8話 一条詩織は予断を許さない!
──様ー? 朝ですよー? お嬢様ーー?
軽快に身体が揺れ不快な現実へ向き合う時間が到来する。やけに深く寝こけていたものだ。
なんだか前回も同じような出だしだった気がしないでもない。
早朝は重力が強まるという超重大事実を忘れ、今日早く起こすよう詩織姉さんに頼んだのは他ならぬ俺である。
身の丈にあった怠惰な俺でいろと昨日の自分へ助言したい! 今日の俺はまだ寝足りない!
何故俺がこんな殊勝な心がけをしなければならなかったのかというと、いち早く登校しなければならなかったからであり、何故早く登校しなければならなかったかというと、昨日済ませなければならなかった事を済ませなければならないからであり、そうするに至った経緯は俺が昨日気絶して一日を溶かした事に起因する。
始業式から職員室への顔見せから自己紹介に至るまで、ここぞとばかりにTS的お約束展開を先延ばしにしたツケは払わなければならない。
ここまで二学期デビューの布石を外しまくった高校生というのも珍しいであろう。
そういった憂鬱と夢心地の現実逃避の切り上げを食らった寂しさが衝突し、身体を包む不快指数と重力加速度は観測史上類をみない大荒れを喫していた。
「ん。 ……う〜ん…………」
そこに輪をかけたように昨晩の詩織姉さんの計画的尋問事実に気づいたことで、増えた悩みに頭をもたげたのはいうまでもない。
鏡を見れば今日も変わらず女の子であり、漏れる吐息は細く婀娜っぽい。木漏れ日に照らされた少女が人形のように脆そうな肢体と覇気のない目で俺をみていた。
未だにコレが俺という実感がない。姿見の先の異国からやってきたお姫様だと説明された方がまだ納得する。そういったファンシーな意匠の服も難なく着こなせること請け合いである。
詩織姉さんがあれこれと着せ替えて遊びたくなるのも納得の一点物ビスクドールだ……少し、すこ〜しだけ、わかる。
厨二病的情熱が疼く。
そういえば冬司……冬さん?も、そういうの似合うんじゃないか?
彼女の華やかな表情、そのかわいらしい美少女が非日常的世界観をまとうような衣装……クラシックロリータなんてどうだろう。
スチームパンク的衣装であればファンタジーさながらの世界観をまとって見せるに違いない。
一回着てみてほしい……
ここで問題なのは元男子高校生である冬司に、いったいどうやってかわいい服を着せるかだ。
しかし何としても着せなければならない!俺の覚めやらぬ厨二病がそう言っている。 多少の犠牲は厭わない!!
コンコンッ!ガチャ!
今日も今日とて役割を削がれたノックにノータイム入室! ごきげんなようだ……
「お嬢様……今日も顔が面白……お元気そうでございますね♪朝食が出来ておりますので……ささ、早く着替えてください! なんであれば私がお手伝い致しm 」
「いいからっ! すぐ着るからっ!」
「大丈夫ですかー? ちゃんとブラ出来ますかー? ちゃんとお胸に合わせないと形崩れるんですよー?」
そんな彼女は、にまにまーとした顔を崩さない。
「一人で出来るから!!!! 」
「あらあら♪照れてる様子もまたかわ――」
彼女にまかせるとなんだか違う趣向に走っていくので速やかに退出願った。
多くを語るのは差し控えるが、こう……なんというか……ムニュッ!して……ググっとするあたりで……彼女はどうもムニュッ!が多いのだ……
さすがの俺でもそこに詩織姉さんの個人的趣向が混じっていることくらいはわかる。
何も知らないと思ってバカにしてッ!!
下着を手に取る。ブラジャーのホックと、それをかけ間違ってできるメビウスの輪の解除に幾許かの格闘を伴った後、お腹で留めたそれをくるっと背後に回して肩ひもを通す。
いーや、よくやった〜な?一人でできただろ?
しかしいまの俺にはこれが限界だ――そしてググッて(以下割愛)
さて、と……俺はウォールハンガーに掛かる現状最重要課題に向き合う。
皺のない制服。女子制服。いや、主に昨日しか着ていないのだから皺がないのは当然だろうが……
この地区でもかわいいと評判で、変態制服マニアの冬司も太鼓判を押す。制服目当ての入学も後を絶たないというわが校の制服――――
ベージュのセーラー袖のついたシャツとチェック柄のプリーツスカートはベストマッチ♪胸元のリボンタイがワンポイントでチャーミング☆
うん。清楚な雰囲気でとってもかわいいねー……
…………。……え。マジでこれ着るんだよな……? 俺が。
昨日の自分が末恐ろしい。何故こんな……こんなにもヒラヒラしたものを着て、昨日の俺は外を歩けていたのか……!?
指の震えがわかる。俺は制服を、恐る恐るつまむように持ち上げた……
「……ス、スカート…………」
朝日が当たる夏服のスカートは薄らと透けているし、些細な動きでひらひらゆれるし。やはりこの装備の防御力には不安を禁じえない……
「……布じゃん……」
え……これ見えるんじゃね……? ヤバくない??
一瞬でも女装? とかいう考えが過ぎれば袖を通す事など出来ぬ! 考えてはならん! ええい、ままよ……!!
……制服に袖を通すだけだというのになんだかどっと疲れた。
姿見には顔を赤く染め、もじもじとぎこちない素振りで身だしなみを整える少女が映っていて───────
キタラキタデドウッテコトナインダヨ……ハハ……
いや、強がった。
太もも同士が直に触れる!!
動いてゆれる風通しの良さが落ち着かない!!
そしてかわいい制服を身にまとって恥じらうなんて滅茶苦茶に女の子女の子している自分がなんとも恥ずかしいっ!!!!!
