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茶目っ気探偵 霧島科雪のエスプリ推理

作者: 澄乃しろ


 僕はとある依頼をするために霧島探偵事務所のインターンホンを鳴らす。すると奥から「どうぞー」と返事が聞こえてくる。

 僕は玄関のドアを開け中に入る。室内にはお高そうなソファが机を挟んで対面に二つ、それだけ。それ以外に家具と呼べる物がまったくない殺風景な部屋だった。

「ようこそ、霧島探偵事務所へ。ワタシは霧島科雪、この事務所の探偵よ。ご用件は?」

 彼女――霧島科雪は優雅に紅茶を嗜みながら僕に質問をする。

 年齢は僕と同じくらいでおそらく二十代前半。茶色と黒色が入り混じるロングヘア―、淡い青色の瞳、端正な顔つきにミステリアスな雰囲気恋人がいる僕がこんなことを思うのは良くないかもしれないけれど……客観的に見ても、美人だ。

「あ、えーと……」

 僕は、この殺風景な部屋の殺風景さのせいで強調された、貴族のごとく紅茶を飲む美しい彼女に見とれ、ついしどろもどろになってしまう。

 そんな僕を見かねたのか、彼女の方から話題を口にしようとする。しかしその話題というのが、社交辞令や雑談などではなく――僕がここに来た理由そのものだった。

「浮気調査かな?」

 まさにそれこそが依頼内容だった。

「……な、なんで分かったんですか?」

「キミから男性に似つかわしくない甘い香水の匂いがしてね。……まあそういうのが好みの男性もいるっていうのは知ってるけど、キミはぱっと見ても、そういうのとは縁がなさそうな格好だからね。それに服に付いてるよ。キミの真っ黒な髪ではない、茶髪が一本ね。同棲中でしょ?」

 ……さすがは探偵と言うべきか。文句の付け所のない推理だ。

「決め手は女の勘」

 その一言は余計だと思う。

「じゃあ早速その本題について詳しく聞かせて」

 彼女はソファを指さし、僕に座れと促す。依然、彼女は動かない。……初対面の人に対し失礼な表現になってしまうかもしれないけれど、彼女は貴族のようなたたずまいだけでなく、僕も貴族の実物を見たことはないが、どことなく態度も貴族のように高飛車のようだ。

「僕は偽盛圭汰ぎざかりけいたといいます。それで……恋人の浮気調査をお願いしたいのです。僕の恋人、何かがおかしいんです」

「ちなみに彼女の名前は?」

白崎雫しろさきしずくです」

「じゃあ本題。おかしいっていうのは具体的に言うと?」

「僕たちが同棲を始めたのはつい二か月ほど前のことで、基本、掃除も料理も家事全般は僕がやっているんです。でも彼女は『私の部屋には絶対に入らないで』と言うので僕も彼女の部屋だけは掃除していませんし、覗いたこともありません。僕だっていくら恋人同士だからといってもプライベートは守られたい気持ちは分かるんですが、ある日のことです。その日彼女は外出していて、僕は一人で家にいました。僕はその状況に魔がさしてつい好奇心に負け、彼女の自室を覗いてしまいました」

「鍵は掛かっていなかったの?」

「今住んでいる所は、部屋ドアの内側からしか鍵が掛けられないので、部屋の中に誰もいなければ鍵はかけられません」

「それで、そこには何があったの?」

「……それが殺風景な部屋でベッド以外、家具も物も何もありませんでした。しかし僕は一つだけ何かを見つけたんです、それが……彼女のスマホだったんです」

「たまたま忘れただけじゃないの?」

「……彼女は忘れ物なんてしないような完璧主義……というより強迫観念を持っていて、一緒に外出するときには何度もガス栓やら窓の鍵やら家の鍵やら。そして忘れ物がないかも絶対に確認する性格なんです」

