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Vampire teller  作者: リタ
序章:吸血鬼騒乱編
9/32

名前のない怪物 3

【科学者の絶望】


「――――葉月が、フランケンシュタインの怪物?」


「怪物なんて呼ばないで」

 葉月は私の手を握る力を強める。怪物だなんて呼んでしまったから気を悪くして当たり前だ。

「ご、ごめん。なんて呼べばいいかわかんなかったから」

 謝罪とそんな言い訳をすると、少しだけ手を握る力が弱まった。ソフィアが名前のない怪物と呼んでいたから、もしかしたら怪物以外に呼び方はないのかもしれないけど。

「花月は、私のこと探してたよね。目的は何かなぁ?」

 葉月はあの夜のことを言っているのだろう。私がフランケンシュタインの怪物、もとい葉月を捜していたのは、噂に聞くフードの人がファミリーが捜す【人類を滅亡させる可能性がある神様】かどうかを確かめるためだ。

 そうだ、そのことを聞きたかった相手は、目の前にいる。

「また会えて良かった」

「……答える気はないの?何が良かったのかなぁ」

 また怒らせてしまったのか、ひときわ力が強まる。このままでは手を握りつぶされそうだが、私は吸血鬼なので問題ないだろうな。すごく痛いだろうけど。

「あなたを捜していた、というよりはあなたが捜している人なのか確認したかったんだよ」

「それは、あの夜言ってた神様のこと?」

「うん、そうだよ」

「……【人類を滅亡する可能性のある新しい神様】のこと?」

 葉月の言葉に驚くが、そういえば神様はかなり危険な存在のようで、ほぼすべてのイディアの書にその存在が記載されているのだった。私のソフィアにはないけど、葉月の持つイディアの書に記載があっても不思議じゃない。

「そうだよ。新しい神様を捜してた。夜に不良狩りする不審者なんて、調べないわけにもいかないでしょ?」

 葉月は私の回答に納得してくれたのか、私の手をやっと離した。

「私はその神様じゃないよ~。それと、私も捜してたの」

「葉月も神様を捜してたの?もしかして、人を襲っていたのはその一貫で?」

 頷く葉月は、パラパラとイディアの書を捲り、私に本を開いて見せてくれる。開かれた1面びっしりと文章が書かれており、葉月がそのうちの1行に指をさした。

【イディアの書所有者を捜しだし、その正体を突き止める。】

 そう書かれた葉月のイディアの書には、具体性はなく、これだけでは何のことなのかわからない。

「ごめん、これだけだと誰を捜してるのかわかんないや」

「私はこの街で神様と称される者を捜すように上から命じられているからぁ、この記載が神様(笑)のことを示してると思うの」

 上から命じられてる、か。葉月も私がファミリーの一員であるように、何かしら組織に入っているのかもしれない。

「イディアの書は、所有者の物語が書かれている。そして所有者は物語の登場人物として不思議な力を持つ。逆に言えば、物語の登場人物っぽい人はイディアの書を持ってる可能性がある」

「それって、登場人物っぽい人を総当たりで襲ってたってことだよね?」

 葉月は「そうだよ~」と悪びれもなく頷いた。襲われたけどイディアの書を持っていなかった人、可哀そうだと思う。

「それで、私にそんなに教えてくれるのはどうしてかな?」

 いくら友達とはいえ、イディアの書の中まで見せてくれるのは不思議でならない。何か思惑があるはずだ。私はそういうのは誤魔化さないで素直に聞いてしまった方がすっきりするので、そのまま問うことにした。

「それは、まだ言えないけどぉ。花月とはこれからも仲良くしたいというのが私の本心だよ~」

 本当の目的は教えてくれないけど、私も葉月とはこれからも友達でいたいと思うので、その言葉を受け入れることに決めた。

「うん、私も葉月とは友達でいたいよ」

「良かった。じゃあ、放課後にまた旧校舎に来てねぇ?」

 そう言いながらいつものように可愛い笑顔を浮かべ、イディアの書を背中に持っていく。もうすぐ次の授業の時間になるので、話はここまでで切り上げることにした。そして誘ってくれたのだから、放課後は葉月のことが聞けるのだろう。もちろん、私のことも話したい。

「あ、ちょっと待って」

 私に背を向けてこの場から離れようとした葉月を呼び止めて、私は言葉を続ける。どうでも良いけど、イディアの書が見当たらないけどどこに収納したのだろうか。

「なにかなぁ?」

 振り返る葉月に対して、さして言葉を選ばずに告げる。

「葉月は可愛い笑顔も似合うけど、怒ったり真剣な表情も美人ですごくかっこいいよ!」

 それは本心で、いま言うのは葉月的には嫌味にも聞こえてしまうかもしれない。でも、伝えたかった。だって、伝えないと伝わらないのだ。

 葉月は驚いた感じで目を開きつつも、すぐにいつもの笑顔を浮かべる。

「気持ち悪いと思わないんだね?」

 自虐的に、皮肉混じりで言われたが、本心しか言っていない私は簡単に答える。

「思わないよ」

 私の答えを聞いて、完璧な笑顔から困ったような笑顔に変えてから、葉月は昇降口とは反対の方向へ姿を消した。


 放課後、ホームルームを終えてすぐに葉月は声をかける間もなく教室を出ていった。追いかけて旧校舎の昇降口まで来る。本来なら靴を履き替える場所になってるだろう段差を土足のまま跨ぎ、本校舎ほどではないとはいえ、そこそこ広いこの建物のどこに葉月はいるのだろうかと悩む。

「姉さん、こんなところでどうしたんですか?」

 背後から声をかけられて振り返ると、弥生ともう一人、弥生よりも身長が低く極めて明るい茶髪の女の子が立っている。

「こんにちわ。弥生こそどうしたの?」

 私はまず弥生と一緒にいる子に挨拶をしてから、なぜ中等部の弥生が高等部の敷地にいるのか尋ねた。

「私は授業の一貫です。あ、この子は私のクラスメイトで井之上さんです」

「どうも」

 紹介されて、井之上さんはそっけなく頭を下げた。上級生を前に緊張している、というよりは単純に私に興味がなさそうだ。弥生の友達なら仲良くしたいと思うが、紹介の仕方がクラスメイトだったので、もしかしたら課題でペアになっただけということもありそうだ。