俺は毎日こんな悶々とした朝を過ごさなければならないのか……
とりあえず部屋を出てダイニングへ向かう。スカートが揺れてふわふわとしているがこれを気にし出すと何も出来なくなるのは明白だった。
「わ〜〜♪かわいいです〜! 今日も制服お似合いですよー」
「あ、ありがと」
ダイニングには待ち構えたようにメイド服姿の詩織姉さんがいた。
ぎゅっと指を組んで目を輝かせニコニコと笑っている。かわいいと言われ慣れていないからどう返せばいいかわからない……
「今日、髪はどのように致しましょう?」
「え、わかんないからテキトーで……」
「承知致しました! お嬢様は編み込みハーフアップがお似合いですからねー今日もしっかりセットしちゃいます♪それに今日からちゃんとお嬢様していただきますからね? お外では言葉遣いの方も気をつけてくださいね? ────ね? 俺とか使っちゃダメよ?」
「……ひっ…………」
パンを齧る手が止まる。恐怖に慄き強者に平伏し……全身の神経が固まるのを感じた
しばらくの間、俺は髪を纏めてくれていた詩織姉さんを振り返ることが出来なかった。
「スゥゥゥーーーーー!!」
頭を吸われた俺はようやく胸をなでおろす。彼女の変態的行動が救いのラッパのように聞こえる。
「出来ましたー! わーーーん! 今日も素敵ですーーーーー!! 真っ白なお肌で、スカートから見える生脚もとても、、良い!! 良いですよー! お姫様です!! 」
「あ、あのさ、もういいかな? 恥ずかしい……ッ」
「う〜ん照れてるお嬢様もかわいいです〜」
「あ、あと、さ。スカート短くない? 前に着た時は膝が隠れてたような……」
「私も苦渋の決断でございます。お嬢様の可愛らしさを思えばもう少し短くして……といった思いもありましたが、お嬢様のお肌をあまり衆目に晒すわけにもいかず……」
握りこぶしを作って唇をかんでいる。
「安心してください♪今日もお嬢様は美少女ですよ♪」
「……」
満面の笑み。不安だ。
「和条様にはお話を通してあるそうで、お義母様からも「お膳立てはしたから今日からちゃんとお嬢様するのよ〜」と伝言を預かっておりました。何も心配はないんですよ? 」
「なにそれ」
和条というのは親戚の爺さんで、俺が通う成条学園の理事長をやっている。
聞いていない話が出てきた…… なおのこと不安だ!
「それと、お嬢様はお肌が弱くなってしまいましたから今日からはお車での登校になります。まだご不安でしたら私も付き添います!」
「えっ……」
注目されてしまうではないか……! 輪をかけて不安だっ!!
そんな彼女は「私、まだ制服いけるかしら……」等と恐ろしいことを呟いている。
「―それではお嬢様。アレを。頂戴出来ますか?」
いつになく真剣な表情でこちらを見ている。
「コホン……ひ、跪きなさいッ。あ、貴女がそこにいたらわ、私の目にテレビが入らないじゃないの……! こ、この駄メイド!! このわ――私をいつまで待たせる気? 早くなさい……!」
「ふ、ふぇぇ……いったいどうすればあ」
「……さっさとタイを結んで頂戴。身支度の時はそうに決まっているでしょう? まったく何度言ったら────」
…………
────────────
「うへへ……ハァ……ありがとうございます────やはり良いものですね。お上手でした」
恍惚な笑みを浮かべる彼女を前に、なんだか楽しくなってきている自分を発見する。いやいや────
ところで俺と詩織姉さんが何故こんな三文芝居をやっているのか、その経緯を語ろう。説明になっている保証はないと先に述べておく!
俺の義姉と父上殿と母上殿はすっかりご令嬢じみた美少女となった俺をみて、これならば汚名返上出来るのでは? と考えたらしく、品行方正な淑女へ矯正させる計画を思いついたらしい。
俺は断固として拒否したが、その計画は水面下で進行していて、夏休み終盤頃には波を立てて絶賛進行中の、一条家主催、一大エンターテインメントとなっていた。
その一環で言葉遣いはこうして矯正されている……らしいが? 見ての通り詩織姉さんの変態的趣味に付き合っているだけのように思う。
彼女の穿ったお嬢様観が災いするのか、この練習が彼女をそう狂わせたのか……
発端がいずれであるにせよ、普段面従腹背のサディスティックとして俺の轡を握る義姉にマゾヒスティックな素振りでサディスティックを強要されているわけだ。
────これを楽しいと感じるなんて頭のネジが外れた変態だろ……?
「────ですが。まだ照れが見えます。一流のお嬢様まで後一歩といったところですね」
いったい俺をどうしたいんだろう。
「そんなお嬢様には──ほっ!」
気づけば彼女は坐った目をしていて……
「んぐむッ」
そして音速を超える手さばきで、俺にチョコレートボンボンを飲み込ませた────
「はい! 楽にして差し上げました♪」
気づかなかった。彼女の俊敏さが音を置き去りにしたからである。
その後もいくつか食べてしまった。
普段「学生の本分は勉強です!」と高説たれる義姉、圧巻の手のひら返し! 合法的振る舞いに留まっているのが救いかもしれん……
そうこうしているうちに家を出る時間になった。
車に乗り込む頃にはすっかり紅茶のカフェインとチョコのアルコールが回っていた。
あげく俺は、早朝些細なことに戸惑ったり恥じらったりしていたのがアホらしく思えるほどテンションハイになっている。
(無茶苦茶だけど―緊張を解してくれたんだな……)
この精度50パーセントくらいの予測に疑問を抱けないことも最早どうでも良い。
この際、助手席に俺と同じ制服姿の詩織姉さんが乗っているのも些細なことである。