「意図的に置いていった、のかしら……彼女はその時どこへ行ったの?」

「どこに行くのかと僕が聞いても、友達の家、としか答えないんです」

「それは一回きりの出来事?」

「いえ、そういう日が最近増えているんです。帰りも遅いときが多いし、休日もよく、友達の家に行くって言って出掛ける日が多いんです」

「もっとグイグイ聞いちゃいなよ」

「僕も何度かは詳しく聞いたんです。でも彼女は毎回、昔の同級生の家、とまでしか教えてくれません……それで勝手な想像なんですが、相手は男性なのかなって邪推して……」

 その可能性はあまり考えたくない。

「あらまぁ、ついて行っちゃえば良かったのに」

 ワタシだったら尾行しちゃってたわ、と彼女はおどけて言う。

 どうやらこの探偵は、探偵の気質があると同時に、少し陽気でユニークなようだ。

「実は僕も、別の日彼女が一人で外出した時があって、尾行……というものをしてみたんです」

「おお、やるわね。どうだった?」

「結果は……すぐに見破られてしまいました」

「あら残念。変装はした?」

 若干食い気味で聞かれる。

「もちろんしました。彼女が、僕が持っていることを知らない靴と服と帽子を使いましたし、マスクに伊達メガネで顔も隠しました。なのに彼女はあっさりと、僕だということに気づきました」

「いくら数メートル離れて変装していてもキミのことが分かるってことは……きっと、愛の力ね」

 やはりこの探偵は軽口が多い。

「いやあ、多分違うと思います。彼女、いつも僕に対してそっけないんですよ」

「ツンデレで可愛いじゃない」

「……多分そういうのじゃなくて……」

 段々と話が脱線してきた気がする。

「今、キミの恋人さんは家にいるの?」

 と意外にも、先に話を修正しようとしたのは彼女だった。

「いませんけど……」

 何となくこの先の出来事を、僕は察した。

「じゃあ今からキミの家に行こっか。案内よろしく」




 というわけで僕は探偵を自宅に案内した。ちなみに探偵事務所と僕の家の距離は意外と近かった。

「おっきい家ねー」

 探偵、霧島科雪は僕の家の外観を見て、口を開け感嘆している。

「いやー、僕のお金で建てたわけじゃないんで……」

「あら賃貸じゃないんだ」

 余計なことを言って、自慢のように聞こえてしまったのだろうか、彼女は急に真顔になる。

「まあ……大学進学のときに、上京するならと、お祝いで父親がプレゼントしてくれて……」

「キミのお父さん、金持ちなんだ」

「ま、まあ、そこそこ……」

 実に返答に困る質問だ。実際、僕の家は比較的金持ちな方だと思う。しかしこういうときは自慢に聞こえないように謙虚に答えるのがセオリーだ。

「キミの父親はーー官僚かしら?」

「え、なんでそんなこと分かったんです?」

 普通は金持ちと言ったら、医者とか経営者とかが思いつくものだと少なくとも僕は思うが、探偵はまっさきに金持ちイコール官僚で結びつけたのか? にしても父が官僚であるとわかる判断材料なんて僕は何一つ話していないが……。

「キミの苗字である〝偽盛〟っていう官僚と以前会ったことがあってね。官僚って大体金持ちでしょ? そしてキミは父親に家を買ってもらったって言たよね。それでピンと来たんだ」

 まさか父と面識があるとは。

「その通りです。僕の父親は偽盛哲司ぎざかりてつじ、官僚です」

「この家はいつ建てたの?」

「7年くらい前ですかね」

「その当時はキミ一人で住んでいたの?」

「そうです。大学を卒業するまでの4年間はここに一人で住んでいました」

「じゃあ彼女と出会ってから同棲するまでの時系列を、軽く教えてくれる?」

 なんだろう、少し抵抗を覚える。おそらくこの探偵が調査ではなく、ただ茶化したいだけな気がするからだろうか。

「……僕と彼女が出会ったのは、大学を卒業した後、3年前のことです。それからはさっきも言ったように2か月前までは同棲はしていませんでした」

 結局僕は時系列を軽く喋ったが、探偵は意外にも僕のことを茶化そうとはしなかった。

「家、上がってもいい?」

「はい?」

「調査として、件の部屋を見る必要があるんだけど」

 雫以外の女性を、仕事とはいえど家に上げるのは抵抗があった。

「じゃあ入るね」

 まてまて、僕は上がっていいなんて言ってないぞ。というより、雫と住んでいる僕の家に入ろうとするなんて、いくら探偵の仕事とはいえ無神経ではないか?

 ――いやまてよ、抵抗があるのは僕が探偵を家に上げることだ。しかし勝手に入る分なら……しょうがないと言えるのではないか?

