を読み取ったのか、ボスはそう付け足しました。でも何度か来て下さったと言うならそれはもう立派な常連客でしょう。日差しを身体に受け、背中に汗を浮かべながら歩き回った苦労の末に私たちは見事勝ち取ったのです。

「いやでも最後に来たのは一ヶ月以上前かもしれん」ボスは自分の顎を撫でました。「ま、そのうち来るか」

「えぇ…」私は嘆息を漏らしました。 

 ボスの一言で少々心配になりましたが、憂いても何かが変わる訳ではありません。私は減給を避けるために植物諸賢に水やりを始めました。 

これが終わったら窓拭きでもしよう、それも終わったらどう時間を潰そうか、という一人作戦会議を開いていましたが、それは突如鳴り響いたベルの音で閉会しました。お客さんが来たのです。

「いらっしゃいませ」

 私とボスの挨拶はほぼ同じタイミングでした。振り向くと見覚えのある男性が佇んでいました。彼はあの時と同じように真っ直ぐとカウンター席に着きました。

「おや、樋口さん。お久しぶりですね」

「ああ久しぶり。ホットコーヒーとカレーをいただけるかな」

 樋口さんは心なしか前よりも血色が良くなったように見えました。ボスもそれを気取ったのか、前より明るい表情で応対しています。

「少々お待ちを」ボスは早足で厨房へ消えました。 

 開口一番に遅いお昼ご飯を注文した樋口さんに私はお水とおしぼりを渡し、そして声をかけてみることにしました。

「ここのカレー美味しいですよね」

 記憶が確かなら四ヶ月前も樋口さんはカレーを注文なさっていました。大変気に入ってくださったに違いありません。かく言う私も大好きです。

「食べやすい味だね。本場のカレーはもっとスパイスや香辛料を拘るものなのかもしれないけど、ここのはもっと単純で日本人ウケするような感じがするよ」

 樋口さんは「勿論良い意味でね」と付け足しました。

「結構前のはずなのによく味を覚えていますね」

 ああ、それはね、と樋口さんが言いかけたところでボスがコーヒーを運んできました。

「お待たせしました。…神尾も飲むか?」

「うーん、でも給料から引かれちゃうんですよね?」

「あれは冗談だ。前の時も引いてないぞ」

「え、じゃあ元々薄給なんですね…」私は俯きました。

「お、お前な」

 ボスが愕然としている姿を見て樋口さんが笑いました。

「ここは本当に良い場所だね」こざっぱりとした店内を見渡して彼は呟きました。「隠れ家的名店ってやつだ」

 給料は安いですがお客さんには概ね好評なのがこの店です。棘のあることを口走ってしまいましたが私もここの従業員になれたことを幸せに思っていると、これはボスに伝えるべきかもしれません。

「そう思っていただけると何よりです。僕も静かな喫茶店は好きですよ。まぁ経営者としては繁盛させなきゃですけどね」

 彼は苦笑を浮かべて再度厨房へ消えていきました。果たして無礼な私の分のコーヒーは現れるでしょうか。

「さっきの話の続きなんだが」厨房へ消えるボスを見送りながら樋口さんは口を開きました。「実はここのカレーは私のよく知る味なんだ」

「よく知る?」

「そう、妻の作っていた物にに限りなく近いんだよ」

「偶然でしょうか?」

 彼は湯気の上るコーヒーを啜りました。

「いや、妻がここのカレーを気に入っていたというのなら彼女の方からここの味に寄せたのだろう」

 確かにそう考えるのが自然です。家庭でこの味を堪能できるなんて過去の樋口さん夫妻はなんと幸せ者でしょう。

「考えてみればいつからか肉を挽肉に変えていたんだ。きっとその時からだろう」

 しかしそれがいつからだったのかは思い出せないそうです。

「しかしまぁ、思わぬところで出会ったものだ。もう会えない妻の料理に」

 それきり彼は静かになって、ただただコーヒーを無言で啜るのみになりました。私は少し気まずくなって時計を見たり窓際で日光を浴びる観葉植物を眺めたりしました。夏の時期はロールカーテンで日光を遮っていましたが、やはり柔らかな日差しに当たっている方が彼らは活き活きとしているように見えます。

 店内にかかる曲がジャズからチルホップに変わった時、ボスがカレーとコーヒーを運んできました。コーヒーは私のに違いありません。後は減給されないのを祈るのみです。

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