猫の睡眠時間
夕食時だった。
「精霊がこの世界に来てから、様子がおかしいのだ」
戦いの女神が急に眉間に皺を寄せ、俺にそう言った。
「様子がおかしい?」
俺は口の中のご飯を飲みこんでから、リビングにいる黒猫の様子を確認した。
黒猫は戦いの女神の槍と鎧の前で寝ていた。
前足で両耳を押さえながら、という寝ポーズで。
「前足で両耳を押さえて寝ているということ?」
「違う、違う。そうではない」
戦いの女神は箸で器用に焼き魚の骨と肉を分けながら否定した。
うわっ、俺よりも箸の使い方が上手だわ。
文章力だけじゃなくて、箸の使い方も上達したな。
「じゃあ、なにがおかしいっていうんだ?」
今の黒猫の様子を見ても、前足で両耳を押さえている以外におかしな点はない。
黒猫は普通の猫じゃないからだ
今朝、出勤前に二本足で立ち、いってらっしゃいニャー、と前足を振ってくれたけど、普通の猫じゃないから、おかしくはない。
夕方、帰宅したら二本足でスキップしながら、お帰りなさいニャー、と出迎えてくれたけど、やはり普通の猫じゃないから、おかしくはない。
「待て」
戦いの女神は骨と分けた肉をご飯の上に乗せ、それを味付け海苔で包んで口に入れた。
もちろん、その一連の動きは戦いの女神が箸を使って、だからね。
「美味である」
戦いの女神は咀嚼して飲み込んだ後にそう言った後、
「様子がおかしいというのはだな、精霊がよく眠ることなのだ」
「よく眠ることがおかしい?」
「起きている時間よりも眠っている時間のほうが多い。おかしくはないか?」
「どこが? まったく眠れていないよりはマシじゃないか」
「それはそうだが……」
戦いの女神が納得のいっていない様子で暖かいお茶を飲んだ。
そして、美味である、と言った。
「しかし、やはり様子がおかしい。我が世界の天空の世界に共にいた時は、あれほどまでに眠ることはなかった」
「そうなんだ。じゃあさ、黒猫が天空の世界にいた時の睡眠時間はどれくらいだったの?」
「天空の世界に時間など存在しない。だから、答えようがない」
戦いの女神と黒猫がいた世界の天空の世界には時間の概念がないそうだ。
質問の内容を変えてみよう。
「じゃあさ、黒猫はいつ寝て、いつ起きたんだ?」
「我が寝ている時には見張りのために起きていた。そして、我が目覚めると精霊はほかの精霊に任せ、眠りについた。そして、天空の世界に神々の歌声が響き渡ると目覚め、我と行動を共にした。そして、我が目覚めてから眠り、また目覚めるまで、精霊は眠りに就かなかった」
天空の世界に神々の歌声が響き渡るなんて想像できないな。神秘的過ぎるだろ。
それはともかくとして、戦いの女神の話を整理してみる。
時間の概念がないんだから、睡眠時間という物差しで測るわけにはいかない。
ただ、戦いの女神と黒猫は共に起きている状況で行動することが多かった、ということは事実だ。
「つまり、戦いの女神と黒猫が共に行動することが多かったから、今の黒猫がよく眠っていることがおかしいと感じるわけだね」
「その通りだ。ようやく理解してくれたか」
戦いの女神が大きく頷き、キュウリの漬物を箸で抓み、口に入れて咀嚼して飲み込み、美味しそうに、美味である、と言った。
俺は黒猫のその様子のおかしさに難しく考えることもなく、答えを口にした。
「猫だからじゃないの」
「猫だから?」
「そうそう。猫って、けっこう眠っているらしいよ」
俺はスマホを手に取り、『猫 睡眠時間』でググってみた。
「猫って、一日に平均して十二時間から十六時間くらい眠ってるらしいよ」
「この世界の一日の時間は二十四時間だったな。すると……猫は一日の半分から四分の三も眠っているということか!」
おーおー、計算ができてるな。
文章力、箸の使い方だけではなく、計算力も上達しているな。
「黒猫は天空の世界では精霊だったけれど、この世界では猫。二本足で歩こうが、猫。スキップしようが、猫。人間の言葉を喋ろうが、猫は猫。だから、黒猫がよく眠るということは、おかしいんじゃなくて、普通のこと。だから、心配することはないよ」
俺は箸で焼き魚の肉を骨から乱暴に削ぎ、口の中に入れた。
やべ、けっこう大きな骨も一緒に口に入れちゃった。
ご飯で丸呑みしないと、喉に骨が刺さっちゃう。
「そういうことだったのか。精霊はこの世界に来て、そのように変化したのか」
戦いの女神が茶碗にお茶を注ぎ、茶碗についた米粒を箸で掻き集め、そのまま飲み干した。
いつもながら、それを見て思う。渋いな、それ。
「我もこの世界に来て、変化したことがある。大きな変化は、神念力、否、魔法を使えぬこと、忠義高きシモベが二人に減少したこと、槍で退治する存在がいないことだな」
戦いの女神が槍と鎧を見つめた。
その槍と鎧は、戦いの女神が戦いの女神である証と言っていた。
「忠義高きシモベの二人のうちの一人は俺ですかい?」
「当然であろう」
はっきりと断言しちゃうんだもんな、戦いの女神は。
「それともうひとつ。この世界では女神として奉られずとも、案外、おっさんのおかげで心地よく過ごせるということだ」
戦いの女神の視線が槍と鎧から俺に移った。
その視線に幸せそうな感情が溢れているような気がして、俺はおっさんのくせに照れ臭くなって、茶碗にお茶を乱暴に注ぎ、箸で茶碗についた米粒を乱暴に掻き集め、乱暴に飲み干し……咳き込んだ。
「慌てて飲むからだ」
戦いの女神が可笑しそうに笑った。




