14話 一条茉莉は予断を許さない
俺の放課後は1杯の紅茶から始まる。
持参したティーセットを広げて水筒の蓋を開けば、詩織姉さん特製ブレンドが香る優雅な時間が幕を開ける……
童貞ながら今日も今日とてお嬢様をこなす俺を、褒め称えるのは俺だけである。悲しい現実を紅茶と一緒に飲み干して、俺は再び似非お嬢様を再開する。
これが俺の新たな日常となりつつあるのだが……今日の俺はティーカップを持つ手元もおぼつかないほど、戦々恐々としていた。
放課後、俺がティータイムに選んだのは体育館裏の更に裏、ちょうど告白スポットが一望できる小さな茂みの中だ。そしてここは冬司に仕掛けておいた無線薄型集音器の受信圏内でもある。
何故一条のやんごとなき令嬢である俺が、こんな辺鄙な場所で人目を忍んだティータイムと洒落こんでいるのか……それは冬司へ告白する不届きものが誰であり、またどのような発展を見せるのか確認する必要があるからである。
これは自作の盗ちょ……無線薄型集音器のテストも兼ねた総合的な情報収集……その一貫であり、決して──!
冬司は何て答えるんだ─? まさかOKするつもりじゃないだろうな? あと何で一言も相談しないんだ──!?
な〜んて俗物的で一過性の不満を解消するためのものではないことをご留意頂きたい!
────受信機に耳を澄ませば声が聞こえる。
……冬司と……もう一人は……男だ。
〈「──」〉
〈「────」〉
〈「──……ずっと見ていました。好きです。付き合ってください────」〉
……少し出遅れたらしい。どうにもノイズが乗っていて聞き取りにくい。
〈「あ……えー……っと……」〉
どうにも胸がざわついて落ち着かない。
冬司は俺に付き合ってくれと言ってみたかと思えば、柚穂さんに気があるようであり、かと思えば男子達と楽しそうに喋って媚びを売っていて……告白の呼び出しにはホイホイと行く。
もう少し節操というものを持てんのか、忌々しい! お前のせいで全く授業に身が入らなかったじゃないか! ああ忌々しい!
〈「……くん。気持ちは嬉しいんだけど……──」〉
〈「そう、か……言ってくれてありがとう」〉
よく聞き取れなかったが、どうやら冬司は断ったらしい……? ひとまず胸をなでおろしティーカップを置く……
──と、油断したのが良くなかったようで────
カタッ──! カチャン──!
「」
「「!?」」
カップがソーサーに当たり、気持ちよく陶器の音が響く──
──終わりと絶望のソノリティ〜心音と動揺の追奏〜──
〈「いま……さ……なんか音したよね……?」〉
──バレた!
〈「ああ……覗き見……にしては少し離れていそうだな……」〉
〈「多分あっちのほうからだと思う……塩谷くんわかる?」〉
告白の相手は塩谷だったか。難儀なことだ……ってそんなことより潜伏がバレた!
しかもこちらに向かってくるつもりらしい。
見つかればこの奇行を問いただされるに違いない──三十六計逃げるに如かず!!
俺はティーセットを置き去りにして、一目散に逃げることにした。
ところで、冬司に告白した『塩谷』という男は中等部から知り合った俺や冬司の級友である。
顔はいい……が、スケベェに関して際限なくストライクゾーンを拡張できる救いようのないアホでもある。
あらゆるフェチズムに造詣を深めた彼の言葉は無駄に説得力を醸し、条成きっての猥談論者と称される彼は、学内屈指のネットワークを誇り、そして……認めたくはないがモテるのだ。は?
ともかく、そんな塩谷の告白を、冬司は振ったわけだ……俺自身は依然として危機的状況下にあるわけだが……密のように甘い塩谷の不幸は最高におもしろおかしかった。
〈「塩谷くん、これ……」〉
あれこれ考え自分をなだめすかしていたものの、盗聴器は抜群の精度で音を拾って、俺に現実逃避の余地を与えない!