「妹がお世話になってます。じゃあ、弥生。お姉ちゃんは用事があるから帰りが遅くなるからね。」

「はあ、また無茶しないでくださいね?」

 もちろん、なるべくなら弥生には心配かけたくない。大切な友達と特別な話をするだけなので心配させるようなこともないのだけどね。

「うん、弥生も気をつけて帰ってね」

 2人をおいて、私は2階へ上がっていく。もしかしたら葉月は体育のときと同じ場所にいるかもしれない。

「楠瀬のお姉さんって身長高くて――――」

 吸血鬼の鋭い五感で下の階にいた井之上さんの声が若干聞こえた。私の身長が高くてなんだったのだろうかすごく気になるが、戻るのもなんだか会話を盗み聞きしてたようになるのでやめておく。あとで弥生に聞いてみよう。

 自分の噂話というか、もしかしたら影口かもしれないが、気になってしまうのは仕方ないよね。

「も~、花月やっときた」

 やはり体育のときと同じ、窓からグラウンドが見える長い廊下で葉月は待っていた。葉月が先に行ってからそんなに時間は経ってないはずだが、それほど私との会話を楽しみにしていたと受け取っておくことにする。

「それで、何から話そうか。私がなんで吸血鬼になったのか、とかから始める?」

「あ、それは知ってるからいいよぉ」

 なんでもないように葉月に言われたが、なんで知っているのか。絶対に知られたくない秘密というわけでもないが、誰もが知っていて良いことでもない。

「あの双子の吸血鬼は、イディアの書所有者たちの中でも飛び抜けて影響力があったからねぇ。レイカ・ヴァレンタインの血族なんて注目されないわけないよ~」

 言葉には出していないが、葉月が私の疑問を察して答えてくれた。なるほど、確かにレイカはヴァレンタインファミリーなんていう吸血鬼の集団のリーダーなんだし、私がその血族なら注目されるのも仕方ない。ところで葉月の言う血族って、たぶん普通の意味ではないよね。

「……個人的にも、花月には注目してたしねぇ」

「それはどういう理由で?」

「まあ、そのうち、ね?それよりも、花月に来てもらったのはお願いがあったからだよ~」

 葉月の雰囲気はいつも通り柔らかく、先ほどのようなピリピリと張り詰めたような緊張感はない。この雰囲気なら、良くないお願いではないと感じる。友達のお願いはなるべくなら応えたいし、そのお願いとは何か聞いてみることにした。

「私にできることなら良いけど、一応私もファミリーの一員だから考慮してね」

「もちろん、わかってる」

 葉月は話しつつ廊下を歩き出す。向かっているのは旧校舎の昇降口とは反対奥で、確か物置扱いの教室しかない。

「私はちょっと過激な組織にいるんだけど、その組織の思想とか目的とか、ちょっと合わないんだよねぇ」

「合わないっていうのは、葉月自身は別の目的があるってことかな」

 それはとても共感できる。私もファミリーには属しているが、ファミリーの目的であるアリスへの復讐については、私としてはあまり良いものではない。ファミリーのメンバーがアリスの被害者であることは事実なので復讐をやめろとは言わないが、私はアリスのことを恨んでないし、許しているし、なんだったらアリスには幸せになってほしいと願っている。ファミリーを利用してアリスを見つけ出そうとすらしているくらいだ。

「目的らしい目的は私にはないけど、組織の目的には共感できない。でも抜けられない理由もあるんだよねぇ」

 廊下の突き当たり、1番奥の教室の扉を開いて中に入る。埃っぽいが、物はあまりなく物置っぽくない。

「ここは内側から鍵かけれるからナイショの話がしやすいんだよ~」

「1番奥だから人も滅多に来なさそうだね」

 葉月に続いて入った私は教室の扉を閉めて鍵をかける。「も少し警戒したら?」と呆れたように葉月に言われたが、信用しているので2人きりになっても問題ない。

「それで、組織から抜け出したいから、手伝ってほしいとか?」

「うーん、私は抜け出すのはいつでもやろうと思えばできるから」

「あれ、そうなんだ。……私は?」

 葉月の言葉に引っ掛かり、気になった部分を復唱する。

「そう、私は。でも、私の大事な人はそう簡単にはいかないんだよねぇ」

 笑顔を曇らせて、葉月はどこか悔しそうに教室の窓から外を眺めている。

「だからね、花月にはその人を助けてほしいんだ~」

「助けると言っても、何をすれば良いのかな。私は喧嘩は苦手だし、経済力もないし、ファミリーでは新人だからね?」

「いや、私を撃退しておいて苦手も何もないよねぇ。まあ、いいや。花月にしかできない手助けが実はあるんだよ~」

 撃退なんて言うほどのことではない。ソフィアに言われるがまま爪を振るっただけだ。魔力の操作もタイミングもソフィア任せで私は何もできなかったのだ。

「私にしかできないこと?」

「イディアの書、花月も持ってるよね」

 葉月はどこからともなく、葉月のイディアの書を取り出す。私も取り出せということなのだろうと察して、鞄の中からソフィアを出した。

「持ってるけど?」

「羨ましいなぁ。私にはできない、特別なイディアの書なんだから」

 葉月の言葉に心臓が跳ねる。この娘は確かに、他のイディアの書にはない自我がある。私の目的を叶えるために協力し頑張ってくれる特別な娘だ。

「花月のイディアの書、人の形を取れるよね?意思があるのかなぁ。それとも、実は花月が神様(笑)なの?」

「いやいや、ちょっと待って?確かにソフィアは人になれるけどそれは夢の中だけだし、私は神様でもないから。そもそもなんでソフィアに自我があることを葉月は知ってるの?」