 そんな僕の心理的抵抗を察することもなく、探偵は玄関のドアノブに手をかける。

「鍵開けてちょうだい」

 それだと探偵が勝手に僕の家に上がるのではなくなってしまう。僕が鍵を開けたら、僕が探偵を家に上げるのと同義ではないのだろうか?

「……えーと鍵どこだっけな」

 とりあえず鍵を無くした演技をして考える時間を稼ぐしかない。

「鍵を無くしたならワタシのピッキング技術で開けるわ」

「……ありました」

 どうやら、僕たちの家にこの探偵を侵入させないという選択肢はないらしい。

「お邪魔しまーす」

 とうとう探偵は僕の――僕たちの家に入ってしまった。

「で、その殺風景な部屋はどこ?」

「ここです」

 その前にスリッパを履いてほしいという願望は、普通のことだろうか?

 またもや僕の思考を察することもなく、探偵はその部屋に入る。

 ギギギ、と不快な音が鳴る。まだ新しい家なのに、この音が鳴るのは1年ほど前からだ。

「こういう音、いいわよね」

「はい?」

「黒板を爪でひっかくような音、みんな嫌いって言うけれどワタシは結構好きなのよね」

「はあ……」

 感性は人それぞれだと言うが、この探偵の場合はかなり特殊な気がする。

「まあ、ホントに何もないわね」

 僕もあの日以来、雫の部屋に入るのはこれで二回目だ。あれ以来、不気味で覗こうなんて思いもしなかった。

「今回はスマホ置いてありませんね」

 そのせいで前回よりも生活感がなくなったが。

「…………そうね……」

 一方で探偵は何かを思案しているように、曖昧な返事をする。その視線はこの部屋に唯一存在する家具、ベッドに集中していた。

「何かありましたか?」

 僕は何だか不安になってくる。

「この部屋には……何もないかもね」

「というと?」

「そのままの意味よ。何もない、でも何もないっていうのが分かったわ」

 探偵は意味深なことを言う。そんなことを言われても僕にはさっぱりなのだが。

「クローゼット、開けてもいい?」

 と探偵はクローゼットを指差す。

 またもや僕は考える。――前回この部屋を訪れた時は、あまりの殺風景さにクローゼットに目が行かなかった。

 そもそも、いくら恋人とはいえ、雫の衣服が入っているクローゼットを開けるというのは抵抗があったのだ。

 ……もちろん探偵は例のごとく、そんなのお構いなしにクローゼットを開けるのだが。

 これもしょうがない出来事だと僕の心に言い聞かせる。

「わお、お洋服がいっぱい」

「え?」

 僕と探偵がクローゼットの中を見ると、そこには僕も見たことがない服が所せましと並んでいた。

「いったい何着あるのかしら」

 探偵は数え始める。それよりも僕が気になるのは、ここにある半分以上の服を、雫が着ている姿を見たことがないのだ。

「なんだろ、これ……」

 ある一着の服が僕の目に留まる。それは上下が繋がった真っ黒の、ダイビングをするときに着るようなウェットスーツだった。

「彼女、休日にスキューバダイビングとかするの?」

 探偵もそのスーツに関心を持つ。

「いえ、そんな話聞いたことないです」

「彼女はもしかして最近、キミに黙って泳ぐ系の趣味を始めたのかもしれないわね」

 ウェットスーツって高そうだし、と探偵は肩をすくめる。

「このたくさんの洋服は?」

「彼女、実は収集癖なのかもしれないわね」

 何年も付き合ってきた彼女のことだから何でも分かっているつもりだが、おそらく収集癖ではない。

 しかしその仮説が本当で、僕に何も言わずに高い買い物をしていても浮気なんかよりかは桁違いに許容できる。

「まあ、おそらくこの部屋にはこれくらいの手掛かりしかないわね」

 探偵はクローゼットを閉めながら、僕に新たな質問をする。

「彼女は働いているの?」

「ここの地区の市役所で働いています」

「じゃあ、彼女が不審な外出をするときは休日か夜になるのかな。明日は土曜日よね」

「そうですけど……」

 また、なんとなく探偵の考えていることが分かってしまった。

「ワタシも尾行してみようかしら、彼女の顔写真見せてもらえる?」

 やはりそうなるか。

 僕はスマホで雫の写真を見せる。