〈「……これ呉久の使ってたティーセット? だよな……あいつまだこの学校にいるのか……? 転校したんじゃなかったのか」〉
〈「へ!? え、ええと……それは」〉
さっきの潜伏先までも見つかった。二人の会話が殊更に冷や汗を誘う。
ティーセットは置きっ放しだし、どうしたものか……トホホ。
◇◇◇
部活棟の屋上。
ここまでくれば安心していいだろう。
俺は使い分けているもう一つのスマホを開く。
先日新調したものと違って、こちらは設定上転校した一条呉久として運用しているのだ。クラスの野郎達と箸にも棒にもかからないやり取りをしたり、柚穂さんのメッセージに和んだりと贅沢な役割を一手に担っている。
……スマホ2台持ちなんてブルジョワな!なんて指摘はナンセンス!私正真正銘、一条のブルジョワジーですのよ? ……オホホ。はぁ。
柄じゃないトンチキ令嬢に日々心労が溜まる……俺なのだが、そんな萎れた心のカンフル剤を担うのもまた、このスマホ───冠城冬ファンクラブ会員としての端末である。
二学期が始まって以降、俺にとって専らの懸案事項といえば、カマトトぶってる時の冬司もとい冬様が可愛くってたまらない、というもので、抱いてはならないトキメキの対処に俺は苦しんだ。
ここ1週間で紆余曲折の煩悶を経た俺は、ついに一つの突破口を見つけることになる!
……写真の冬さんと冬司を切り離して考えれば良い。
冠城冬ファンクラブ──冬様会の発見は俺にとって福音だった。
冬様会では有志によって撮影された写真や動画が共有されており、そこにはまるで純度100%で可憐な冬様が存在しているように思われた。
画面上の、不純物の混じっていない冬様にときめくのは男子高校生的に自然である。開けてはならぬ扉を開けることもないし、何より思いっきり愛でることができる。心臓にも優しい。
冠城冬から癒しを切り取って摂取する方法を覚えた俺は、気が参るとすぐにファンクラブを眺め、冬様に心の平静を求めるようになっていた……ちょうど、今みたいに。
俺は今、部活棟屋上階段の上で再び身を潜めている。
まだ塩谷と冬司からの逃避行をしていた時、ちょうど冬様会の会長からメッセージが届いた。そこには困っている俺に潜伏先の提案するから一度会って話がしてみたい、部活棟屋上に来られないか、といった内容が書いてあった。
都合の良い提案に行くのはやぶさかでなかったが、校内ではやんごとなきお嬢様である俺が顔を見せるわけにもいかない。
ひとまず屋上階段棟の屋根に隠れて様子を伺うことにした……のだが───
────カタン──!
陶器がかち合う音──
俺の目の前には逃避行で置き去りにしたティーカップがあった。
すると背後から声が。
「──会員No13.一条呉久君? 忘れ物だ」
「ヒャ────」
誰かに見つかった。
状況的には冬様会の会長だろう。仮にそうでないにしても、こそこそ隠れている所を見つかり、反応してはいけない言葉に反応してしまった!
振り返るのが怖い……
かくなる上は───振り向きざまの勢いを殺さぬ完璧な土下座!!
よし、これでいこう──!
