牛丼とお年玉と老後と
テレワークの日だった昨日とは違い、出社した今日。
後輩と一緒に会社近くの牛丼屋に昼食に。
「先輩、いつまでも待たせるなんて酷いっすよ」
注文を終えた後、突然、後輩が文句をつけてきた。
「いつまでも待たせる?」
急にそう文句をつけられても、心当たりはない。
仕事関係でもプライベート関係でも、後輩を待たせているようなことはない。
「何の話だ?」
「とぼける気っすか。本当に先輩は酷いっすよね」
「いや、とぼけるつもりはないんだ。何を待たせてるのか、本当にわからないんだ」
「本当にわからないんすか?」
「本当にわからない。俺は何を待たせてるんだ?」
そう訊いたら、後輩が珍しく呆れたように溜め息を吐いた。
「本当にわからないみたいっすね。それなら、教えるっすよ。お年玉っす」
「お年玉……?」
「そうっす。お年玉っす」
「誰へのお年玉?」
「俺へのお年玉に決まってるじゃないっすか」
「お前に俺がお年玉を上げるってことか?」
「そうっすよ。俺は先輩からのお年玉を待ってるっす。でも、もう待てないっす」
後輩はそう言うや否や、ポケットから財布を取り出して、俺に見せつけた。
どうやら、本気で俺からお年玉を貰おうとしているらしい。
言っておくが、俺の目の前に座っている後輩は社会人だ。
お年玉を貰えるような立場ではない。
「後輩よ、よく訊け」
俺は天井の一角を遠い目で見つめた。
「お前は社会人だろ。仕事をして、給料を貰っている大人だろ」
「そうっすね」
「つまり、お前は子供じゃない」
「そう……すね」
「お年玉は子供に上げるのが普通であって、社会人で大人であるお前に上げるのは、一般常識を踏まえれば普通じゃないよな」
「そ……うっす……うめ……ね」
「よって、俺はお前にお年玉を上げない。いつまで待っても、お年玉を上げることはない」
俺は視線を天井の一角から前に座る後輩に向けた。
後輩は俺に見せつけた財布をテーブルの隅に置き、いつのまにか運ばれていた牛丼を食べていた。
「はやく……食べないと……牛丼が……うま……冷めちゃい……っすよ」
「食べながら話すなよ。それに運ばれて来たら運ばれて来たって言ってくれよ」
ふたりとも牛丼を食べ終わった後、財布をポケットに戻そうとしない後輩に、
「だから、俺はお前にお年玉を上げない。わかったか?」
「なにがっすか?」
こいつ、牛丼を食べるのを優先して、俺の話を聞いてなかったようだ。
今度は俺が大きく溜め息を吐いてから、お前は社会人だろ、と改めて話を聞かせた。
「そうっすよ。俺は立派な社会人っすよ」
話を聞き終えた後輩がはっきりと断言した。
「そうだろ?」
「俺は会社に来て仕事をして、給料を貰ってる社会人っすよ」
「そうだろ? そんなお前が子供と同じようにお年玉を貰えるわけがないだろ?」
「それはそれっす。俺は社会人でも先輩からお年玉を貰える資格があると思ってるっす」
「はっ?」
なに言ってんだ、こいつ。
戸惑う俺に後輩が身を乗り出して、こう続けた。
「先輩は今は独身っす。子供がいないっす」
「そう……だな」
「先輩は死ぬまで独身っす。子供のいないまま、死ぬ運命っす」
「そんな冷酷なことを明るい声で言わないでくれるかな?」
「結婚を約束してる彼女のいる俺とは違って、寂しい人生を送るのが先輩っす」
「うるせえな。ほっとけよっ」
「だから、俺が先輩の子供になるっす」
「はっ?」
本当になに言ってんだ、こいつは?
後輩が俺の子供になる?
自分がなに言ってるのか、わかってるのかな、後輩は?
面食らう俺に後輩は手に取った財布を見せつけながら、やはりこう続けた。
「俺が子供になれば、先輩は老後の心配をしなくても大丈夫っす。俺がよぼよぼになった先輩の面倒を見るっす」
「いや、あのね、」
「女神さんがいつ異世界の天空の世界に戻るかわからないっすよ」
「そりゃそうだけどさ、」
「戻らないとしても、女神さんは神様だから、人間の先輩と結婚して子供を作るのは不可能っす」
「だから、そりゃそうだけどさ、」
「俺が先輩の子供になって面倒を見るっす。今はまだ先輩の子供になれないけれど、絶対になってみせるっす。だから、早くお年玉をくださいっす」
読者諸氏、俺は喜んでいいのだろうか。それとも、キレていいのだろうか。
独身のままで死ぬことを視野に入れ始めた俺の老後を思い、子供になって面倒を見ると言ってくれる人は後輩以外には現れないだろう。
しかし、一方で社会人でありながらお年玉を貰おうとする魂胆が見え見えでもある。
しかも、俺の言っている子供はそういう意味でもないし。
俺は視線を後輩から壁に貼られているアルバイト募集のポスターに移した。
アルバイト募集のポスターだった。
ポスターの中で、店のユニホームを着た七十近い男性がハツラツとした笑顔でポーズを取っていた。
その男性の右横に『定年退職後、牛丼屋のバイトを始めました! 最初は未経験で不安でしたが、今では若いスタッフと楽しく働いています! 高齢者も私たちと楽しく働きませんか!』と書かれていた。
俺はゆっくりと視線を後輩に戻す。
「俺の子供にならなくてもいいよ。俺が歳を取った時に子なしの独身であろうがなかろうが、戦いの女神がいようがいまいが、アルバイトでも見つけて若い人たちと仲良く働いていれば、すぐにでも誰かに面倒を見てもらわないといけない状態にはならないだろうからな」
「そうっすか。わかったっす」
後輩は意外にもあっさりと財布をポケットに仕舞い戻した。
あまりにもあっさりし過ぎていたんで、俺はお年玉を上げるかわりに昼食代をおごった。