 葉月は自分の予想が当たって嬉しいのか、柔らかそうな可愛い笑顔をまた浮かべる。

「名前つけてるんだ。やっぱり意思があるんだねぇ。でも、夢の中って何の話?」

 話が少しだけ噛み合っていないようなので、葉月にもう少し詳しく聞いてみることにする。

「ソフィアとはいつも夢の中で会ってるんだよ。現実世界だとソフィアは本だもの。葉月はなんでソフィアが人の姿になれるって気づいたの?」

「気づいたんじゃなくて、見たんだよ~。偶然、公園で吸血鬼が私の友達を刺し殺したところを」

「刺し殺したって言うのは……」

「あの双子の吸血鬼が、私の友達の花月を刺すところ、本当にたまたま見たんだよ。神様(笑)を捜すために夜中にいろんなとこ散歩したんだもん」

「あれは、まあ、私が割り込んだんだけどね」

 アリスと別れることになった、アリスとレイカの姉妹喧嘩の日だ。確かに外で、しかも住宅地の公園だったのだから、普通は目撃者がいてもおかしくない。

「花月はもっと怒ろう?胸に大きな穴空いてて、遠目からでも心臓が潰れてたのがわかったよ~?」

「ええ、私ってそんな状況だったんだ」

 吸血鬼の弱点は心臓のはずだけど、私はなぜそれで生きていられたのだろうか。

「あれ、もしかして花月は自分で気づいてないのかな?確かに、気を失ってたもんねぇ」

「え、何の話?」

「花月が倒れたあと、イディアの書が光って、人の形に変化したんだよ~。それで、不思議な力で花月を治したんだから。あれは吸血鬼の能力じゃないよねぇ?」

 私は葉月の言ったことが数秒理解できず、言葉を失う。手に持つソフィアに視線を落とし、やっと声を出せた。

「ソフィア、やってみて?」

 その一言でソフィアは眩しく光り、私の手の上から離れて空中で人の姿へ形を変えていく。それと並行して私の体は言い知れぬ脱力感に苛まれ、やがていつも夢で会っているときの姿になったソフィアが教室の床に足を着くのと同時に、近くにあった段ボールに寄りかかった。

「……ソフィア、こっちでもその姿になれたんだね」

「肯定。でもマスターの魔力が著しく消費されるからやらない。あのときはマスターが死ぬ可能性が高い緊急事態だったからイディアから無理矢理エネルギーを取って実体化した。普段はマスターの魔力暴走を危惧してできない」

 淡々と聞いたこと以上の答えをくれる。普段は私のことを思って人の姿をしないんだね。

「私が生きてるのはソフィアのおかげなんだね、ありがとう」

 うまく動かない体に鞭を打って、ソフィアに感謝の気持ちを込めて頭を撫でてあげる。ソフィアの固い表情筋が少しだけ柔らかくなった。

「やっぱり、本から人になれるし、潰れた心臓も治せる。これならあの人を助けてあげられる!」

 葉月が涙を溢しながらソフィアのことを観察する。悲しいのではなく、台詞から汲み取ると嬉し涙のようだ。

「否定。私は吸血鬼の治癒能力を応用し、魔力……改め、イディアのエネルギーを物質化させた。吸血鬼の治癒能力が影響を与えるのはマスターの体と、マスターのイディアの書である私の体だけ。第三者を治癒させることは不可能」

「そんなっ! 吸血鬼の治癒能力の原理でどうにかならないの!? 細胞の活性化とか!」

「小さな傷を治癒する程度なら可能だが、吸血鬼の能力は全般、血に関係がある。だから吸血鬼の血を持たない者に対して心臓のような大きいものを形成するとなると不可能。吸血鬼の血には吸血鬼じゃない者にとって毒性が強い」

 葉月はソフィアの答えを聞いてその場に座り込む。ソフィアは告げるだけ告げたあと、私に抱き付いてから、私の腕の中で眩しい光をあげ、元の本の姿に戻った。ソフィアが本に戻っても私は体がダルいままだったが、本に戻ったソフィアが調整してくれたのか、少しずつ魔力が回復してくる。

「私に助けてほしいって言ってた人は、ひどい怪我をしてるの?」

 声を出さずに泣いている葉月に、状況を教えてもらうために聞いてみる。葉月は何も言わずに立ち上がり、おもむろに制服の上着を脱ぎ始めた。ボタンを外した首筋に痕を見つけ、少しずつ現れるその痕の酷さに目を覆いたくなる。

「私の体は、病気と『ひどい事故』によってボロボロのバラバラだった。心臓も何度も止まったし、機械に繋がってないと呼吸すらできなかった」

 スカートとインナーも脱ぎ、可愛らしい薄青のブラとパンツのみの姿になった葉月の体は、全身に傷痕や手術痕、火傷のような肌の変色、薄皮1枚中には液状化してるのではないかと思えるような内出血がある。

「お姉ちゃんがどうにか繋ぎ止めてくれた体と、イディアの書から得られるマナで私は何とか生きていられるの」

「お姉さん……が、葉月の助けたい人なんだね」

「そうだよ、お姉ちゃんは私が生き延びれるように頑張ってくれたんだぁ。自分の心臓までも私にくれた」

「え、心臓って……」

「私の心臓は死んじゃったから、お姉ちゃんがくれたの。でもお姉ちゃんは死んでないよ?組織が代わりのものを用意したから。そのせいでお姉ちゃんは組織の言いなりで、組織にいないとお姉ちゃんは殺されちゃう。だから、花月の能力で助けてもらおうとした、の……に――――」

 その姿のまま、また座り込んでしまう。よく見れば、先日私が爪で斬った傷痕もお腹に残っていた。

「私さえいなければお姉ちゃんは心臓を失くさなかったし、組織に入らないで有名な外科医にもなれた。こんな、私なんて。」

 涙を流しながら笑顔を私に向ける。

「気持ち悪いよねぇ?汚いよね、触りたくないよね、こんな姿のためにお姉ちゃんは……こんな姿まるで――――」

「葉月っ!!」

 私は葉月の体を優しく抱き締めて、その言葉を無理矢理遮った。

「何度でも言う。私は気持ち悪いなんて言わないし、思わない!怪物って言っちゃったのも謝るよ。だから、葉月も言わないで。お姉さんがくれた大事なものなんだからっ!!」

 あまり力を込めてしまうと、破れてしまいそうだ。でも、なるべくなら全身包んであげたい。葉月に教えてあげたい。あなたには私がいること。自分の心臓をくれるほどに愛してくれるお姉さんがいること。桃子や幸だっている。弥生だってあなたとは仲が良いじゃないか。フランケンシュタインの怪物とは違い、あなたは孤独ではない。