「も、申し訳ございませんでしたッ! あぇ……えと、とにかく申し訳ない……と……そのっ!!」
「一条……さん? じゃないんだよな……? う〜ん。やっぱ頭バグるなあ」
「……はへ?」
顔を上げて、俺はそこにいた人物に肝を抜かれた。
「塩谷? ……え?」
「……頭がバグった上で、やはりお淑やかな美少女に土下座させると……忍びなさが勝つなあ」
立っていたのは先ほど冬司に告って玉砕したはずの塩谷だ。そもそもこの場は冬様ファンクラブ会長の呼び出し場所のはずである……え? ということは────
「……塩谷が冬様ファンクラブ会長……?? いやいや、信じられん! いや、それより何で冬様会会長のお前が告ってんの?? 不可侵を守れ! ガチ恋がいちばんキモイんだが!?」
「そっちかよ!! ……ってお思わず突っ込んでしまったが、あの茉莉様が呉久……誠に信じがたい。しかもよりにもよって冬様会の会員とはなあ。呉久のほうはわかるんだが淑やかお嬢様の茉莉様が冬様の写真求めてる姿が全く想像つかん、どう解釈したもんか──」
何やらぶつぶつと考えこんでいる塩谷を眺めていた所へ、とんとんと軽快にハシゴを上がってくる音が聞こえる。
そして特徴的な銀髪を捉えた。
「──塩谷、そいつの残念具合が立派に証明してるじゃねーか。それと呉久、友人を盗聴してるお前がいちばんやべーからな? 人のこと言えねぇから」
上がってきたのは先程塩谷に告白されたばかりの冬司だった。
なんでバレているのか知りたいが、ここは一旦惚けておく。
「ひゃわ!? な──ナンノコト……カナ?」
「癖でバレバレだぞお前!! しかもよりにもよって呉久、お前がオレのファンクラブ会員て……」
「えっ」
「……ねえ、どういうことかな〜茉莉ちゃん?」
「あ……えー……ふ、冬さん……? 冬司……? どっち……?」
冬様の詰問を交わすように視線を移すと、塩谷はやれやれと呆れ顔を作って口を開いた。
「いちじょ……呉久、落ち着け。僕はここに来るまでの間、アンタら2人の中身が、その、冬司と呉久ってことを聞いた。理解するまで2、3度気絶しかけた上に今も頭は追いついていないわけだが……まぁとりあえず受け入れたよ」
塩谷の顔には疲労が滲んでいる。気絶した、という話も誇張ではないのかも知れない。
「それから、お察しの通り僕が冠城冬ファンクラブ冬様会、会員No.1会長の塩谷だ。呉久、アンタはまんまとここに誘い込まれたわけだ」
「なっ……」
前髪を払い額に手を当て……ドヤ顔の変態紳士。
その変態にしてやられた悔しさに、今何を言い返しても言い負かされるような気がして俺は口を閉じるしかなかった。
得意げな変態紳士を呆れ顔の銀髪美少女じとっと睨んだ。
「……そこカッコつけるとこじゃねぇよ塩谷。あとなんでオレ本人の前で堂々ファンクラブ名乗れんだよ……」
「う〜ん。ジト目もいいなぁ……中身野郎だと分かっていてもやっぱ好きだな。蔑む視線とかたまらん!」
腐っても冬様を推しているだけある。的を射た意見だ。
「わかる」
ジトーっとした目が俺にも向く。かわいい。
「えぇキモ。呉久、お前もか、お前らマジでなんなんだよ!」
「「冠城冬ファンクラブだよ」」
ハモった。
「……きも」
「「これはこれで効くんだよなぁ」」
これまたハモった。この反応速度、こいつ──できる!
「なんだ、よくわかってるじゃないか。アンタやっぱり呉久なんだな!」
「貴方こそ聡明でいらっしゃる……冬様ファンクラブの会長の面目躍如といった所かしら?」
ちょっと楽しい。
「茶番はいいからよ、呉久、さっきのはどういうことか、説明してもらおうか?」
俺を銀髪おさげの美少女が睨む。普段のゆるふわ天使はどこへやら。すっかり針の筵だ。
「えと。冬司? 塩谷には俺のこともバラしたって認識でおk?」
「ああ」
「なるほど……あー、いやまて。俺の話の前に、冬司、お前塩谷に告られてたよな? そっちの説明を先にしろ」
「塩谷は振った! そしたらな〜ぜか物音が聞こえて、さらにどうしたことか、お前のティーセットを見つけた! んで、塩谷には隠しきれなくなって色々バラしたけど、信じねぇからお前を罠にかけて、狙い通りポンコツ姿を晒したお前を見せつけて証明終了だ! ほら説明したぞお前の番だ」
「随分と明瞭なご説明……痛み入ります……」
もう少々柔らかい話し方であれば素敵でしたのに……たいそうご機嫌がよろしくないようで……
冬司の目が怖い。
「ええと……それで俺は何を説明すれば……」
「はぁ? 何をって……なんであんなとこにいやがったのかってのと、ファンクラブのこと! を、吐かせるつもりだったんだが……」
冬司はギッと睨むと、俺の肩を強く掴んで詰問を続ける。
「呉久、おまえさマジでか!? と、盗聴て!! 鎌かけてみたらクソ動揺するし……おま、まじでか!?」
「は!? さっきのカマかけ!? ……へ? いやっ、シテナイっ、ヨ……? 盗聴、なんて……マサカ、まさか、真逆」
冬司に揺さぶられ、言い分が苦しくなっていく俺。まさに修羅場。その様相を呆れ顔で見守る塩谷……お前のポジションは楽そうだな?