「美人さんね」

 ……僕もそれは思う。が、それを口に出すとこの探偵はからかってきそうなので、この場はノーコメントを貫いた。

「今日は彼女、出勤中よね。いつもはこの家に何時に帰ってくるの?」

「帰りは普段なら6時くらいになります」

 そう、何もない普段の話だが。

「じゃあさっそく今日、張り込んでみるわね」




 雫が帰宅したのは午後8時半だった。

「ただいまー」

 雫が玄関を開ける。どことなくだが、疲れている様子だ。

 あの探偵に本当に尾行された結果、彼女は疲弊しているのだろうか。

 それだと逆説的だが雫は探偵の尾行に気づき、それを巻こうと歩き回った結果の疲弊……になるのだろうか。

「今日は遅かったな」

「ただの残業よ」

 今まで帰りが遅かったときも残業をしていた、と聞いていたが果たしてそれは事実なのだろうか。もちろん残業のあとに探偵の尾行が始まった可能性を考慮したら、あながち嘘というわけではないが。

 彼女はソファに寄りかかる。

「夕飯は食べたんだっけか」

「うん、近くのラーメン店に行ってきた」

 家事全般は僕の仕事で、もちろん料理もできる。しかし最近は彼女の外食が多いため、僕1人で食べる日が増えた。

「明日は出かけるんだっけ」

「そう、高校の友達とご飯食べに行くの」

 探偵は今日の尾行の結果を明日、直接会って伝えると言っていたため雫の外出は僕にとって都合のいい話だった。

「ねえ」

 彼女がお風呂場に向かう前に、僕は話しかけられる。ーーそれはあまりに唐突で、僕と探偵にとって非常に都合の悪い話だった。


「この前、私の部屋に入ったでしょ」


 ……マズいことになった。しかしなんで分かったんだ。

 いやまずは彼女をごまかすことに集中しよう。

「そんなわけないだろ? ちゃんとプライベートを覗かないっていう約束は守っているよ」

「ふーん……」

 彼女はしばし考え込む。もしや僕が嘘をついていることがバレたのか……?

「じゃあ私、お風呂入って寝るから」

 問い詰められると思いきや、意外にも彼女はあっさりと引き下がった。




 翌日、雫が出かけたのを見計らって僕は探偵事務所に向かった。着いてすぐ昨日の出来事ーー雫に部屋に入ったことがバレたことを言うと、探偵はあまり気にした様子もなく「彼女、やるわねー」と言い、その話を打ち切る。

「それではワタシの昨日の成果を発表しよう」

 探偵は昨日の出来事ーー雫の尾行の結果を話し始める。

「……すぐにワタシの尾行はバレたわ」

「え?」

 あまりの肩透かしに、僕は紅茶を吹き出しそうになる。依頼料金はどうなるんだ。

 僕は霧島探偵事務所を去ろうとしたとき、「まあま最後まで聞いてよ」と探偵は僕をなだめる。

 ……いちおう話は最後まで聞いておくか。

「彼女はワタシが尾行しているのに気づき、ワタシを巻こうとした……でもねこの霧島科雪を巻こうなんて十年早いのよ」

「巻かれたんじゃなかったのか」

 僕は気が抜けタメ語でツッコんでしまうが、「キミもタメ口でいいわよ」と探偵は言うのでそのままにする。いまさら感は否めないが、態度のでかいこの探偵に敬語を使うのも釈然としないので、探偵の言う通りタメ口を使うことにしよう。

「まあ1回くらいは巻かれてもいいのよ」

「じゃあ2回目の尾行をしたってこと?」

 その通り、と答え探偵は紅茶を口に運ぶ。

「それよりも面白いものが見れたわよ」

 面白いものとはいったい何のことだろう。……探偵にとっては面白いものかもしれないが、仮にそれが浮気現場だったらそれは僕にとってちっとも面白くない。それどころか最悪で不快だ。

 もしそのことを面白いとか言ってきたら絶対に帰ってやろう。幸い依頼料金は後払いだし。

「なんと彼女、変装をしたのよ!」

「へ、変装?」

「そうよ。ふふ、キミはいい反応をするね」

 僕が驚いた表情を見せたせいで、この探偵は調子に乗ってにやける。非常にムカつく。

「でもそんなのでワタシを巻こうなんて無理な話よ。たしかに彼女の変装は素人には絶対に分からない熟練のものだった。彼女の変装は見た目は完璧だったわ。……そう外見だけわね。しかし、相手はこの霧島科雪!」