「――――助けるよ。今は無理かもしれないけど、お姉さんも葉月も、私は助けたい」

『マスター。マスターの目標は吸血鬼の双子――――』

 アリスも助ける。レイカも、葉月も、葉月のお姉さんも。

『マスター、まだマスターでは運命に逆らえない。名前のない怪物の運命も、怪物を産み出した科学者の運命もこのままではどうしようも――――』

 運命なんて知らないよ。もし助けるのを運命なんかが邪魔するなら、私はその運命を【許さない】から。

『……マスターは、イディアの意思に逆らうつもり?』

 イディアの意思っていうのがなんなのかは知らない。それって管理人さんのことかな。それとも別の人かな。どっちでもいいか。でも、そのイディアの意思というのが邪魔をするなら、【許さない】。

『……マスターは、怒らない人だと思っていた。認識を改める。そして、私はマスターの意思に従う。マスターを邪魔する運命も、イディアの意思も、何もかも【許さない】』

 そうだね。私は、私の望む目標を、つまりはハッピーエンドを迎えるために頑張るよ。手伝ってくれる?

『肯定。私はマスターのために方法を見つけ出す』

 そっか、ありがとう。ソフィア。

 私は決意するが、結局いまの私にできることなんてない。夢の中で魔力操作を覚えたり、能力を練習するくらいだ。それでも、いずれ必要になるのかもしれないなら努力は惜しまない。

「花月、ありがとう」

 私の腕の中では葉月が消えそうなか細い声でそう呟く。葉月が泣き止むまで、私は抱き締め続けた。


 葉月が泣き止み、帰り支度を済ませた頃にはすっかり暗くなっていた。葉月は「ありがとう。また明日ねぇ」といつもの柔らかい雰囲気に戻っていたが、まだ少し心配だ。メールで神様捜しを一緒にやろうと誘い、互いの集めた情報を近々共有しあうことになった。そのときは葉月から一方的に話を聞くことにならないように、ヴァンさんやエミリーから話を聞いて、自分でも噂なんかの些細な情報も逃さないようにしよう。

「ソフィア、これってあってるかな?」

「肯定。操れるようになってきている。頑張れー」

 棒読みぎみだが、応援してくれたソフィアに応えるために、手のひらに広がる血を操るイメージで魔力を操作する。

 いま、ここは夢の中だ。いつものように魔力操作の練習をしているのだが、きょうはもうすごい長い時間練習し続けている。いつもは集中力が切れたらやめて、少しソフィアと雑談してから起きるのだが、きょうは集中力がきれても休憩して、また再開するというのを繰り返している。

 そのおかげで魔力の操作はかなり上達したので、次のステップとしてヴァンさんが見せてくれた血を操る能力を練習し始めた。

「ところでさ、この夢の中ってどうなってるのかな。もう何時間もいる感覚なんだけど、私って寝坊してないよね?」

「ここは超越界だから、時間の概念はない。いつでも今。マスターは夢を介して精神をこちらに飛ばしているから寝てるときに来れるが、夢でもなんでもないので現実の時間経過は気にしなくても良い」

「え、初耳なんだけど。ここって時間止まってたんだ」

「止まっているのではなく、時間がない」

 よくわからないけど、いつまでも練習できるってことだよね。

「そういえば、気疲れはするけど体が疲れてる感じはしないね。眠くもならないしお腹も減ってない」

 私は知らず知らずのうちに、便利な不思議空間に来て、さらにはそこで魔力の練習をしていたようだ。

「マスター、精神は疲れるから無理は駄目。少し休んでお話しよう」

 私は先ほどから集中力が続かなくなっていた。精神の疲れとはこういうことなんだろう。ソフィアの隣に座り、一息つく。きょうの風景は水辺に広がる田舎の街といった感じだ。むかし少しだけ住んでいたオランダの風景に似ているが、風車がないのは不思議な感じだ。

 水辺のベンチでソフィアと2人座っていると、お弁当を膝にのせてピクニックを楽しみたい気分になる。お腹は空かないけど、気分的にお腹が空く。まあ、いまソフィアが広げているのは大量の本なんだけど。

「何を読んでるの?」

「マスターが過去に読んだ本を記憶から再現して本にした。いまは『運命を変えろ~人類最大の謎~』を読んでいる」

「なにそれ、私そんなの読んだことないけど?」

「マスターの妹が読み聞かせていた」

 たぶん、ほとんど話を聞いていなかったというか、聞き流していたのだろう。本を開き興奮ぎみに本で知ったことを話す弥生の姿が目に浮かび申し訳ない気持ちになった。

「この本によれば、運命を変えるには熱い情念と努力が必要」

「たぶんそれオカルト本だから参考にならないよ?」

「『運命を変える方法は、別の運命になるように導くこと。落ちる林檎を矢で射れば、軌道を変えることができる。』とあるが、これでは落ちる運命は変わってない」

「それっぽいこと書きたかったんだよ。落ちる林檎を矢で当てるなんてすごいこと私にはできないよ」

 熱い情念と努力の話からどうして林檎を矢で射る話になったのか。本の内容に呆れている私だが、ソフィアは真剣に考察を始める。

「林檎を矢で射ても、林檎の状況が変わるだけ。矢が刺さっているか、林檎が砕けているの違い」

 そんなに考えられるような情報量なかったと思うけど、考え込んでいるソフィアは可愛らしいので微笑ましくその姿を眺める。このままほのぼのしていたいけど、運命に抗う方法を考えなきゃいけないので、前から気になっていたことを質問していみることにした。

「ソフィア。教えてほしいことがあるんだけど、なんでイディアの書に書いてある運命に逆らうと苦痛を味わうの?」

 ソフィアは「わかった」とうなずいて、本を読むのをいったん中断して閉じ、私に向き直した。

「まず、イディアの書について、イディアの書は所有者の運命が記載されているが、この運命というのはほとんどがイディアの意思が決定している」

「ごめん、イディアの意思ってなに?」

 葉月といたときもイディアの意思という言葉が出てきていた。イディアって精神世界とかいうものの名称だったはずだ。世界の意思ということになるのだが、それがどういうものか理解できていない。

