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夜桜と抜け毛と黒猫と

 今日は三月二十九日。

 二十九日は肉の日ということで、仕事から帰宅して黒猫の夕食を見届けたあと、戦いの女神を連れて近所の焼肉店に食べに行った。


 その帰り、戦いの女神が、


「我のために少し時間を貰いたいのだが、大丈夫か?」

「時間? 大丈夫だけど、なにかあったのか」

「散歩中に寄っている公園におっさんと二人で行きたいのだ」

「ああ、あの公園ね」


 たまに戦いの女神と散歩をしているので、その公園は知っている。

 その公園を散歩中の休憩で利用することがある。

 いつも閑散としていて、置いてあるものといえば、木製のベンチと網の破れたごみ箱だ。

 たしか、桜の木が何本か植えられていたはずだ。


「その公園なら歩いて行けるね。途中で家に寄って黒猫も連れて行こうか」

「精霊は家で留守をさせておけばよい。帰りも遅くならぬから、心配をかけることもない」

「そうか。それなら、二人でさっさと行って、さっさと帰ろう。それで、公園に行く理由は?」

「行けばわかる」


 俺と戦いの女神は焼肉店の敷地から外に出て、自宅前を通り過ぎ、大通りの十字路を渡り、歩道のない幅の狭い道を進み、舗装されていない砂利道を歩き、公園に到着した。


 公園は昼間と同じように閑散としていた。

 公園内のライトがベンチ、ごみ箱、花の散り始めた桜の木を照らし出していた。

 夜でまわりが暗いから、閑散としている公園が余計に寂しく見えた。


 俺は戦いの女神に連れられるように、花の散り始めた桜の木の前に立った。

 戦いの女神は無言で桜の花を見上げている。

 そんな戦いの女神の様子を見て、公園に来た理由がわかった。


「そういうことか」


 戦いの女神は俺のその一言に察したのだろう。

 俺を見て、にっこりと笑う。


「そういうことだ」


 俺と戦いの女神は無言で桜の花を眺めた。


 夜桜を見に来るのは、何年ぶりだろう。

 太陽に照らされた桜の花もいいけれど、ライトに照らされた桜の花もいい。

 桜の花弁がひらひらとゆっくりと散っていくのも風情があっていい。


 公園は俺と戦いの女神の二人しかいない。

 公園の外にも人影は見えない。

 無駄な音がせず、静かに時間が流れていく。


 普通だったら、誰もいない夜の公園の中で俺が戦いの女神の肩を抱き、俺の胸に頬を埋めた戦いの女神と唇を重ねるなんて展開になるんだろうが、それは俺と戦いの女神の関係性。

 人間と神が大人っぽい関係になれるわけがないし、仮にそういう関係になっても問題がないとしても、俺はそのラインを踏み越えることはしないだろうな。


 ラインを越えたあとが、なんだか怖いからね。


「この世界に来て初めて知った桜、どうだ?」


 桜の花から目をそらさずに訊いた。

 戦いの女神は散っていく桜の花弁を目で追いながら、


「綺麗であるな」

「そうか。綺麗か」

「そして、儚くもある」

「そうか。儚くもあるか」


 異世界から来た戦いの女神にも、桜のよさは通じるもんなんだな。

 綺麗だと感じさせるだけではなく、儚さも感じさせるとは。


「特に地面に散り落ちた花弁を目にすると、その儚さはより強くなるのだ」


 戦いの女神が切なそうな眼差しで俺に向けた。

 そんな眼差しを向けられ、俺はドキッとした。


 えっ? ちょっと待て。

 ラインを越えちゃうの?

 大人っぽい関係になっちゃうの?

 全年齢向けに俺たちのことを伝えられなくなるの?


 ……なんて焦っていると、戦いの女神が俺の頭髪に切なそうな眼差しを向けていることに気付いた。


「散歩中、この公園の横を歩きながら散っていく桜の花弁を目にすると、おっさんの頭髪の抜け毛を思い出し、儚さを感じるのだ」

「……はい?」

「桜の花弁が枝から離れ、地面に落ちる。その光景が、おっさんの頭髪が頭から抜け、枕元に落ちることと重なるのだ」

「全国の桜の花ファンに謝れ。炎上する前に謝れ。異世界だけではなく、この世界でも炎上騒ぎを起こす前に謝れ。そして、抜け毛が減った俺にも謝れ」

「桜の花はまた春が来れば、満開になる。しかし、おっさんの頭髪は春が何度来ようが、頭髪が抜けた分だけ薄いままだ。そう思うと、儚くて仕方がないのだ」

「抜け毛が減った俺に本当に謝れ」


 俺が抗議すると、戦いの女神は悪戯っぽく笑い、


「冗談だ。おっさんと二人で夜桜を見に来たかったのだ。ここまで付き合ってくれて、感謝する。来年の春もこの世界にいたら、ここの公園の桜を見に来るのを付き合ってくれ」

「わかったよ」


 まあ、戦いの女神との関係性はこれでいい。

 ラインを越えて大人っぽい関係にならなくてもいいし、俺たちのことを全年齢向けに伝えていきたいし。


「じゃあ、家に帰るか。あまり遅くなると、黒猫が心配する」

「その精霊のことなんだがな」


 戦いの女神が俺の後についてこず、その場で腕を組んだ。


「ん? なにかあったのか?」

「ここ最近なのだが、家の物置に他の一匹の猫を連れて入るようになったのだ」

「へえ。それは気付かなかった。どんな猫なんだ?」

「白色の猫だ。精霊が明かすには、メスらしい」

「……はっ?」

「精霊は物置をその猫と住む我が家とし、家庭を持ちたいらしい」

「はあっ?」

「どうやら精霊はこの世界の猫に恋をしてしまったようだ」

「はああっ?」

「おっさん、そのことについてどうすればよい? 我はどうしてよいか、わからぬのだ」

「はあああっ?」


 俺と戦いの女神ではなく、黒猫がラインを越えるとは……!

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