 探偵はニヒルに笑う。


「〝耳の形と歩き方〟は偽装できなかったのよ」


 それを聞いてまたもや僕は驚くが、今度は顔に出さずにこらえた。ポーカーフェイスは大事だ。

「だから彼女が変装をした後もワタシは尾行を続けた。――もちろんワタシも変装してね」

 昨日僕が知らないところで何があったんだ。変装合戦(?)でもあったと言うのか。

「ワタシでも耳の形は流石に変えられないけど、歩き方くらいは意識すれば誰でも偽装できるわ」

 ワタシの方が上手だったと、探偵は誇らしげに笑みを浮かべる。……いったい何の勝負をしているのだろう。

「それで、彼女を尾行した後はどうなったんだ?」

「彼女を尾行した結果……別の家に辿り着いたわ」

「別の家? ということは……」

 愛人でもいたということか? 本当に浮気をしていたのか? ――しかし、探偵は一般人の僕の想像を超える仮設を立てていた。

「彼女は一度その家に入ったけど、ワタシは近づかなかったわー―その家の外壁には防犯カメラが5個も設置されていたもの」

 もしや僕がなんらかの方法、それこそ探偵を雇うなどして僕が雫の別宅の存在を知り、そこに近づいたときのための対策だろうか。にしては5個も防犯カメラが設置されているのは多すぎるような……いや、雫の性格を考慮すれば普通のことか?

「ーーもう一度キミたちの家に行ってもいい?」

「まあいいけど。何か分かったのか?」

「ええ、彼女の正体がね」




 探偵はまたもや僕の家の玄関に足を踏み入れると、まっさきに僕の部屋に入った。

「? 僕の部屋には何もありませんよ?」

 まあ雫の部屋なんかよりは遥かに生活感はあるが、僕の部屋はいたって普通だ。

 探偵は僕のことを完全に無視して、部屋の中から〝それ〟を見つけた。

「なんだこれ?」

 消しゴムくらいの小ささで、黒い物体。ーーそれは、

「盗聴器よ」

 探偵はそれを手のひらの上で観察しながら淡々と言う。

「盗聴器!?」

「ええ、やっぱりキミの反応は面白いね」

 ……いや、まったく面白くない。盗聴器が見つかることよりも、浮気の現場の修羅場の方がまだマシだ。

 なんでこんなものが僕の部屋に……? と言うより先に、探偵が推理を説明し始めた。

 それはあまりに想像を絶するような、僕の家庭を破壊する、霧島科雪の酷な仮説だった。


「彼女はスパイよ」 


「え?」

「証拠はあるわ。まず昨日の尾行中の出来事。キミはまだしもワタシの尾行に気づくなんて一般人じゃまず無理よ」

「それは……たまたまなんじゃ」

「いいえ、ワタシの尾行は完璧なはず。なのに彼女は気づいた。その理由はおそらく普段から尾行し、尾行されるのに慣れているからよ」

 スパイも難儀ね、と探偵は軽口を飛ばすが僕にそんな余裕はすでに無くなっている。しかし探偵は僕の心中を察しない。

「それに彼女は変装したって言ったでしょ。だいたい、まず一般人は変装のための衣服なんて持ち歩かないでしょ?」

「だからクローゼットにはあんなに服があったのか……」

「ええ、バリエーションは多い方がいいものね。それにあの全身タイツみたいなスーツはおそらく侵入用ね」

「侵入用?」

 あのスーツを着て、スパイ映画さながらの侵入ミッションでもするとでも言いたいのか。

「会社とかの中央情報部に直接侵入して情報を盗む。よくある話ね」

 いや聞いたことない。

「そして彼女が通っていた家、あれはアジトみたいなものだと思うわ。あんなに防犯カメラを設置して警戒されていたもの」

「じゃあなんで僕たちが雫の部屋に入ったのがバレたんだ?」

「スマホが置いてあったんでしょ。彼女の部屋を開けるときにあのドアは軋む音がするでしょ? 多分スマホはボイスレコーダーアプリが起動されていて、その音が録音されていた。キミはそのスマホを外出中の彼女に届けたの? それとも約束を破ったことがバレるから見なかったことにした?」

「……あのとき僕は、スマホを見つけたことを彼女に言わなかった……僕が約束を破ったことがバレるから」

「それも試されていたのよ。キミが部屋に入るか、入ったとしてもそのことを正直に話すか、ってね」

 ……仮に。もしもその仮説が事実だとしたら雫は……僕を騙していたのか?