「イディアが世界の名称というのは正解。しかし、世界の名称であると同時に、世界の運命を決める存在の名称でもある。わかりやすい言い方をするなら、イディアの意思は【神】のこと。ただし、マスターが最近捜索している神様とは全く別の、本物の【神】のことを指す」

「つまり神様のことなんだね。その神様が私たちの運命を決めているから逆らえないのかな?」

「否定。イディアの意思が定める運命には強制力はなく、あくまでも未来のひとつでしかない」

 私が勝手に理解していると、ソフィアはそんなことを言う。しかし、イディアの書には強制力があるという話ではなかっただろうか。逆らおうとすると苦痛が生じるのだもの。

「イディアの書を持つ者は、イディアからイディアの書を通じて現実世界には存在しない強大なエネルギーを得ることができ、それによって人体の構成を変え、一般的に超能力や魔法と呼ばれる能力を発揮することができるようになる」

 ソフィアはまた別の説明を始める。きっと必要な説明だと思うので私はなんとか理解しようとするが、なんとも理解力が追い付いていない。

「つまり、イディアにはすごい力があって、イディアの書を通してそれを貰ってる」

 すごい要約してくれてなんとかわかった。そのすごい力っていうのは魔力のことで、私もイディアから魔力をもらうことで吸血鬼の能力を使えるということなのか。

「イディアが決めた運命は、イディアの書所有者がそれに抗おうとする意思を持たなければ自然とその通りの未来になる。抗えば運命を変えること自体はできるが、変わった未来は抗う前と類似した運命になるしかならない。その理由は、他の運命と辻褄を合わせるためイディアの意思がそうなるように調整するから」

「えーっと、それってけっこう絶望的だね?」

 運命を変えたくて頑張ったというのに、変わった未来もけっきょくは元の運命に近いものになってしまうなんて、頑張った意味がなくなってしまうじゃないか。いや、その頑張りすべてを意味がなくなるとは思わないけど、未来がバットエンドだから変えたかったのにハッピーエンドにならないのは絶望的で心が折れちゃうかもしれない。

「アリスはいまも頑張ってるのかな……」

「……肯定。何度乗り越えても変わらない運命に、何度も抗っていると推定。イディアの書を所有する者は本来の人間なら得られないはずの莫大なエネルギー、つまりは魔力を得る代わりに、それを常に発散しなければいけない。イディアの書に記載のある運命の通りに過ごすのなら、それだけで魔力の発散になる。そうなるようにイディアの意思はイディアの書を人間に持たせて世界を廻している。しかし、イディアの書所有者が運命に抗う行いは、イディアの意思が組み込んだメカニズムに反するため、魔力の発散ができなくなる。そのうえ、新しい運命に書き換えるためにイディアの書へさらに魔力を送り込むことになる。運命に抗うことで一時的に魔力過多となり、苦痛を伴うことになる」

「それが苦痛を味わう原因なんだね」

 魔力がいっぱいになりすぎて、体がつらい状態なんだ。それなら、魔力を使いながら運命に抗えないだろうか。夜目や爪を発動しながら、イディアの書に書いてあることに逆らうようにすれば良い。けっきょくハッピーエンドの未来に変えることはできないかもしれないけど、苦痛を味わうことはなくなるはずじゃないだろうか。

「肯定。魔力をうまく操れれば魔力過多になってもすぐに発散できる。それが吸血鬼の姉にできるのなら良い。しかし大抵のイディアの書所有者にはそこまで繊細な操作は不可能。マスターは心臓を意識的に止めることができる?」

「え、心臓止めないといけないようなことなの!?」

「否定。例えばの話。吸血鬼の従者も言っていたが、魔力のほとんどは無意識で操作するもの。マスターも魔力を感じ取り、身体のどこかに集めるように操作する程度なら意識的にできるが、平常的に身体中を勝手に流れている魔力は血液と同様に意識的に動かしているものではない。それを意識的に行える存在はこの世にイディアの意思しかいない」

 普通は心臓を動かして身体中に血液を送ろうとするのは身体が勝手にしていることだ。それを無意識でしているというのはなんとも違和感があるが、心臓を止めるくらいのことができなければ運命に抗う時にいっぱいになる魔力を発散できないらしい。

「心臓は正確には自立神経で動いている。例えばの話。わかりやすくしただけで着眼点はそこではない」

「あ、そうなんだね」

 ソフィアがとても不服そうに説明をつけたしてくれた。私のためにわかりやすく説明してくれて本当に助かる。ここまでの話をまとめると、イディアには神様がいて、この神様が運命を決めている。運命の通りにしないと魔力が多すぎて苦痛を生じるということだ。しかも運命に抗ってもけっきょくは似たような運命にしかならない。

「あれ、強制力はないんじゃなかったっけ?」

 先ほどのソフィアは説明の中で『イディアの意思が定める運命には強制力はなく、あくまでも未来のひとつでしかない』と言ったが、運命に抗っても似た運命になるなら、けっきょくその運命を強制されていることになる。

「運命が似たものになるのは、他の者の運命と辻褄を合わせるため。吸血鬼の双子は互いの運命に多くの共通点を持つので、2人のイディアの書の記載に矛盾が生じることはあってはいけない。妹のイディアの書に『姉はマスターを殺す』と記載があるのに、姉のイディアの書に『姉はマスターと仲良し』と書いてあるのは矛盾する」

「ということは、アリスだけではなくてレイカのイディアの書も書き換わる必要があるんだね」

「双子だけではない。吸血鬼の双子は多くの者とつながりがある。マスターが所属する組織の者たちもそうだし、もっと多くの人間が双子と関わってきたなら、そのすべてのイディアの書が書き換わる必要がある。イディアの意思にそれらを同時に書き換えることはできない」