「うわあ、この残念な感じ。アンタらまじで冬司と呉久なんだな……」
「塩谷、ちょっとだまってろ……」
「はい……ありがとうございます……」
恍惚顔の塩谷は冬司の言いなりらしい。この場に俺の味方はいない。
「タマタマアソコニトオリカカッタダケ、ダヨ? ヤマシイコトシテナイ、シンジテ」
「呉久しってっか? お前嘘がバレて焦ってる時口に手を当てる癖あんだぜ?」
冬司の額の縦線がみるみる濃くなっていく。
すごい怒ってる……もう……言い訳……できない……こわぃぃ。
「あ……あうううごめんなさいいいいいもうぢま゛せ゛ん゛ん゛ん゛゛」
……後がなくなった俺は、みっともなく冬司に縋り付いた。
「わぁっ!? きゅ、急に抱きついてくるなよっ!!」
「だって」
「なぁ呉久……お前俺のこと好きすぎなんじゃ……やってることはもうヤンデレじゃねーか」
「はへぇ?」
「───うっかわっ、い……こんなことでオレは許したりなんか……クっ」
言いながら冬司はコロコロ表情を変え困った顔をするものの、溜飲はすっかり下がっているようだった。
「ごめんよぉ……」
「…………もうしないんだな?」
「うん……」
「で、でも、まだ許してないから、な? そ、そうだ、なにか一つ言うことを聞け! オレの言うこと本当になんでも聞け!!!」
言いながらぐっと力を込めて俺を引き剥がそうとする冬司に反して、ダメ押しとばかりに縋り付く。
「……わかった……もうなんでもする……口外だけはやめて……こんなのバレたら一条家末代までの、恥……」
「お、おう。げ、言質とったぞ? まったく。なぁ塩谷ー、塩谷も聞いてたよな!?」
塩谷のほうを見れば、なにやらぶつくさ考え込んでいるようで、すっかり上の空のようだった。
「え? 百合の話か? いやしかし……中身的にはBLで……ところで、僕は何を見せられてるんだ?」
「はぁ? ……とにかく塩谷、今の聞いてたよなァ!?!?」
「ん? は、はいっ……!」
塩谷がぎょ、っと背筋を伸ばして答えた。その様子だとなんの事か分かっちゃいないだろう。
「はい、塩谷が証人だ! と言うわけで──いったん離れよーぜ? 抱きつかれてる側は人に見られまくってるから……すげーはずかしいんだわ。お前はそこらへん自覚持て!」
ググッと力を込めた冬司に引き剥がされる。すっかり怒った様子はないし、必死の嘆願が通じたようだ。
「……ごめん……」
「いちいち可愛いのなんなんだよ〜〜〜あーもう! しめっぽいのはやめ! もうっ帰るぞ!!」
冬司の一言を最後に、一連の告白騒動?はひとまずの解決を見て、俺達は帰路につくことになった。そして終始「……いいや、やはり百合だよな?」と首を捻ってばかりいた塩谷を置き去りにしたのは言うまでもない。