「それにキミのお父さんは官僚でしょ。だったら彼女がキミに近づいて外堀を埋め、いずれキミから官僚であるお父さんのーー国家に関する重要な情報を聞き出そうとした。って考えると辻褄が合わない?」

 雫はスパイとして僕に近づき、間接的にどこからか父親の情報を引き出そうと、盗み出そうとしていた……ということになる。雫は僕のことを最初から愛してくれていなかった。ただ僕は官僚、偽盛哲司の息子としか見てなかった。

「……あくまでワタシの仮説だから」

 探偵にしては珍しく、ここでは僕の心情を察してくれたらしい。

 僕がすっかり感傷的な気分になり、僕も探偵も黙り込み静寂に包まれていたその時ーー突然、耳をつんざくような音で火災報知器が鳴り出す。

「は? 火事!?」

 突然けたたましい音が鳴ったせいで僕はパニックになりかけるが、一方の探偵はというとーー

「煙が黒すぎるわ。これは消防士さんじゃないと対処できないわ、逃げるしかないね。にしても……なんでこのタイミングで?」

 と新たな出来事について推理をしていた。

「そんなことより今は逃げるぞ!」

 その声で我に返ったのか、探偵はようやく事態を飲み込んだかのように目を見張り、その手に握られている盗聴器を見つめる。

「あ、盗聴器の電源の消し方わかんなくてそのままだった」

 バカなのか!? 名探偵はさっきの仮説を全部雫に聞かせてたのか!?

「LIVEで聞かれてたか、あちゃー水没させればよかったわ。……でもこれで逆説的にワタシの推理が当たってたことになるわね」

 探偵はどこまでも冷静だ。



 僕と探偵はようやく外に出れた。

「……にしてもどこから火が放たれたのかしら? 彼女の姿は見えないようだしあらかじめ家の中に発火装置でも設置してたのかな」

 探偵は空に立ち上る黒い煙と、燃え盛る僕の家を見ながらまたもや考え事をしている。この探偵は僕の心を慮ったりはしないのだろうか? もしかするとさっき探偵が仮説を述べたせいで僕が感傷的な気分になったときに黙っていたのも、やはり何か別のことを考えていたから静かだったのだろうか……。

 探偵はやはり無神経だ。

「キミはこれからどうするの?」

「どうするって…………」

 僕には家も、恋人も何も残っていない。これからどうするかなんて……僕の方が聞きたい。

「彼女のアジトにでも潜入してみる?」

「…………」

 そんなことして何になる。

「はあ……。もし泊まるところがないなら、しばらくワタシの事務所に泊めてあげてもいいわよ」

「……え?」

「キミ、確か家事できるんだよね?」

「できるけど……」

「じゃあキミを事務所に泊めても、ワタシにもメリットがあるわね」

「??」

「いやだから、泊めてあげてもいいって言ってるのよ」

 僕の実家はここからはかなり遠く、実家から往復して職場に通うのはかなり大変だ。しかしだからと言って探偵事務所に泊まるというのは……、

 まあいっか。

 僕だって現実を飲み込めずちょっと疲れたし、ここはお言葉に甘えるとしよう。

 それにこの火事だって一番責任を追及すべきは雫だが、二番目は? と聞かれたら僕はこの探偵に一票を入れよう。


 かくして僕と探偵の事務所での共同生活が始まった。しかし初日、僕は大きな落とし穴に気づく。


「部屋汚っ!」

 僕が探偵事務所を訪ねて探偵と会話を交わした場所は、探偵いわく談話室らしいのだがそこは僕が見てきた通り綺麗に掃除が行き届いている。……しかしそれ以外の個室というのがあまりに散らかっていて足の踏み場もない有様だった。

「しょうがないね。天才というのは自分の考えに夢中になるあまり、他のことが手つかずになるものだよ」

「……もう少し他のことも考えてくれ」

「無理。だって探偵だもん」

 もしや、探偵は掃除をさせるために僕をここに泊めたかったのか?

「じゃあ後よろしく~」

 と言って探偵は事務所を後に外に出て行ってしまった。

 あの推理を聞いて僕は素直に、霧島科雪という探偵は天才だと思った。

 しかし、その頭脳以外は壊滅的だ。


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