「神様でも不可能があるんだね?」

「神はわかりやすい例え。イディアの意思は人からすれば超常的存在ではあるが、万能ではない」

 矛盾を起こさないために運命はあまり変えられない。私がアリスに殺されないず、一緒に仲良くいられるには関わるイディアの書を焼いて回るしかないのだろうか。

「マスター、怖いからやめて。そもそもイディアの書は燃えないし、破れないし、壊れないけど」

「いや、ソフィアにはやらないよ! こんなかわいい娘に危害を加えるわけないじゃない!?」

 ソフィアが身を抱いて私から少し距離を置こうとするので、慌てて否定して頭を撫でる。「冗談」と言って撫でるのを受け入れてくれたので、ソフィアもお茶目だなと安堵する。表情の変化はあまりないが、撫でて喜んでくれているのがわかる。

「マスターの目標を達成する方法は今後も検索する」

「うん、ありがとう。私も方法を考える————のはあまり役に立たないかもしれないから、なにかヒントになるようにいろいろ調べたりするね」

 そう言って、血を操る練習に戻ろうとすると、ソフィアが私の服を引いて止める。だいぶ休めたので練習再開しようとしたが、まだ心配をかけているのだろうか。私はそんなに弱くはないと自負しているのだけども。

「名前のない怪物について、マスターが物語を知る権利を得た」

「名前のない怪物って、葉月のことだよね。アリスやレイカと同じように、葉月の物語も覗き見できるの?」

 ソフィアは「肯定」と言って見慣れた表紙の本を1冊私に渡してくれる。アリスとレイカのときは、2人と深くつながったから見れるようになったと言っていたが、今回も同じように葉月と深くつながったのだろうか。つながるってどういうことなんだろうか。

「心が通じ合うとか、そういうことなのかな」

「イディアを通じて、他人と繋がること。互いに互いを意識すると、無意識でも相手のことを理解しようとして、イディアでのつながりを深くする」

「じゃあ、相手のことを好きになれば良いんだね!」

 葉月は前々から大事な友人だったが、同じようにイディアの書を持っていたり、葉月のことを知れたりしたから、私は無意識でも葉月のことを知りたいと考えていたようだ。

「葉月の物語を読めば、葉月とお姉さんを助けるヒントが得られるかな?」

「肯定」

 それなら、読ませてもらおうかな。


 ごくありふれた家庭に生まれた少女は、父親の背中を見て医者となる夢を持った。父親は優しく、どんな患者に対しても平等に接し、務めていた病院でも大勢の人物から慕われていた。

 少女は体が病弱で、幼い頃から入退院を繰り返していたため、そんな父親の姿を見て青春を過ごした。そして少女は医者となり、自分と似た境遇の患者を救いたいと自然と思うようになった。

 少女には姉がいた。歳の離れた姉も医者を目指しており、入院している少女の下へ来ては勉強を教えてくれたり、大学での出来事を話したりして、少女ととても仲が良かった。そんな姉や、母親も少女のことを大切に想っており、誰が見ても幸せな家族であった。

 そんな幸せそうな少女は心臓の病気を抱えており、その命は長くなく、彼女が薄命であることは彼女の主治医であった父親がよく理解していた。

 父親も幼い頃は身体が弱く、同じ境遇だった少女のことを誰よりも愛し、それはそれは献身的に少女のことを看病していた。病的なほどに娘を愛し、過保護と言い表すにも言葉が足りないほどのものだった。そんな父親は愛娘の死の運命を受け入れることができなかった。

 父親は最悪の結末を決めた。愛する娘を唯1人だけ天国へ向かうことはとても寂しいことだと、皆で一緒に行った方が良いと呪われたように思考し、心中することを選んだ。

 家に火をつけて一家心中しようとした父親だったが、少女の姉が火事にいち早く気づき、少女を連れて火事から逃れたが、少女は全身に火傷を負い、心臓の病もあって死を迎える寸前であった。

「私が絶対助ける」

 姉は多彩な知識と大学での研修で、すでにとある組織と関わりを持っており、父親を超える名医となっていた。その腕と組織の力によって、自分の心臓を使い少女を生き延びさせた。

 しかし少女は、かつての可愛らしかった姿を取り戻すことはできなかった。組織の手によって改造された少女はただ生きるだけの醜い人形となった。

 包帯に包まれた少女はベッドに横たわり長い期間の中で何度も考えた。

 少女は恨んだ、姉の心臓を奪った自分自身を。

 少女は恨んだ、駆け回ることもできない貧弱で崩れた身体を。

 少女は恨んだ、両親を失うことになった運命を。

 少女は恨みの力と、組織の手によって名前のない怪物となった。


 目が覚めると、心が重たい感覚があった。体はすっきりしているけど、気持ち的にすごく疲れている。かなり長い時間、夢の中で練習してたし、葉月の物語を読んだからこんな気分なのかもしれない。

 きょうは夜に葉月と公園で会う約束をしている。お互いに情報を共有して、神様を捜す協力者になろうと思う。それから、私の個人的な目標が増えたから、葉月とはいままで以上に親しくなっておかなければいけない。

「姉さん、体調が悪そうですが大丈夫ですか?」

 身支度を済ませて居間まで来ると、挨拶よりも先に弥生に心配されてしまう。私はそんなに顔色が悪かっただろうか。

「ちょっと気分的に疲れてるかも」

「疲れてるって、昨日は早く寝てませんでした?」

 心配する表情から一転して、呆れたような半目で私にそう聞いてくる。

「えーっと、吸血鬼の能力の練習で魔力を使いすぎて……」

 私は弥生に呆れられたくなくて本当に疲れていることをアピールするために説明をする。しかし、そんな能力とか魔力なんて説明しても弥生に理解してもらえないだろう。

「吸血鬼の能力と魔力ですか。それはそれは、詳しくお聞きしたいですね」

 弥生は目を輝かせて興味津々な様子だ。そういえばこの娘は中学2年生の病を患っていた。そういうファンタジー的な話しは大好きなのだ。

「詳しくはまた今度ね?とにかく、お姉ちゃんは魔力使いすぎて本当に疲れてるんだよ!」

 信じてほしいという気持ちが出過ぎて語尾が強くなった。弥生は「約束ですよ?」と満足そうにしているので、私の疲れより興味心の方が強かったようだ。

「ところで、吸血鬼ですし、その魔力というのは血を吸うことで回復するんですか?」

「うん、そうだよ」

 魔力はイディアの書を通じて、イディアから得られるものだが、ソフィア曰く「吸血鬼は吸血によって魔力を得られる構成をしている」ということだ。なんでも、イディア以外から魔力を得られる種族はあまり多くはなく、そういうこともあり、吸血鬼は他のイディアの書を持つ人から特別視されるらしい。

