空飛ぶ馬を探して
日本の土曜日の朝、筋肉痛の朝。
昨日の昼の運動だけで筋肉痛になる我が身を憐れみながら、布団の中に潜り込んでいると、戦いの女神が布団をはがしてきた。
「おっさん、起きろ。朝だぞ。外はいい天気だぞ」
俺は耳栓を外し、仁王立ちして見下ろしている戦いの女神を見上げた。
戦いの女神は朝刊のチラシを手にしていた。
「もう少しゆっくりさせてくれ。体が痛い」
「何を申すか。外はいい天気だ。外出日和だ。起きろ」
「ごめん。今日は体が痛くて、散歩に付き合えない。散歩に行くなら、ひとりでどうぞ」
「散歩に誘っているわけではない。これを見よ」
戦いの女神が手にしていたチラシを見せつけてきた。
馬の観光牧場のチラシだった。
入場料が期間限定で値下げされており、今日がその初日だった。
「ここに空飛ぶ馬がおるのだろう?」
「いねえよ」
「ここでその馬を所望致せば、我が手に入るのだろう?」
「入らねえよ」
「我を自家用車で連れていけ」
「えっと……遠いな。車で二時間近くかかるよ。運転するの疲れるって」
「ならば、我が自家用車を運転してやろう」
「免許証がないんだから、運転できねえよ」
「おっさん。昨朝よりも枕元の抜け毛が増えているな。そのように惰眠を貪ると、抜け毛が増えるというぞ」
「嘘だろ、マジで?」
飛び起きた俺は観念し、戦いの女神を馬の観光牧場に連れていくことにした。
連れて行けば、異世界と違い、空飛ぶ馬がこの世界にいないことがわかるだろうし。
論より証拠だ。
外に出ると、秋の高い空が広がっていた。
まさに、天高く馬肥える秋、ですなあ。
「おっさん! 何を突っ立って呆けておるか! はやく自家用車の鍵を開けよ!」
戦いの女神に怒鳴られた。
まさに、天高く轟く戦いの女神の怒声、ですなあ。
「いま鍵を開けるから、ドアを拳で叩かないで」
俺は戦いの女神を助手席に乗せて出発し、二時間近くかけ、馬の観光牧場に到着した。
休日とチラシの効果があってか、駐車場はほぼ満車だった。
朝早く出発したから車を止められたものの、のんびりと出発していたら、どうだっただろう。
俺は戦いの女神に入場チケットを渡しながら、こう注意した。
「いいか。馬を驚かすようなことはするなよ。今朝のように大きな声を上げるな。昨日のように走るな。馬を拳で叩くようなことはするな。ここでは馬が主役なんだ。だから、絶対に駄目だからな」
「わかっておる。案ずるな」
入場後、案内看板の示す道順通りに進んだ。
柵を隔てて広がる草原に馬たちが思い思いに寛いでいた。
空飛ぶ馬はどれかと目をキラキラさせる戦いの女神をよそに、俺は癒された。
天高き秋の青い空。秋風にそよぐ草原。
思い思いに寛ぐ馬たち。そんな馬たちを楽しげに眺める入場者たち。
その光景に仕事の精神的な疲れが癒されていく。
「空飛ぶ馬はどれだ?」
「この世界には空飛ぶ馬はいないんだよ」
「……どうした? そんな腑抜けな顔をしおって」
「この世界に空を飛べる馬がいなくてもいいじゃないか。空を飛べない馬がただの馬。それでいいじゃないか」
「何を申しているのだ? 申している意味がわからんぞ」
「今日、ここに連れてきてくれて、ありがとう。俺、月曜日からの仕事に頑張れるよ」
「我は自家用車に乗せられて連れて来られたのだが……なんだかキモいぞ、おっさん」
癒された俺をよそに、戦いの女神は空飛ぶ馬を探し出して手に入れたかったらしい。
空飛ぶ馬はどれか、とあちこち訊きまくっていたが、返ってきた答えはひとつだった。
「おっさんの申す通り、空飛ぶ馬はおらぬようだ」
「この世界に空飛ぶ馬がいなくてもいいじゃないか。会社になんでも仕事のできる社員がいなくてもいいじゃないか。俺が上司に言われた全ての仕事を完璧にこなせなくてもいいじゃないか。そうだろ、戦いの女神」
「さっきから申している意味がわからぬ」
戦いの女神がそう言って連れてきたのは、賑やかなゲームセンター。
ゲームセンターに連れてきた理由は、賑やかな場所で休ませれば正気に戻るかもしれぬ、とのことだった。
椅子に座らされると、目の前にアーケード競馬ゲームがあった。
馬の形の装置に乗り、手綱を引くようにレバーを引くゲームだ。
気味悪そうに俺を見つめる戦いの女神に硬貨を渡す。
「そのゲーム機の馬に跨り、空を飛びなさい」
「これで空が飛べるのか?」
「そこの操作方法の説明書をよく読み、お金を入れて、気持ちだけでも空を飛びなさい」
「……承知した」
戦いの女神は操作方法の説明書を読み、お金を入れ、ゲーム機の装置に跨った。
ゲームが終わる度に俺は硬貨を渡した。
気味悪そうに硬貨を受け取ってゲームを再開した戦いの女神であったが、そのうちに本当に空飛ぶ馬に跨って走らせる気分になったんだろう。
片手でレバーを引きながら、残る片手で槍を振り回したり、突き刺したりする仕草を見せた。
その騎馬隊のような後ろ姿を見て、脳裏に浮かんだね。
鎧を着た戦いの女神が空飛ぶ馬に乗って空を飛び、槍で戦う勇ましい姿を。
冒険者たちよりも先に魔王を倒してしまう様子を。
帰宅途中、俺はハンドルを握りながら興奮気味の戦いの女神にこう尋ねた。
「気持ちだけでも、馬に乗って空を飛べたか?」
戦いの女神は何度も拳で俺の太腿を叩きながら、こう答えた。
「空飛ぶ馬とともに空を駆けた気になった。感謝するぞ、おっさん」