「……オカルト好きとしてですね? 吸血鬼に血を座れてみたいなー、なんて思いましてですね?」

 弥生は首もとの緩い部屋着を着ていたこともあり、服を引っ張ってその首筋を私に見せてきた。つまり、吸えと言いたいのだろう。

「私は大切な妹に傷をつけたくないんだけど?」

「お願いです。一回だけで良いのです。姉さんも魔力が回復できて良いじゃないですか。それに私はむしろ姉さんに傷つけられたいです」

「後半の台詞は誤解を生むからやめようね?」

 私の妹が痛いのが好きな性癖に目覚めていないことを願う。いや、そうだった場合は受け入れてあげる気持ちはある。

「吸ってくれないと自分で切ります」

「わかったからやめて!?」

 本当に自傷するつもりはないだろう。お願いを叶えるために自分の体を人質にするなんて、怒らなきゃいけないことだろうけど、正直、血を吸えと提案されたときから喉の乾きを意識してしまって抑えられないのだ。

「じゃあ、痛いからね?」

「はい、大丈夫です」

 弥生の服を右手で軽く引き、首筋をしっかりと出す。どこを吸えば良いのかは吸血鬼の本能でなんとなくわかる。弥生の腰に左手添えて抱き寄せて密着させる。これはソフィアに言われたことなのだが、相手が痛みをなるべく感じないように魅了の効果を相手にかけるために抱き寄せるのだ。目を合わせる以外にも、密着することでも魅了の効果が発動するらしい。

「いただきます」

 牙を弥生の白くきめ細かい柔肌に突き立て破る。血が溢れてきて、それを軽く吸って口に入れ、味わう間もなく飲み込んでいく。

「――――んっ!」

 私の背に両手を回して強く抱きつく弥生は、私が1口飲み込む度に体を軽くよじった。あまり吸いすぎてはいけないので口を離した。舌に魔力をほんの少しだけ移動させ、それを唾液に込めて治癒能力の効果をイメージする。そして弥生の首筋に空いた穴を舐め、傷をすぐに塞いだ。これもソフィアに教えてもらった治癒能力の応用で、他人の小さな傷を塞ぐくらいなら容易ということだ。さすがに心臓は作れないけど。

「ふわあああああっ!」

 私が首筋を舐めたことにびっくりしたのか、体を大きく跳ねさせて、すぐに私から離れ距離を置く。普段はクールな弥生だが、顔を真っ赤にして震えている。

「ごめんね、傷を塞ぐためだったんだけど、姉妹とはいえさすがに嫌だよね」

「――――ぅあ、いえ。びっくりしただけです」

 弥生は私が噛んだところを押さえて、傷が塞がっていることを確かめる。私もレイカに初めて会ったときに噛み傷をすぐ治してもらったので、その不思議さに戸惑うのは理解できる。レイカはともかく、私は魔力の操作が下手なので噛み傷くらいしか治せないけど。

「ど、どうですか?」

「え? ……ああ、うん。すごく元気になったよ」

 実際、先ほどまで感じていた疲労感はない。といっても体は元々疲れていないので、私の気分的な問題でしかない。

「それは良かったです。また魔力切れを感じたらいつでも吸って良いですからね?」

「いや、今回だけだよ」

 私がそう伝えると弥生はなぜか不服そうだったが、1回だけという話だったはずだ。もう1度弥生に傷をつけるなんてことはしたくないので、私はそのあとも今後はないときちんと話しておいた。

 それにしても、吸血はとんでとない効果を発揮した。前にアリスに吸わせてもらったときよりも私自身が魔力に慣れたからなのか、魔力がどんどん溢れてくるような感覚がある。すぐに2度寝して魔力操作の練習を再開したいくらいだった。学校が休みなので本当に寝ても良いが、あとから弥生に怠惰だと怒られそうなのでさすがにやめた。

 そんな有り余る魔力を持て余して過ごし、やがて夜になって葉月との約束の時間である22時に、あの公園までやってきた。

「やっほ~! お待たせ、花月!」

 私がベンチでスマホを弄っていると、そんな風に明るく声をかけられる。顔をあげるとそこには約束の時間通りにきた葉月が笑顔で立っている。

 茶色に染めた髪は緩くカーブかかかっており、ハーフアップでかわいらしくまとまっている。こげ茶混じりの瞳、ぱっちりとした目。幼さが残っているがナチュラルメイクでばっちりと決めて、完成された可愛さだ。

 こんな夜に私と会うだけなのに、淡いクリーム色のチェック柄シャツと焦げ茶のロングスカートに身を包み、完璧なオシャレをしている。

「葉月、こんばんわ。いま来たところだから、待ってないよ」

 私は自分の隣に座るように、隣を手で軽く叩いて示す。葉月は素直に私の隣へ座り、夜の公園を2人で一望した。

「葉月はきょうも可愛いね」

「え、……えへへ、ありがとう」

 いつもの調子で思ったことをそのまま言葉にすると、葉月は少し驚いていたが、すぐに私の本心だと気づいてくれたようで、お礼の言葉をもらった。

「夜はさすがに涼しいねぇ。体を冷やしちゃいけないから、温かいお茶持ってきたよ~」

 水筒をリュックから取り出し、紙コップに注いで渡してくれる。ただの話し合いだというのに準備万端で、さすが葉月だと思った。

「ありがとう、頂くね」

 2人でお茶を飲みながら、ちらりと葉月の様子を観察する。一見すれば普段とは変わらない。昨日の泣き崩れてしまうほど悲しそうだった姿はいまは見られない。だが、見た目はそうでも内心ではいまにも潰れてしまう寸前かもしれないので、素直に聞いてみることにした。

「大丈夫?」

「……うん。大丈夫だよぉ。だって、花月が助けてくれるって言ってくれたもん」

 私の質問の意図をすぐに理解した葉月は、本当に嬉しそうな笑顔でそう言った。私が昨日、葉月に伝えた言葉であり、本心から思ったことだ。

「【助ける】よ。いますぐは、ちょっとまだ方法が思い付かないけど、私も頑張って吸血鬼の能力とか練習してるからね。ソフィアの力も借りていつかは本当に――――」


「――――本当に、イディアの書に逆らって運命を変えられるとでも思っているのかしら?」


 私の言葉を遮って、背後から冷たい声色で告げられる。慌てて振り返ってみると、気づかないうちにそこには人が立っていた。

 茶髪に染めた肩までの長さの髪は緩くウェーブがかかっており、焦げ茶混じりの瞳が真っ直ぐこちらを睨んでいる。端整な顔つきの美人な女性で、その顔は葉月と似ていた。黒いシャツの上に白衣を着て、ジーンズにスニーカーというラフなスタイルだ。

「お姉ちゃん、なんでここに……」

 葉月が立ち上がり、驚愕の表情を浮かべて小さく呟く。この人が葉月のお姉ちゃんであり、妹を救うために自分の心臓をあげた人だ。

「はじめまして。お姉さん。私は――――」

「楠瀬花月さん。知っているわ。はじめまして、妹がお世話になっているわね。もっとも、最近は余計なお世話だけど。」

 挨拶を返してくれたので、とても礼儀正しい人なのだと思うが、相変わらず私のことを睨んでいるし、余計なお世話だと言われてしまった。文脈と状況的に、私が葉月とお姉さんのことを助けたいと思っていることが、この人にとっては余計なお世話なのだろう。

「私は大切な友人のためにしてあげたいと思ってるので、お姉さんに余計なお世話だと言われても――――」

「ええ、友達思いの学友を持てたことは葉月にとって宝だわ。きちんと感謝はしたかった。……ヴァレンタインの関係者じゃなければね」

 この人は人の話を最後まで聞かないようで、私の言葉が再度遮られる。こちらの言いたいことが伝わっているので構わない。しかし、そのあとにアリスとレイカのファミリーネームが出てきたことで、私はこの人を警戒しなければいけなくなった。

 もしもアリスに危害を加える思惑がある人なら、私はこの人と仲良くはできない。

「ヴァレンタイン?」

「惚けても無駄よ。そもそもあなたは吸血鬼だし、この街にファミリーNo.5の血鞭のヴァンがいることはわかっているのよ」

「なんだ、ファミリーのことか。」と内心で呟き、私はため息を吐きたくなる。そういえばこの人と葉月もどこかの組織に所属していると聞いた。イディアの書を持つ者が集まる組織が複数あるのだから、組織同士の協力関係や対立関係なんかはあってもおかしくない。

「つまり、うちのファミリーってお姉さんの敵だったんですね」

 私のそんな呟きを聞いて逡巡、お姉さんは軽くため息をついて、弥生のような呆れた半目を私に向けた。

「呆れた。自分の所属する組織の敵対関係くらい把握しておきなさい」

 そんなことを言われても、私はファミリーに所属して1ヶ月も経っていない、つい最近のことなのだ。組織のことと言えばまだ、ヴァンさんから吸血鬼の能力についてしか教わってない。そんなことより血鞭のヴァンって何?まさかとは思うけど、ヴァンさん痔……。

「まあ、いいわ。どっちみち、あなたには死んでもらうから」

「え!? 私に敵意はないんですけど!?」

 どうでも良いことに気をとられていると、急に死ねと言われてしまった。私は葉月とあなたを助けたい気持ちはあれど、敵対するつもりは一切ないのだ。

「あのファミリーに居ながら、そんな言葉を信用するつもりはないわ。【葉月、あなたも裏切り者ではないと証明しなさい】」

 文脈的に、葉月が私といることで裏切り者だと疑われているんだと推測した。それは私と葉月にとってはとても不本意なことなので訂正させてほしいが、そんなことよりも、お姉さんの声に違和感を覚える。

 後半の台詞に魔力を感じた。

『マスター、避けて!』

 ソフィアの声が頭に響くのとほぼ同時に、私は反射的に公園の方へ飛び退いた。そしてその行動とほぼ同時に、激しい衝突音が聞こえる。何の音か考える前に、自分でも驚くほどの勢いで飛んでしまったので、慌てて着地の体勢を取る。けっきょく勢いがありすぎて、転ぶようになってしまった。すぐに起き上がろうとすると、ベンチの方からバキバキと木が割れるような音が聞こえる。この前動画配信サイトで見た木こりが木を斬り倒す時と同じ音だ。

 振り返ってみると、私が座っていたベンチから斜め後方にあった樹木が、途中で折れて倒れている。ベンチの前には葉月が立っており、見覚えのある構えをしていた。

 それは夜の街で葉月――――フランケンシュタインの怪物が襲ってきたときと同じ、戦闘スタイルだ。

「は、葉月? なんで……」

 葉月がいまにも私に襲いかかろうとしている姿勢に、疑問を投げ掛けずにはいられない。

 葉月はつらそうな、いまにも泣き出しそうな表情をしながら、泣き叫ぶように言葉を口にする。

「だって、私は作られた怪物だから……、創造主には逆らえないからっ!!」

 言い終わると同時に葉月が飛び掛かってくる。見えていたのでソフィアに忠告されることもなく、それをまた後方に飛んで避けた。葉月の華奢な腕が地面を穿ち、砂埃を散らしながら大きな穴とそこから四方に延びるひび割れを生み出す。

 また、運命のせいで葉月が泣きそうになっている。そのことを私は【許せない】。どうにかしたい。でもどうすれば良いのかわからない。

 葉月が腕を上げてまた私に向き合う。オシャレな服は無理な動きのせいで所々破れ、そこから見える柔肌に現れた傷痕はうっすら紅く光ってるように見えた。

 その姿を見て、私はより強く思う。助けたい、葉月を助けたい。


「私は、葉月を助けたいっ!!」

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